CCXXXV レディ・エリザベス・グレイ
隣の部屋はすこし薄暗くて、簡易ベッドみたいなところにエリーが寝かされていた。ベッド元に燭台があるけど明かりは弱くて、部屋全体がどんな感じなのかはわからない。エリーが眠りやすいようにしてあるんだと思う。なんだかクッキーみたいな甘い匂いがするけど、香水かしら。
エリーを起こしてしまうのは申し訳ないけど、暗い部屋でよく目を凝らすと外行きの服装のままで寝ているみたいだった。体の上で手を組んでいる。
腰を痛めているのに、楽な格好で寝ないと体に良くないと思う。
「レディ・グレイ、起きていただけますか。」
「・・・う・・・ん・・・リ、リディントン様!?」
エリーはびっくりしたように身をよじらせた。前回会ったときはもっとシャープなイメージだったけど、驚いた顔は可愛いと思う。
「無理に起き上がらないでください。腰によくありません。」
「え、なぜ、リディントン様が!?」
落ち着いてほしいけど、起きたら昨日あったばかりの男に覗きこまれていたとなったら、パニックにもなるのも無理ないよね。
「メアリー王女殿下に、あなたが腰を痛めたと伺いました。私は医術の覚えがありますので、メアリー王女殿下が施術をしてもよいとおっしゃったのです。レディ・アン・スタッフォードに同伴を願い出たのですが、断られてしまいました。しかしメアリー王女殿下と侍女の方が二人、隣の部屋に控えています。ドアも開けてあります。」
「ですが、このような格好で、殿方と部屋で二人きりだなんて・・・いけませんわ!」
おろおろしているエリー。ドレスは上等なものだし、髪もお化粧も整っているけど。
これぞレディ!
「すばらしい・・・あなたこそ本物のレディです。本当に素敵です。」
色々反例に出会った後だからか、私は涙ぐみそうになった。
「え、リディントン様?・・・そんなにいきなり・・・」
「いえ、あのような環境にいながら、レディとしての誇りを保っていたこと、尊敬しています。」
あの侍女軍団に毒されずにいるなんて奇跡に近いと思う。エリーは戸惑っているけど、私は賛辞を止められなかった。
「・・・そんなこと・・・ただ私はメアリー様の避難に夢中で・・・」
「いいえ、メアリー様たちの影響にもかかわらず、あなたが純粋でいられたのは、あなたの人柄が素晴らしいからです。本当に良かったです。」
謙虚な感じも素敵だと思う。レディが実在してよかった、ほんとに。
「そんな、私、アニーたちと違って・・・こんなこと、慣れておりませんのに・・・急におっしゃられても・・・」
「そうまさに、彼女たちと違う、慣れていない、というのが大事なのです。さきほど、私は危うく世の中に絶望するところでしたが、あなたの綺麗な心に出会えて心が洗われた気分です。」
ほんとうにありがとう。エリーまで変態だったら、ヘンリー王子の女性恐怖症に共感するところだった。
まさかとは思うけど、メアリー王女周辺の人達は女嫌いに貢献していないよね?
「ご、ご上手ですわ、そんな、私などのことを、綺麗だなんて・・・」
少し照れているのか、暗闇でも分かるくらいエリーは顔を赤くしていた。
「どうかご謙遜なさらないでください。レディ・グレイの凛とした美しさはもちろん、心の綺麗さには感動しました。あなたはレディの中のレディです。」
考えてみれば、宮殿で私があった女性はスザンナ、姫様と侍女たち、メアリー王女殿下と侍女たちだけ。誰ひとりとしてレディ然とした言動をしていなかった。針子のマダム・ポーリーヌはかろうじてレディだったかしら。
レディがちゃんとレディ的な対応をしてくれたことって、こんなに貴重なのね。
「そんな情熱的なことば・・・およしになって・・・体が熱くなってしまいますわ・・・」
エリーはもじもじと動いたけど、見たところ腰の痛みはそこまででもないのかしら。
「レディ・グレイ、あなたは私に希望をくれました。情熱的にもなります。」
ほんとに、メアリー王女殿下、エリーを見習ってください。未来の愛人なんて訓練してないで、エリーにレディになる特訓をしてもらってほしい。
「これは・・・夢かしら・・・」
エリーは少しぼうっとした様子だった。寝起きで行儀を絶賛されて、すこし混乱しちゃったかしら。
「現実ですよ、レディ・グレイ。むしろあなたのおかげで、私は嫌な夢から冷めた思いです。さて、先程の続きですが、治療のために腰に触れる必要があります。しかしまったく下心はありません。あくまで医療ですが、不快に感じたら隣の部屋のレディ・スタッフォードを呼びください。」
「不快だなんて・・・その、私・・・私・・・リディントン様なら・・・その・・・でも・・・責任をとっていただけるのですか?」
エリーは困ったように目をウロウロさせて、逡巡しているようだった。いきなり医者って言われても信用できないのかもしれない。
責任はどうしよう、マッサージって効果が約束されているわけじゃないのよね。でも責任逃れはしたくない。
「腰の痛みが良くなることは約束できませんが、今より悪くはならないことは約束しましょう。万が一望まれない結果になってしまったときは私が責任を負います。」
私としてもけっこう重要な譲歩なのだけど、医療ミスを責められる医者の気持ちが分かる気がした。
「望まれない・・・でもその場合は・・・その・・・本当に・・・本当に責任をとっていただけるのですか・・・?」
「レディ・グレイが私を受け入れていただけるのであれば、私も、それなりの覚悟で臨みたいと思います。」
昨日あったばかりの男に腰を触らせるって、レディにはすごい覚悟が必要だと思う。だから私もそれ相応の気合をいれたい。
万が一エリーの腰が悪くなって、賠償になったらいくらくらいになるかしら。懲役刑にはならないはずだけど。
「それなら、その、リディントン様なら・・・でも私達、まだ出会ったばかりなのに・・・」
「やはり触れられるのに抵抗がありますか?」
やっぱりマッサージをするには身元不詳すぎるかと思ったけど、エリーはふいと顔をそらした。
「その・・・他の殿方でしたら嫌です・・・でも・・・リディントン様は違いますわ・・・信用しております・・・ただ・・・恥ずかしいのです・・・」
ここにメアリー王女を連れてくればよかった!レディの鏡!
