CCXXXI 婚約者アングレーム伯爵
「シェリーをどうぞ。」
私と王女様の会話を遮るように、黒髪の方の侍女のかたが食前酒をもってきてくれた。薄く青の入ったおしゃれなグラスに注がれている。現世だとこういうガラス製品はかなり高価なのよね。
「ありがとうございます。」
「(聖女様、大丈夫ですか?)」
モーリス君の緑の目が心配そうに私を見つめた。そういえば私がダウンした宴会のときに向かい側に座っていたんだっけ。
「(大丈夫。今回はウォッカじゃないし一気飲みもしないから。心配してくれてありがとう、モーリス君。)」
でもお腹が減っているときに飲むとちょっと酔いがまわりやすいのよね。なにか食べ物がほしい。
「遠慮なさらないでよくってよ。リディントンは今晩の英雄なのではなくて?」
私の下心を疑っている割には、メアリー王女はふんふんと楽しそうに部屋を動き回っていた。淡いクリーム色のドレスをなびかせて、ジュースを片手にゆったりした舞踊みたいにふわふわ動き回っている。
「では、いただきます。メアリー王女様の健康に。」
私とモーリス君はグラスを掲げると、王女様はにこっと笑ってジュースを掲げた。
食前酒はちょっとぬるかったけど美味しい。
「美味しいです。ありがとうございます。それでエリーの、いえ、レディ・グレイの具合はどうですか。」
「あら、もう自分はおしまいだといって言っていましたけれど、あの子は月に一回はもうおしまいだと言いますの。」
妖精さんは可愛く首をかしげた。もうおしまいって、相当痛めているんではないかしら。
「本人がそれほど痛いと言っているのなら心配ですね。私も食前酒を飲んでいる場合ではないと思いますが、一刻も早くレディ・グレイのところへとご案内いただければと。」
「あらあら、情熱的でいらっしゃるのね。あの子もフィッツジェラルドに振られて落ち込んでいたから、この機会に優しく慰めておあげになったら、きっと恋が始まるのではなくて?」
侍女が腰を痛めている割に王女様はお気楽な感じだけど、他の侍女二人もエリーについていないところから見て、あんまり深刻ではないとの判断なのかしら。でも腰の痛みって第三者にはわからないことが多いし、いずれにしても早く診てあげたいと思う。
「先程も申し上げましたが、私の方に下心は一切ありませんので、どうぞご心配のないよう。」
「あらわたくし、別にエリーに手を出してはいけないとは言っていなくてよ。エリーは可愛いもの、殿方として抑えきれないものも当然おありになるのね。」
これって12歳のボキャブラリーじゃないよね。さっきからお顔やお声と言っていることのギャップが激しいです、王女様。
「ですからそのようなことは決してございません。今から行うのはあくまで医療行為です。証人として、侍女の方とモーリス君を部屋に呼んでもよろしいでしょうか。」
「ですってよ。アニー、アン、わたくしに代わって二人が愛をはぐくむのを見守って差し上げて。」
「「違います!」」
さっきから私とモーリス君は息があっている。そしてこの楽しそうな王女様は、弱冠12歳にしてどういう思考回路をしているのかしら。
「メアリー様、わたくし、あいにく覗き見る趣味も見られる趣味もありませんわ。」
シルバーブロンドの侍女は、一見まっとうそうで全然まっとうでないセリフを口にした。
「メアリー様、私もリディントン様のお体ではそそられませんわ。二人きりにしてさしあげてはいかがかしら。」
黒髪の侍女も怪しい感じのセリフを続けた。三人とも私が一体何をするつもりだと思っているのかしら。
「メアリー王女殿下、よろしければお耳をお塞ぎください。教育上良くない発言が続いています。」
蒼白になったモーリス君の横で私は嘆願したけど、メアリー王女は別に動じる様子もなく、いたずらっぽい笑顔のままだった。
「あらあら、わたくし、もうすぐ13になったら東の国にむかって、アングレーム伯爵と婚礼を挙げますのよ。男女のことについて多少の知識を備えておくのは当然ではなくって?」
「えっ、殿下はそんな早くに、外国の伯爵に嫁がれるのですか?」
いくら現世でも13歳でお嫁にいくのはさすがに早い。この国では教会がOKをださなかったと思うけど、東の国は事情が違うのかもしれない。あんまり世間を知らないまま結婚しないといけないのは気の毒に思う。高貴な女性は私達平民より結婚が早いけど。
それと、外国の伯爵に嫁ぐのって政略結婚としてはどうなのかしら。考えてみればサリー伯爵も王女をお嫁さんにしているらしいし、案外普通なのかしら。
「ええ、最近話がまとまったので、まだ正式ではないのですけれど、ご存知でいらっしゃらなかったのね。」
私が複雑な表情をしたのが不思議だったのか、王女様はキョトンとしている。さっきからの言動と違って年齢相応にみえて、可愛らしい。
「すみません、新任なもので・・・アングレーム伯爵がどなたかもわかりません。」
男爵は確か、メアリー王女の夫になろうとする王位継承権保持者がいっぱいいるって言っていなかったっけ。それなのに東の国に行っちゃうの?
