CCXXXII 教育係アン・ブラウン
わなわなと震えている私とモーリス君の前で、優雅にリュートを構えている王女様に平然と付き添っている侍女が二人。シュールな光景だと思う。
「曲目は何がいいかしらね。おや、リディントン、どうなさったの?」
今頃『どうなさったの?』って、この王女様はさっき自分が口走ったことの意味を理解しているのかしら。
「・・・どうなさったもこうなさったも・・・王女殿下、め、めくるめく夜って、意味わかってないでしょ!?わかっていませんよね!?だって12歳だもんね!?」
「(聖女様、言葉づかいにお気をつけて!)」
動転した私が宮廷マナーから外れたのを、モーリス君が耳元で指摘してくれたけど、もうマナーを気にしている心の余裕が無かった。さっきから作法を守っていない気がするけど、火事で動揺したことにして許してほしい。
「あら、わたくしとしてはわかっているつもりでしてよ。だけれど、口で説明するのは恥ずかしいことではなくって?」
「そうですか・・・失礼いたしました。口頭で説明いただかなくとも大丈夫です。先程の非礼も含め、どうかお許しください。」
私は頭を下げた。悲しいことに王女様はかなりのおませでいらっしゃるようだけれど、少なくとも一応恥じらいのお気持ちはお持ちになっているみたいだった。
「無礼なんてことはなくってよ。お顔をおあげになって。どうしましょう。そうね、アニー、例の男女の人形を持ってきていただける?」
「はいメアリー様。はじめに服は着せますか?」
「いいです!!殿下、人形で説明しなくて結構です!!そっちのほうが恥ずかしいです!」
嫌な予感しかしないから断る。『例の』ってどんなのか気になるけど見たくない。
「そ、それより殿下、あの色情魔に『一緒に夜を過ごしたい』なんて、そんなことを示唆してはいけません!あの悪漢のお子様を身籠ってしまいます!」
ブランドンは鎮火のときに手伝ってくれてかなり助かったけど、それとこれとは別。この妖精があんな野蛮人とめくるめく夜を過ごしちゃいけない。色情魔なんて言葉、12歳じゃ知らないかもしれないと思ったけど、この王女様は多分分かってしまうと思う。
「あらあら、チャーリーは素敵な男性ですのに、相変わらず同性には人気がないのね。子供については心配に及びませんの。そのようなことのないように、アニーたちが日々頑張ってくれていてよ。」
「日々がんばりようがないでしょう!?」
この王女様はひょっとして悪徳侍女たちに騙されているんじゃないかしら。『妊娠しない魔法の壷』とか買っていないといいけど。
またシルバーブロンドの侍女のかたが前に出た。さっきから黒髪の侍女はあんまり話さないから、シルバーブロンドの方が応対担当なのかな。
「私達はチャールズ様が将来メアリー様に乱暴をしたり、まちがっても妊娠させないよう、うぶな振りをしつつ、本人が悟らない範囲で日々訓練しているのですわ。」
「いつもありがとう、アニー。とても助かるわ。」
侍女と王女様がほほえみあった。
私が今の会話の意味を理解するのにちょっと時間がかかった。
「ちょっと!!そんなおすそ分けをくれたご近所さんみたいな対応でいいんですか!?訓練って一体何をやっているんですか!?」
「お声が大きすぎますわ。調教というのは、例えば・・・」
「やっぱりダメ!!説明しないで!解説しないで結構です!!それに訓練と調教ってニュアンス違うと思うの!」
シルバーブロンドの侍女は丁寧に説明してくれようとしたけど、王女様の教育に良くないし、さっきから横のモーリスくんが生命力を失っている感じがするから遠慮する。それ以前に詳しく聞きたくない。
「あらあらリディントン、そんなに叫ばなくともよく聞こえていてよ。それにしても、いつもアニー達には苦労をさせてしまって。」
「いいえ、苦労なんてとんでもございませんわ!チャールズ様はもともと男として一級品ですし、近頃は円熟味も増してきて、私達もやりがいがありますわ!」
「まあアニー、なんて優しいのかしら!」
さっきから美人の侍女と妖精みたいな王女様が微笑んで見つめ合っていて、会話の内容を忘れれば美しい光景ではあるのだけど。
未来の恋人を侍女に『訓練』させるって感覚は絶対におかしい。でも恋人じゃなくて愛人だから別にいいのかしら。何が正しいのかよくわからなくなってきた。
「(ちょっと、モーリス君、この人はなんで12歳の王女様に付き添っているの?)」
気のせいか存在感が低下していたモーリス君に話しかける。美少年は気が遠くなったような目をしつつ、悲しそうに首を振った。
「(それが、国王陛下はヘンリー王子が女嫌いになったことにたいそう狼狽されまして、メアリー王女が絶対に男嫌いにならないようにと・・・)」
「(・・・男好きの侍女を配置したのね。)」
それってパパ失格じゃない?12歳の娘に何をしているのよ!
