CCXXXVIII 証人フィッツウォルター男爵
私は驚きのあまり一瞬思考が停止していたけど、とりあえずマッサージの手をとめて、耳を塞いでふらふらしているエリーに発言の真意を問うことにした。
「つかぬことをお聞きしますが、レディ・グレイ、ええと、どのようにしたら人間の子供ができるかご存知ですか。」
「それは・・・それを私に言わせたいのですか・・・私にはとても・・・」
エリーはまた顔を赤くして首を振った。普通だったらレディに解説してほしくないし、もしだれかが私に描写しろと言ってきたら、そんなセクハラ人間は私の手で社会的な破滅に追い込もうと思うかもしれない。でもごめんねエリー、この勘違いは絶対に解かないといけないから・・・
「残念ながら、言っていただく必要があります。おそらく非常に大きな、天文学的な規模の勘違いをしておいでです。」
「・・・それは、その・・・男女が・・・今の私達ように・・・寝所で・・・体を合わせて・・・はずかしい・・・」
エリーはいまにも燃えてしまいそうなほど、本当に恥ずかしそうだった。ぼやかされた知識だったから、今ので妊娠しちゃうという発想になったのかもしれない。ドーセット侯爵家は子どもたちが間違いを起こさないように教育しないのかしら。考えてみればレミントン家でもそれに関しては何も教わらなかったけど。
レディーともなると貞操のために家では見知らぬ男性を恐れるような教育を受けるケースもあるらしいけど、私にマッサージをさせてくれたエリーがそんな歪んだ観念を持っているようには見えなかった。
「それは必要条件かもしれませんが、十分条件ではないんです・・・ええと、そうでしたら密室でダンスしただけでも妊娠してしまいますよね?その、たとえば、動物などをご覧になったことはおありですか?」
私だって一応レディーだから、本物のお医者さんみたいに細かくは言えない。この状況になってみて、前世で近代文明の薫陶を受けたはずの私自身も、実はそこまで詳しくないことに気づく。理論的にはわかるけど・・・
「それが・・・家ではそういうことはほとんど習わなくて・・・メアリー様も動物の匂いがあまりお好きでないので・・・では、私達がしたのは・・・」
「ええ、私達がしたのは純粋な医療行為で、妊娠することは決してありません。」
「そうですか・・・」
エリーはなぜか少しだけ残念そうだった。せっかく貞操が守られたのに、どうしたんだろう。
「レディ・グレイ、赤ちゃんどうこう以前に、そもそも私達は、その、夫婦しかできないようなことは一切していないというか・・・」
「えっ、そんなはずは・・・」
「おだまりなさい!!白々しい!!」
急にきつい女性の怒鳴り声が聞こえてきた。メアリー王女や侍女よりも低い女性の声だけど、誰だろう。隣の部屋にいるんだと思うけど。
「ど、どちら様で・・・」
「さっきから聞いていれば無責任な・・・汚れなき乙女を騙しこみ、大切なものを奪ったあげく、詭弁を弄して責任をとろうとさえしないとは呆れます!ミスター・ルイス・リディントン、服を着たらすぐに隣の部屋まで起こしなさい。アニー、可愛そうなエリーに水を持っていってあげて。」
相手は私の名前を知っているようだけど、結局誰なのかしら。名乗らないなんてマナーに反すると思うけど。
「服はもう着ています。そもそも脱いではいなくて・・・」
「この場であなたの嗜好を暴露しなくてもよろしいです!さっさとなさい!」
「は、はい!?」
ちょっとまって、私はなんでこの人に命令されているの?まだエリーのマッサージも終わっていないのに。
まだちょっと困惑気味のエリーの様子をチェックする。
「・・・レディ・グレイ、具合はいかがですか。」
「エリーのことはアニーに任せてこちらにいらしなさい!」
いまにも爆発しそうな声で、姿の見えない女性は私に怒鳴った。
「なにか重大な勘違いがあるようです、申し開きを・・・」
「申し開きはドーセット侯爵家でなさい。先程のようにあなたが逃げないよう、婚約の報告の手はずはこちらで整えて差し上げましょう。」
婚約?なんのことかしら?
「あのう、婚約というのは一体・・・」
「ええ、あなたは今夜の責任をとってレディ・エリザベス・グレイと結婚するのです、ミスター・リディントン。もちろん逃げられませんわよ。私とフィッツウォター男爵が証人です!」
「フィッツウォルター男爵って誰!?そもそもあなたは誰ですか!?」
きょとんとするエリーを前に、私は見えない相手に向かって叫んだ。




