CCXXIX 解説者モーリス・セントジョン
ヒューさんが北棟に入る手続きをしてくれている段になって、私はモーリス君に全く状況を説明していなかったことを思い出した。
「あのねモーリス君、メアリー王女殿下の侍女の一人が腰を痛めたそうで、私はできるだけ早くマッサージで治療して上げたいのだけど、私は男の格好だしルイス・リディントンは医者ではないから、レディを触るのは難しそうでちょっと困っているの。モーリス君はメアリー王女殿下ともはとこ同士よね。侍女の方もご知り合いかもしれないし、できたら私を紹介してくれないかしら。」
名門出身のモーリス君なら知り合いも多いと思う。女所帯だったらモーリス君の美男子力も通用するんじゃないかしら。
「聖女様、すばらしいお心がけ、お心遣いです。微力ながら治癒のお手伝いをさせていただきますね。僕はメアリー様とは昔から面識がありますから、お話をしてみましょう。なかなかユニークなお方で僕とはあまり親しくなされませんが、たいそう利発でいらっしゃるので聖女様をお気に入りになるかもしれません。」
「ユニーク・・・」
あんまりいい予感がしない。モーリス君はすこし理屈っぽくてちょっと堅物なところがあるけどとってもいい人で、彼と仲良くできない人は『ルイーズと話しているとときどき被告人になったみたいな気分になるの』とウルスラに言われたことのある私ともうまくやっていけない気がする。モーリス君を煙たがっていた王子はなぜか私を気に入っているけど。
「主な侍女は三人いますが、僕の親類と呼べるのは一人だけですね。ドーセット侯爵家のレディ・エリザベス・グレイは、侯爵に嫁いだ僕の叔母の義理の妹に当たります。」
「エリーのことね!侯爵家だったなんて知らなかったわ。ルイス・リディントンとして会っているから、モーリス君が私の腕前を紹介してくれたらちょうどいいと思う。」
エリーはやっぱり名門の出身だったのね!確かに貴族的な感じがしていたけど。
「そう言えば、東棟の庭園でお会いされたのでしたね。もう一人のレディ・アン・ブラウンはそのレディ・エリザベスのはとこにあたりますが、僕からみると血縁はかなり遠くなります。彼女はスタンリー卿のはとこでもありますね。レディ・アンのお母様のレディ・ルーシーは断絶したベッドフォード公爵家の血を引く旧白軍派の有力者なのですが、どうも国王陛下と折り合いが悪いようでして、うちやアンソニーの家のような旧赤軍派の貴族ともあまり交流がありません。」
「そう・・・」
スタンリー家はもともと白軍だったけど、色々あって今は白軍派の貴族と仲が良くないから、スタンリー卿に紹介は頼むのは気が引けた。
「残りのレディ・アン・スタッフォードはバッキンガム公爵の末の妹で、ペンブローク伯爵家に嫁いでいましたが夫君が若くして亡くなり、侍女に復帰しています。公爵やレディ・アンは亡くなった王妃殿下のいとこにあたり・・・」
「ちょっとまって、頭の中でもう家系図がぐちゃぐちゃなの。」
弁護士のお父様の手伝いをしてきて、家系図は嫌というほど見てきたけど、三人分フルで紹介されても困る。
「つまり、モーリス君は残りの二人は知らないのね。それじゃあ、その二人が腰を痛めていた場合は、エリーを経由してなんとかしてもらいましょう。」
「そうですね。しかしエリー呼びとは、随分と親しくなられたのですね。」
モーリス君は驚いているみたいだった。建物の近くに来て綺麗な顔が見えるようになってきたから、さっきよりも表情がわかりやすい。
「いいえ、一度恋のお話を聞いてあげただけよ。もちろん私は本人の前ではレディ・グレイって呼ぶわ。心のなかでエリーって呼んでいるの。」
「恋ですか・・・その、メアリー様の周辺は、若干あけすけといいますか、積極的な方が多いので・・・聖女様は驚かれるかもしれませんが・・・」
モーリス君は酸っぱい顔をした。珍しいけどこの顔もいいと思う。
「そう?エリーはそんな印象はなかったけど。」
たしかにエリーは恋人のジェラルド・フィッツジェラルドの浮気相手(?)を調べに、女人禁制の東棟にきていた情熱的な子だけど、そんな軽いイメージではなかったと思う。
「そうですね、恋多き方ではありますが、三人のなかでは一番まともな考えの持ち主かと思います。身内びいきがはいっているかもしれませんが。」
どうやらモーリス君は残りの二人も知らないわけではないみたいだった。単純に仲が良くないのかもしれない。バッキンガム公爵家もたしか白軍派だったし、国王陛下と王妃殿下の結婚の後も二つの派閥はあんまり交流がないのかしら。
