CCXXXIII 伝道師ルイス・リディントン
*この章のルイーズはやや弁護士モードです。
少し混乱した様子ではあるけど、部屋のみんなが私の言うことに注意を傾けていた。今こそお父様仕込みの弁論術を披露するときね。
「メアリー王女殿下、この素晴らしいグラスには、精巧なガラス細工がしてありますね。飲むという目的を考えれば装飾などいらないはずですが、なぜでしょうか。」
私はさっきまでシェリー酒が入っていたグラスを目の前に掲げた。
「それは、綺麗だからではなくて?」
「そのとおり、その方が美しいからです。」
不思議そうに答える王女様に向かって、私は微笑んだ。
「殿下、こうした工芸品はもちろん、詩や絵画、音楽や庭園、これらが私達の暮らしから消えても生きる上で問題はありません。でもこれらがなくなったら、なにかぽっかりと穴が空いたように感じませんか。」
「そうね・・・心がさみしいかもしれなくってよ。」
妖精さんは真面目に考えて答えてくれた。
「そうです。こうしたものは心を満たしてくれます。それは私達がこれらを『美しい』と感じるからです。そうでしょう?例えば美しくない旋律や音痴な歌を聞いても、心は潤いませんよね。」
私はグラスを置いて、王女様の前をゆっくり横に歩いた。
「王女殿下、この世の中は混沌としていて、つらいことも多いかもしれません。しかし、美しいものはそんな日々に疲れた私達を慰めてくれるのです。その筆頭がイケメンです。」
「さっきから出てくる、イケメンというのは一体なんのことですの?」
王女様は可愛らしく首をかしげた。
「失礼しました、顔の良い男性を専門用語で『イケメン』と申します。」
そういえば、『マッサージ』と同じで、『イケメン』という言葉をノリッジに広めたのは私だった。宮殿では意味が通じないかもしれない。
「さて殿下、食欲、性欲、睡眠欲は、ネズミから象まですべての獣が持っています。しかしそれをいくら追いかけ続けても、心の満たされない、単調な日々の繰り返しがあるだけです。
人間は生きる上で必要ないものを求める生き物なのです。そのプラスアルファは、ある人にとっては善行かもしれないし、ある人にとっては真実を追求することかもしれません。
しかしほぼすべての人が求めるのが、美、すなわちイケメンです。」
「(聖女様、お顔色からしてお酒がまわっていらっしゃいます。どうか落ち着かれてください!)」
「リディントン様、でもそれは性欲の一つの形ではありませんこと?」
今まで静かだった黒髪の侍女の方が話に入ってきたけど、この質問は想定内。
「いいえ、かならずしもそうではありません。三次元であっても、二次元であっても、遠くでも近くでも、イケメンはイケメンです。
現に絵画でもパレードでも、顔のいい男性をみると気分がよくなるでしょう?手にはいらなくとも、独占できなくとも、触れられなくとも、イケメンは見るものを幸せにするのです。
つまり次元を超越した、概念的なもの、それが美であり、イケメンなのです。筋肉よりもはるかに高次な、文化というべきものなのです。」
「(聖女様、聞こえますか!?この話の着地点が見えません!)」
「すこし話が抽象的で、難しいわ。」
王女様は困った顔をした。ちょっと法廷モードになってしまって、話が固かったかもしれない。
「わかりました。ではヘンリー王子風のたとえ話をさせていただきます。
ノリッジの街には昔、ギルドホールが2つありました。一つはとても綺麗な外観と内装ながら、大勢での会議や会食にはあまり向かない作りで、もう一つはスペースを最大限にとり、景観を無視した無骨な建物でした。
やがてギルドの規模が大きくなり2つの建物のどちらも手狭になりましたが、機能的な方はあっさり取り壊され、一方人々は改装しながらも狭い建物の方を様々な用途で使い続けたのです。なぜだと思いますか。」
「狭いほうの建物が美しかったから?」
王女様は私が言ってほしいことをいってくれるようになってきた。
「そうです。見た目が美しいからです。多少不便であっても、やはり人々は美しさに幸せを、愛情を感じるのです。
イケメンも同じです。美しい顔は生存や種の保存に役に立たないかもしれません。でも筋肉のように特定の役割を担うものというのは、取り壊されたギルドホールのように、えてして虚しいのです。」
「いいえ、チャールズ様の体も美しいですわ。神話の神のような凛々しいお体なのですわ。」
今度はシルバーブロンドの侍女が介入してきた。
「とんでもありません。私は仕事の関係上、ヘンリー王子とチャールズ・ブランドンの生まれたままの姿を目に入れてしまったことがありますが、特にブランドンは正直に申し上げますと、神様はもうちょっと美しくデザインできなかったのかという感想を持ちました。
大体、裸が美しかったらみんな夏場は裸でいると思いませんか?なぜ貴公子は裸で肖像画を描かせないのでしょう。それは神話の神々の綺麗な裸体と違って、現実の裸は大して見目麗しくないからです。」
「(聖女様、目にしてしまったのですか!?おいたわしい・・・)」