「レディ・グレイ、ここで恥ずかしがるあなたは本物のレディです。素敵です。」
「・・・そんな・・・私なんて・・・リ・・・リディントン様こそ・・・消火を指揮されるご様子・・・その・・・格好良かったです・・・」
恥ずかしながら社交辞令を言う感じもレディだなって思う。
「ありがとうございます。レディ・グレイに認めていだけるなんて、他の誰に褒められるよりも嬉しいです。」
そういえば男爵はどう反応するかしら。勝手に副官を名乗ったのをからかってくるかもしれないけど、でもあれはゴードンさんも共犯だったし。
「そういっていただけると・・・私も・・・ただ、その、この間まで私がフィッツジェラルド様をお慕いしていたの、ご存知だと思いますが・・・軽い女だとお思いになりませんか。」
「全く思いません。あなたはしっかりしたレディで、だからこそ素敵なんです。そもそもあなたにフィッツジェラルドを諦めるように勧めたのは私ですし。」
社交の場では切り替えも大事だし、みんなに社交辞令の言いつつも内情を知る人にはこうしてフォローするエリーは、やっぱりレディだと思う。フィッツジェラルドは今頃アンソニーと仲良くしているかしら。
「ひょっとして、あのころから、その・・・私のこと・・・いえ、そんなことを伺うのは・・・」
エリーはさっきから少ししどろもどろとしていた。前回会ったときはもっとハキハキしていたけれど、やっぱり眠いのかしら。
「おっしゃることがよくわかりませんが、私は初めて出会ったときから、レディ・グレイは素敵だと思っていましたよ。」
「リディントン様・・・」
最初はロウソクのせいだとおもったけど、エリーの顔は照れているにしては赤くなっていた。
「熱がありますか?」
「あっ・・・」
私がお互いのおでこ同士をくっつけると、エリーは驚いたように声をあげた。彼女の体が簡易ベッドから落ちそうになったので、私はとっさに背中を支えた。
「んっ・・・」
エリーはドレスの下にコルセットをしたままだった。普段の格好のまま寝ているからそうだろうけど、マッサージには外してもらわないと。
「失礼しました。ですがレディ・グレイ、コルセットは外さないといけません。」
「それは・・・その・・・全部・・・?」
エリーはちょっと不安そうにしていた。コルセットの下に一枚着ていると思うけど、確かにお医者さんの問診になると、肌を見せるのが普通かもしれない。
「いいえ、下にシュミーズをきたままで結構です。コルセットだけです。外した後でガウンを上に着直していただいても構いません。外している間、私は隣の部屋に行っていましょうか。」
「いえ・・・ただいつも女中に付け外しをしてもらっていて・・・」
ということは後ろで縛るタイプのコルセットかしら。あれは一人で着脱するのは苦しい。
「もしお嫌でなければですが、お手伝いしましょうか。」
「え、でも・・・」
そうだよね、レディならそこは断るよね。
「過ぎたことを申しました。では女中の方を呼んできますね。」
「いえ、お待ちになってください、その・・・」
エリーはなぜか私を呼び止めた。困ったような顔をしている。
「どうしましたか?」
「えっと、笑われるかもしれませんが、私、こうしたことは、まったく経験がなくて・・・どう振る舞えばいいのか・・・」
そういえば、はとこのブリジットも初めてマッサージをしたときはこんな感じだったきがする。なんだか懐かしい。
「大丈夫ですよ、怖くありません。初々しくてとても可愛くていらっしゃいます。当たり前ですが、みんな最初は未経験なんです。緊張しないでください。」
「・・・その・・・ほんとに何の心得もなくて・・・い・・・痛いのですか?」
確かにお医者さんに行くのが嫌いな人は、痛いのを怖がるよね。気をつけてもマッサージが100%痛くないとは言えないし。
「できる限り痛くしないようにします。でも痛かったらすぐに教えてください。」
「・・・ええと・・・その・・・できたら・・・優しく・・・」
マッサージをさせてくれそうな流れなんだけど、さっきから明確なイエスがないのよね。
「できる限り優しくしますが、私が信頼できませんか?」
「いいえ・・・リディントン様なら・・・リディントン様のこと、信頼申しあげています・・・その・・・ふ、ふつつかものですが・・・よ、よろしくおねがいします・・・」
レミントン家や架空のリディントン家よりもよっぽど家格が高いのに、ちゃんと丁寧なエリー。これこそ本物のレディのあり方よね。アンソニーは見習ってほしいわ。
「こちらこそ、受け入れていただいて嬉しいです。それでは私は一旦外に参りましょうか。」
「その・・・はしたないかもしれませんが・・・どうせご覧になるのなら・・・コルセットを・・・」
そうだよね、どうせ腰を触れるわけだから、コルセットを外すときだけ私が出払っていてもあんまり意味がないと思う。
「はい、お手伝いしますね。上着を脱いで、うつ伏せになっていただけますか。」
私は簡易ベッドがもう少し高かったらマッサージ台として最高だったのに、と考えながら、おずおずと上着を脱ぐエリーをサポートした。