CCXXXIX 苦労人サー・エドワード・ネヴィル
まだ完全に明かりが戻っていない西棟の外側を歩いていると、ランタンを持ったサー・エドワードが私に駆け寄ってきた。
「ラドクリフ様!」
「サー・エドワード、なにかありましたか。私の方はメアリー王女のところへ報告にいくところですが。」
私は火事の顛末と今後の対応について、アーサー様とマーガレット王太后殿下に報告への報告を終え、次に北棟のメアリー王女の区画に向かっているところだった。
「はい、キャサリン王太子妃付きの侍女たちがたいそうご立腹でして、ロバート・ラドクリフは許さない、報告はもちろん謝罪も受け付けない、との一点張りです。なにかすれ違いがありましたか?」
サー・エドワードは疲れた声をだした。この方にはいつも王太子妃方との折衝で苦労をかけてしまい、申し訳なく思う。
キャサリン王太子妃一行は避難のときのことを根に持っているのだろう。面倒な事態になってしまったものだ。
「ご迷惑をおかけします、サー・エドワード。彼女たちの避難が遅々として進まないので、思わず声を上げてしまいました。私が無理に謝罪にいってもややこしくなるだけでしょう。逃げるようで気が進みませんが、こればかりは。」
「しかし、彼女たちをなだめられる人間が他にいるとも思えませんが・・・」
本当ならサー・エドワードに間に入ってほしかったが、声を聞く限りかなり努力をして結局追い返されたようだったので気が引ける。
「それではモーリスしかいませんね。彼は古典語も完璧ですし、王太子妃殿下に気に入られています。先程ヘンリー王子の側を離れていましたから、探せばいるでしょう。私が頼んでみます。」
「もしセントジョン様がお受けいただけるならそれがいいでしょう。西棟にいらっしゃらないか探しに行って参ります。」
またモーリスに借りをつくってしまうが、穏便に済ますにはこれが最善の選択だろう。だがアーサー様の安全確認が取れた以上、モーリスがどこにいるのかは私にもわからなかった。
「よろしくおねがいします。西棟にいないようならヘンリー王子の東棟も探してみてください。」
「わかりました。」
去っていくサー・エドワード見送った後、北棟入り口でメアリー王女殿下への取次を頼んでいると、見覚えのある衛兵が扉の前で待機しているのに気づいた。
「ヒュー・モードリンか?」
「ラドクリフ様ですか?お疲れさまです。」
モードリンは消火の最前線にいたのか衛兵の格好が少し煤けていたが、私に余裕のある笑顔を見せた。
「消火の際は苦労をかけた。アーサー様の侍従を代表して、世話になったことに礼を言いたい。」
「いえ、当たり前のことをしたまでです。どうぞお気になさらず。ラドクリフ様はこちらへはどのようなご用件でいらしたのですか。私は今さっき許可証をとりましたから、急用ならば私の方でご案内しますので。」
モードリンは敬々しかったが、例にもれずラドクリフ呼びだった。そろそろ取り戻したフィッツウォルター男爵の位を周知させたいが、爵位を失っていた事情が事情だけに大っぴらな広報もしづらい。知り合いをパーティーか茶会に招くにもコストがかかるし、新居に慣れないベスにあまり負担をかけたくないところだ。
「メアリー王女殿下に、火事の顛末と事後報告に参った。今、中には東棟の人間がいるのか?」
モードリンは確か東棟所属で、ロアノークとともに日替わり制の警備責任者たちに振り回されていると聞いていた。そのだれかに同伴しているのだろう。
それにしてもあの気まぐれな輪番制を考案したのはだれなのか。メンバーはブランドン以外比較的まともだったが、少なくともニーヴェットはすでに魔女にやられている。もちろん魔女を東棟に置いているヘンリー王子が仕掛けた可能性が高いが。
「はい、モーリス・セントジョン様とルイス・リディントン様がメアリー王女殿下に謁見しています。」
「ルイス・リディントン・・・」
モーリスがいるのは都合がよかった。探す手間が省ける。だがあの鎮火の功労者もちょうどこの場にいるのか。
彼のいる場で火をおこした私が謝罪するのも皮肉なものだ。しかし責任はとらねばならない。
「ちょうどよかった。もしよければ私も今、入れてもらえないだろうか。」
鎮火の責任者には面と向かって礼を言うべきだ。それにヘンリー王子の区画で謝るよりも今の方が気負いなくできるだろう。
「わかりました。」
モードリンが扉を護っていた門番に指示を出すと。扉が開き、なにやら言い争っている様子のモーリスとメアリー王女殿下の姿が見えた。
「どう考えても口説いているのではなくって?『情熱的』とか『レデイーの中のレディー』だなんて。」
「いいえ、純粋な気遣いと下心のない愛情です。リディントン君が今から行うのは医療行為であって、それ以上でもそれ以下でもありません。彼が僕にしてくれたことと同じです。」
「まあ、男女どっちもいけるなんて、そんな殿方も実在されるのね。」
「お考えになっていることとは違います、殿下!」
何の話だか全く見当がつかない。言い争っているようだが、二人とも何故か声を落としている。
「あっ、ロバートお義兄さま。」
メアリー王女殿下の横に控えていたアンが私に気づき、メアリー王女殿下の注意を私に向けた。
「まあ、ラドクリフ、いいところにいらしたのではなくって?今から愛が盛り上がるところでしてよ、ふふふっ。」
「だから違うんです、殿下!」
何が違うのかはよくわからないが、私は挨拶をするタイミングを逸してしまった。
「メアリー王女殿下に置かれましては、ご機嫌麗しく・・・」
「あらあらラドクリフ、あまり大きな声を出さないでくださいな。隣の部屋の様子がわからなくなってしまってよ。」
「隣の部屋?」
よく耳をすますと、隣の部屋からと思われる話し声がかすかに聞こえてきた。
「(でもその場合は・・・その・・・本当に・・・本当に責任をとっていただけるのですか・・・?)」
「(レディ・グレイが私を受け入れていただけるのであれば、私も、それなりの覚悟で臨みたいと思います。)」
責任・・・受け入れる・・・覚悟・・・一体何についてだろうか。
「まあ、リディントンは責任を取るといっているのではなくって?」
「メアリー様、よくよく発言を聞くと、責任を取ると明言しませんでしたわ。やり捨てにするつもりかもしれません!」
「レディ・ブラウン、レディーがそんな言葉を口にしてはいけません!」
メアリー王女殿下と侍女のレディ・アン・ブラウンはモーリスと盛り上がっている様子だったが、文脈が全くわからないので私はただ佇むほかなかった。
やり捨て、とは?あまり関わりたくない話の予感がする。ここはさっさとモーリスに要件を伝えて、殿下の興奮が収まったら報告をするとしよう。
「(やはり触れられるのに抵抗がありますか?)」
「(その・・・他の殿方でしたら嫌です・・・でも・・・リディントン様は違いますわ・・・信用しております・・・ただ・・・恥ずかしいのです・・・)」
隣の部屋で何が起きているのか気にかかり始めたが、ここで聞き耳を立てるのも無粋というものだろう。私はモーリスの肩に触れないようにして、背中を軽く叩いた。