「そっか・・・まあ私は女だし、モーリスくんが言い寄られたら護ってあげるね。」
「その心配はあまりないと思いますが・・・ありがとうございます、聖女様。今回の治癒がうまくいけば、アーサー様の治癒に向けても一歩前進になるでしょう。」
「そうね!」
考えてみればモーリス君は私が頼む前から私にアーサー様を診療させようと頑張っていたのよね。心強い味方。
「モーリス君、王太子殿下にもマッサージをして差し上げたいのだけど、そっちの面では進展はあった?」
「前向きになっていただけて嬉しいです、聖女様。このモーリス・セントジョン、必ずや機会をご用意いたします。先程も僕は聖女様を推薦申し上げたのですが、横槍が入ってしまいまして・・・」
モーリス君の笑顔が曇った。
まさか、サリー伯爵か私を監視するジェラルド・フィッツジェラルドあたりが気づいたのかしら。向こうは私を知っているのに私はふたりとも姿がわからないから、なんだか想像が膨らんで怖くなる。
「横槍って?」
「ええ、王太子妃殿下付のマリア・デ・サリナスが南の国の女医をアーサー様に紹介しまして、そちらには医学博士であるプエブラ大使の正式な推薦があるので、そちらが先にアーサー様にお目にかかるようなのです。」
私を逮捕しようとする人たちは関係ないみたいで、少しほっとする。それにしても、プエブラ博士の博士号は医学だったのね。マリア・デ・サリナスって誰かしら。姫様のところには侍女がいっぱいいたけど、ドナ・エルヴィラ以外は誰も名乗ってくれなかったし。
「やっぱり女医っているのね。そういえば南の国は女王様がおさめているんだっけ・・・そしてやっぱりアーサー王太子殿下は女性と普通に交流できるのね。」
「ええ、ヘンリー様とは状況が違います。もちろんご既婚ながらお渡りが少ないということがあって、キャサリン様への配慮からかアーサー様周辺の女性常駐職員は減らされていますが、それでも女官がアーサー様を訪れることはあります。病気をされてからはだいぶ減りましたね・・・」
そういえば、昼に姫様が大根役者っぷりを見せてくれたときの設定は『アーサー様がお渡りした』という感じだった気がする。実際にはお渡りはないにしても、あっても不自然ではないのね。
「そう・・・そんなことより、プエブラ博士を信用してはいけないわ。なにかひどいことを企んでいるかもしれないの。」
昼は偽物の間者を放って宮殿を混乱させていたし、お世継ぎがほしいのは本当にしても姫様に『演技』をさせていたくらいだから、王太子様に媚薬をもるくらいのことは平気でしてくるかもしれない。
「僕も良くない気がしています。プエブラ博士にお会いしたのですか。」
「ええ、姫様の猫を拾ったのがきっかけで昼食に招いて頂いたの。プエブラ博士はイタズラで私を怖がらせた上に、私の分のタルトを食べちゃったの。全然信用できないわ。」
覚えてらっしゃい、博士、食べ物の恨みは恐ろしいのよ・・・
そういえばお腹が空いていたのを思い出しちゃった。メアリー王女は何かごちそうしてくれないかしら。
「聖女様を苦しめるなんて、許しがたい行いです!僕が全力を尽くして、南の女医を妨害しましょう。」
「そうね。プエブラ博士の手下にはきっとろくな人がいないわ。それに彼らは絶対に子供のことしか考えていないから、アーサー様自身のためを思ったら、その女医には警戒すべきだと思うの。」
それに自慢じゃないけど南の国の怪しい医者よりも私のマッサージの方が効くんじゃないかと思う。現世のお医者さんの実力は未知数だけど、現にアーサー王太子の診断は『原因も治療法もよくわからない』っていう感じらしいし。
「ルイーズ様、セントジョン様、手続きが終わりました。メアリー王女殿下ご本人とご対面いただけます。」
扉が開いて、ヒューさんが私達を招き入れた。いよいよ王女様と対面するみたい。
「ありがとう、ヒューさん。さあ行きましょう、モーリス君!」
二人を連れ添って、私は初めて北棟に足を踏み入れた。
*今までの侍女たちの活躍(?)については次の章をご参照ください。
XCVIII 侍女エリザベス・グレイ
XCIX 紳士ルイス・リディントン
CIII 侍女アン・ブラウン
CXXIV 弁護士サー・トマス・モア
CXXX 侍女マリア・デ・サリナス
CXCV 傾聴者マリア・デ・サリナス