モーリス君の方を見ると、うなずいて説明を始めてくれた。
「ルイス様、アングレーム伯爵は東の国の国王の従甥にあたり、王位継承者です。東の国はサリカ法をとっていまして、現国王には王女しかいませんから。」
「なるほど、伯爵が一番近い男系男子なのね。」
お父様の手伝いをするうちに私も読み込んだサリカ法は『男の王族の男の子供しか継承権がなくて、長男の家系が優先』というルール。継承順位が自動的に決まるから争いが少ないけど、たまに『誰?』って思うくらい遠い親戚が全部相続することになるから、今の当主に近い人達とギクシャクするときはある。
「さらに北の国と東の国は協定を結んで、メアリー王女に男子が生まれた場合も、この国の王位継承は北に嫁いだマーガレット王女のご子息、ジェームズ王子が優先されることになっています。」
「協定?従兄弟同士で王位を争わないようにということ?」
この国のことを2つの外国が取り決めているのは不思議だけれど・・・
「はい、メアリー王女殿下が継承権のある国内貴族と結婚した場合、ジャームズ王子派とメアリー王女派で争いが起こることが予想されたため、叔父達はメアリー様が幼少の頃から東の国や北の国との話を進めました。」
「だいたい事情はわかったわ。ありがとうモーリス君。」
つまりこの国としては、幼少期からメアリー王女を東の国に追いやって、彼女の血統をあえて王位争いから脱落させて、継承順位をはっきりさせるということかしら。内戦を防ぐためといっても、駒にされてしまう王女様はやっぱりかわいそう。
お姫様に憧れたことがないわけじゃないけど、市民に生まれたのはラッキーだったのかもしれない。もちろん私がお姫様だったら魔女裁判にはかけられなかっただろうけど。
「まあ、モーリスの話はいつも固すぎて、眠くなってしまいますの。リディントンもそう思いませんこと?そういうわけで、わたくし、東の国の王妃になる予定でしてよ。それよりアニー、リュートの準備を。この間お兄様にいただいたやつでいいわ。」
王妃というタイトルが全然似合わない妖精さんは、ニコッと私に笑いかけて、どこかへ楽器をとりに行った。目の前で解説された大人の事情で故郷を離れなければいけない割には、メアリー王女はさっぱりとしている。とくに憂いに満ちた悲劇のヒロイン感はなかった。
考えてみれば小さいうちにお母様が亡くなって、お姉さんがお嫁に行き、お父様は多忙、兄ひとりは病気でもうひとりは女嫌い、っていうのは家族としてどうなのかしら。おかわいそうに、あんまり未練がなかったりして。
「(でもそうなると、男爵が危惧していたような内戦は起きそうにないよね。ジェームズ王子が継げるのなら、別にアーサー王太子やヘンリー王子にお子様ができなくてもいいんじゃない?)」
光明が見えた気がして隣のモーリス君に小声でささやいたけど、美しい顔は浮かない表情を浮かべていた。
「(そうとも言い切れません。北の国は長い間敵国だった上に、内戦では赤軍派に肩入れしましたから、特に旧白軍派貴族の間での不満は大きいでしょう。亡き王妃殿下の妹君アン王女とサリー伯爵の息子、トマス・ハワード・ジュニアが対抗馬として担がれる可能性は残っています。)」
そういえば男爵もこの話をしていたと思う。わが子可愛さでサリー伯爵はヘンリー王子の子作りプロジェクトを妨害するだろうという読みだった気がする。本当かどうかは知らないけど。
「(でもトマス・ハワード・ジュニアは王妃殿下から見ても甥でしょう?血統的には孫のジェームズ王子が優位なはずよ?)」