「そうなんですの?・・・わたくし、チャーリーの裸をまだ見ていなくってよ・・・そんなにひどいなんて・・・」
王女様はぐらつき始めていた。
「メアリー王女殿下、顔にはその人の感情、知性、そして魂も現れます。胸筋をじっとみていても何もわかりません。顔よりも胸部に目が行く人間は、男女の別に関わらず単調な情欲に振り回されているだけで、頭も心も使わず、結局は美を嗜む分別がないのです。
つまり胸ばかり気にする人間は低俗極まりなく、文明の底辺に位置するのです。王女様がそこまで身をやつしてしまってはなりません。」
「(聖女様、お言葉ですが、少しばかり私怨が混ざっていらっしゃいませんか?)」
「まあ、なんとなくわかりましたけれど、でも実感が沸かなくってよ。」
王女様がなんとなく分かってくれただけでかなりの前進だと思う。
「では実験してみましょう。みなさん目を閉じて、顔の美しい青年が嫉妬しているところと、女性に言い寄っているところをイメージしてみてください。」
王女様と侍女二人が目を閉じた。
「どうです?少しほほえましいと思いませんか?」
「ええ、まあ・・・」
「では、その嫉妬している青年と言い寄っている青年の顔を少しずつ平凡にしていってください。」
王女様と黒髪の侍女が少し気難しい顔になった。
「・・・少しイラッときましてよ。」
「でしょう!この実験でも明らかな通り、イケメンは中和する効果があるのです。第三者にとってもです。」
実験がうまくいって私は誇らしかった。
「つぎに、顔は平凡のまま、青年の筋肉の量を増やしてみてください。」
「・・・やっぱりイラッときましてよ。」
今度は少し驚いたように王女様が目を開いた。
「そうでしょう!筋肉がいくらあっても、もやもや感は癒やされないのです。いやし効果はイケメンにのみ存在するのです。」
「まあ、なんということかしら!わたくしのしらないことが、身近にこんなにもあったなんて。」
王女様は感動したように目をキラキラさせている。畳み掛けるなら今ね。
「メアリー王女殿下、もしチャールズ・ブランドンが格好よく見えるとしたら、それは筋肉や雄々しい雰囲気、そしてプレイボーイとしての評判に流されているのです。
そうしたバイアスを排して、曇りのない純粋な目でもう一度ブランドンの顔を見つめてください。意外と微妙なことに気がつくはずです。
それを踏まえて、改めて東の国への随行要員をお決めください。」
「・・・ありがとう、リディントン。わたくし、顔の大事さを実感した気がいたしますの。今度試してみまましてよ。」
思案顔の王女様は、考え込むようにうなずいた。
「メアリー様、こんなのおかしいです!わたくし、認めませんわ!リディントン様はご自身のお顔がよくてお体が貧相だから、自己弁護でそんなことをおっしゃるのですわ!」
シルバーブロンドの侍女のかたが、ひがんだ見方をしてきた。こっちがブラウンさんだっけ?
「レディ・アン・ブラウン、私は自分をイケメンだと思っていません。ここにいるモーリス君は間違いなくイケメンですが。
しかしそれ以前に、仮にこれが私の自己弁護になったとしても、私の理論が間違っている証拠にはなりませんよね?それとも反証がおありですか?」
シルバーのレディ・アンはむすっと黙ってしまった。黒髪のほうのレディ・アンがとりなすように間に入ってくれる。
「アニー、リディントン様の言うことは一理あるんじゃありませんこと?現に私も正反対の意見をもっていましたけれど、リディントン様のお顔のせいで、なんだか思ったほど反感が沸かないのですわ。」
「そうね、アン。わたくしも賛成でしてよ。よく見ると、リディントンの顔はとても綺麗だと思うわ。」
なんだか本当は女の私がイケメン認定をされるのはちょっと気まずい。
「いえ、モーリス君の横では私など霞んでしまいますが、いずれにせよ、ブランドンの件を再考いただけるのであれば、私もご挨拶にきた価値があったというものです。」
このまま行くと王女様がブランドンの子供を妊娠して一大スキャンダルになってしまうところだから、すくなくともブレーキを踏めたんじゃないかしら。ついでにブランドンとヘンリー王子の禁断の愛も守ってあげられる。
ちょっと疲れたけど、私、いい仕事したんじゃないかしら。
「(それじゃあ、役に立てたみたいだし、私達はそろそろ御暇しましょうか、モーリス君?)」
「(聖女様、さきほどの力技は圧巻でしたが、なにかお忘れでは?)」
そういえばすごくお腹がすいていたのよね。
「(そうね、せっかく宴を準備してくれているようだから、ごちそうにならないと失礼よね。)」
「(違います聖女様、レディ・グレイをお忘れです!)」
レディ・グレイ?
「あっ、エリー!!」
マッサージをすっかり忘れていた私は、思わず叫んだ。
「エリーがどうしましたの、リディントン?」
「(聖女様、もしよろしければ、今度から僕が注意したときは、お酒を控えてはいただけませんか?)」
「(ごめん、モーリス君。ほんとごめんなさい!ありがとう!)」
私はモーリスくんに平謝りした。
*注:あくまでルイーズの独自理論で、作者の意見ではありません。