「(・・・はい。王妃殿下がご存命であればこんな極端なことにはならなかったと思うのですが・・・)」
王子の女嫌いがひどくなったのは王妃殿下が亡くなってマーガレット王女がお嫁にいった頃からと聞いているから、王妃殿下がいらしたらそもそも問題が生じなかったかもしれないけど。
そういえば陛下って女嫌いのヘンリー王子に色々なタイプの女性をけしかけたんだっけ。ノリッジでは名君として慕われていたけれど、近くで見ると家庭のマネジメントに失敗している感じがある。
「メアリー王女殿下、とにかくブランドンはよくありません。第一、ブランドンよりかっこいい人はたくさんいるでしょう。ウィンスロー男爵とか、後は・・・」
案外思いつかない。ヘンリー王子は女性の前にでないし、さっきの流れからするとモーリス君の名前は出せない。見た目でブランドンを圧倒できる男性があまりいないことに気づいて、私は愕然とした。トマスはいい勝負だと思うけど、くまさんとコンプトン先輩は好み次第で評価が分かれそう。でもブランドンは雰囲気が気取っているだけで、顔に焦点を絞ればトマスや白い人のほうが美男子なはず。
それに男爵を東の国に連れて行かれちゃったらちょっと悲しいかも。あの顔は国宝級だし、できれば門外不出にしたい。
「まあ、ウィンスロー男爵なんて、あの方は線が細すぎましてよ。チャーリーの神々しい体とでは、勝負にならなくってよ。」
男爵が軽々と否定されてなんだかモヤッとする。泉で見かけたブランドンの後ろ姿はやたらとゴツゴツしていて、決して美しいとは思わなかったけど、好みは人それぞれなのかもしれない。
でも12歳の好みがこれって全然納得していないけど。絶対侍女の受け売りなんだから。そうだわ、セクシー侍女達に毒されて、なんとなく『男は筋肉よね』ってなっているに決まっているじゃない。
だとしたら、私がこの王女様が痴女になってしまわないように誘導できるかもしれない。
「メアリー王女殿下、非礼を承知で、どうしても申し上げたいことがございます。」
「よくってよ。」
王女様がゴーサインをだしてくれたので、私は一礼した。
「恐れながら、男姓を体で選んでは、獣と同じ選択をしていることになります。しかし体が強い者が民を率いたのは大昔のお話。この文明の発達した現代において、民衆の上に立つ王女殿下が、筋肉だけが取り柄の男に惚れ込むというのは野蛮でいらっしゃいます。頑丈な子供を持ちたいという本能の奴隷となってしまわれているのです。本能自体は消せないにしても、その赴くままに生きるのは全く文化的でありません。」
「(お見事です、聖女様!)」
私の演説はモーリス君を感動させたみたいだったけど、メアリー王女の表情はあまり変わらなかった。
「内面を見ろとおっしゃるの?でも内面にときめくことなどあるのかしら?優しくされたり教養を披露されても、胸が高鳴ったことなどなくってよ。」
王女様は年齢に比してすごく達観したことをおっしゃった。
「殿下はお若いですし、人の内面を判断できるようになるのはまだまだ時間がかかります。それを可能にするのが教育です。ですから焦って筋肉男に走らずに、ゆっくりと人間を学んで行けばよいのです。しかし、なんといっても一番大事なのは顔です。」
「(・・・聖女様?)」
「顔?それは体と一緒ではなくて?」
やっぱりこの妖精さんはわかってない。モーリスくんもだけど。
「全く違います。メアリー王女殿下、イケメンは文化なのです。」
「イケメン?文化?」
キョトンとしている王女様にわかっていただくために、私は立ち上がった。
*エリーは隣の部屋で横になっています。