「(はい、もちろんです。ですが、南の国も北のジェームズ王子が二カ国の王に即位するのを望んでいないので、介入に踏み切りかねません。)」
確かにアーサー王太子に嫁いで同盟を結んでいる姫様の実家からしたら、何の血縁もない北の王子が継ぐのは最悪の展開よね。
北へのマーガレット王女のお輿入れはそもそも停戦の象徴だったし、今日たまたま北と南の大使に遭遇した私の目には、二つの国は仲が良さそうにはみえなかった。プエブラ博士は間者騒動までおこして北のせいにしていたし。
「まあ、ひそひそ話はおやめになって。あら、さてはエリーをどうたぶらかそうか、企んでいらっしゃるのね。」
「「違います!!」」
いつの間にかリュートを持って台座に戻っていた王女様が、また可愛らしい笑顔で可愛くないことをおっしゃった。リュートは思ったより装飾の少ないシンプルなタイプだったけど、上等そうな綺麗な木目をしている。
本来は王族の前でひそひそ話をするのは重大なマナー違反だけど、さっきから私達はペースを崩されがちだった。ペースと言えば・・・
「そういえば、私はエリーの、いえ、レディ・グレイの診察に参りましたので、殿下のリュートを拝聴させていただきたいのはやまやまですが、もしよろしければ診察の後にしていただいてもよろしいでしょうか。」
さっきから話が脱線して、私は本来の目的をあやうく忘れるところだった。
「あらあら、『診察』だなんて、なんだかなまめかしい響きですのね。リディントンに筋肉がお有りだったら、わたくしも『診察』されてみたいなどと思ってしまうところでしてよ。ふふふ。」
妖精さんは妖艶に微笑んだ。ほんとに12歳だよね?今どきの12歳ってどうなっているの?
「なまめかしいって・・・お言葉ですが、いくらご成婚が近いにしても、未来の王妃となると先方から純潔・貞淑を要求されてしまうのではありませんか?殿下のご表現で誤解を招かないよう、侍女の方もお気をつけになったほうが・・・」
このかわいい妖精さんは自分の言っていることのニュアンスをどこまでわかっているのかしら。
私の発言にまたきょとんとしたメアリー王女を制して、シルバーブロンドの侍女が前に出た。
「いいえ。アングレーム伯爵は著名な文化人ではあれど、女性関係がとても派手なお方ですわ。いつも複数の愛人を伴っておられるとのこと。メアリー様が純真なままでは手玉にとられてしまいますわ。喰うか喰われるかの戦いなのです。」
「そうはいっても・・・」
確かに東の国はそこらへんが緩いと聞いたことがあった。でも相手の女遊びが激しいからこっちも男を知っておくっていうのはどうなのかしら。政略結婚って難しい。
もし自分が政略結婚にいく身だったらどうしようと考えて、私は言葉につまってしまったけど、メアリー王女は相変わらずの妖精みたいな笑顔をみせた。
「あら、もちろん、王子が生まれたら私だって好きにさせていただくの。王妃の義務を果たしたら、わたくしもチャーリーとめくるめく夜をすごすつもりでしてよ。」
「チャーリーって・・・まさか・・・」
あの人ではありませんようにと神様に祈る。仏様にも祈る。あと他に祈る対象ないかしら・・・
「ええ、チャールズ・ブランドンはわたくしと一緒に東の国へ来ることになっていますの。アニーと結婚して、ゆくゆくはわたくしの愛人になる予定でしてよ。」
「!?!?」
言葉を失った私は、ギシギシと首を横に回して、隣でカタカタ震えているモーリスくんと目をあわせた。
たくさんの小さなキャンドルに彩られたクリーム色の暖かい部屋で、鳥肌を立てた私達は、お互いの恐怖に見開かれた目を見つめ合って震えた。




