CCXXVIII 先導者ヒュー・モードリン
北棟に向かっている途中、ヒューさんは私の顔色を伺うように振り向いた。暗いから顔色なんてわからないと思うけど。
「あらためてお疲れさまでした、ルイーズ様。ところで、剣士は確かに元気になったように見えましたが、ひょっとすると魔法をお使いになられましたか。」
「ありがとう。マッサージのこと?いいえ、していないわ。髪を拭いてあげて、うがいをしてもらっただけ。」
強いて言えばかゆいと言われたところを掻いてあげたけど、マッサージらしいことはほとんどしなかったと思う。
「そうですか。今一度ご忠告申し上げますが、魔法によりルイーズ様の配下の者が増えるのは良いことばかりではありません。目立ちすぎると本来の業務に支障をきたしますゆえ。現に我々はウィロビー閣下の扱いに困っております。」
配下って、ヒューさんのマッサージ信仰がちょっと怖くなるけど、
「マッサージで子分を増やしているつもりはないのだけど・・・そうね、アンソニー二号が生まれたら厄介ね・・・」
マッサージを必要としている人にはしてあげたいと思う。でも私の都合を考えずに突撃してくるアンソニーは、秘密を護ってくれているかも怪しいしけっこう困らされていた。そもそもアンソニーはモーリスくん達と違ってマッサージの需要がなかったのよね。
「わかっていただけて幸いです。そして、メアリー女王のところにはどういったご用件で。」
「サー・アンドリューに頼まれたのだけど、メアリー王女殿下の侍女の方が腰を痛めたそうなの。まさにこれからマッサージをしようと思っていたのだけど・・・」
考えてみれば、医者でもない私が『今からマッサージしますね!』なんていって侍女の方はOKをくれるかしら。強引にするわけにもいかないし・・・
「侍女となると、まさか魔法は同性にも有効なのですか?道を踏み外してしまうようなことは・・・」
「ありません。あなたの上司の男爵にもマッサージしたけど、道を踏み外していないでしょう?それに、愛情の形は人それぞれで、『道を踏み外す』なんていい方をしてはいけないと思うわ。」
マッサージが男性限定という勘違いはどこから来るのかしら。たしかにノリッジで施術した人は大半が親戚の男性で、女性で相手をしたのは女中のアメリアとはとこのブリジット、それにお母様くらい。マッサージが大好きだったおじい様や大叔父様達と違って、お母様たちは公にはマッサージの話を他の人にしていないと思うから、記録の上では男性向けに見えるのかもしれない。
「男爵は今やだいぶ道を踏み外しかかっている気がいたしますが・・・いずれにせよ、メアリー王女周辺に味方が増えると思えば政治的に好ましいのはたしかです。ですが、ルイーズ様はルイス・リディントンとして魔法をかけるおつもりですか?」
「男爵は元からずれていたから、なにか踏み外しても私のせいじゃないと思うわ。でもそうね、男の格好でレディのマッサージをするのが問題ね。」
レディを若い男性従者が手で触れて治療する、しかも医者の肩書がない、となると色々噂が立てられそう。女性の医者なんて聞いたことがないから、若い女性でも男性医師が診察していると思うけど。私やお母様は大きな病気をしたことがないから現世の医者事情はよくわからない。
「ヒューさん、東棟に戻って女性の格好にもどれないかしら。でも教会付き小間使いがいきなり王女殿下の侍女を訪れるのも変ね・・・」
「残念ですが、ヘンリー王子殿下をお迎えする前に東棟は各部屋に点検が入っています。今夜のうちは難しいかと。大義名分という意味では、消火の陣頭指揮をとったルイス・リディントン様が、ウィンスロー男爵の代理としてメアリー王女殿下のご様子を伺う、というのは極めて自然かと思います。」
「そうね・・・」
挨拶はできるけど、『私には医療の心得がありまして・・・』から侍女の方をマッサージするまでの展開が思いつかない。こうなるんだったら、男爵には『母方の祖父が旅の医者』なんて回りくどい設定じゃなくて、私自身が医者ってことにしてもらえればよかった。
「せめて推薦があればと思うんだけど・・・でも男爵はあてにならないし・・・ねえヒューさん、あの影はモーリス君じゃない?高位貴族のモーリス君なら私を紹介してもらえるんじゃないかしら。」
西棟方面からモーリスくんくらいの背格好の影が歩いていた。ためしに手を振ってみる。
影はふと立ち止まって、うれしそうにこっちに駆けてきた。
「聖女様、神の御加護のもと素晴らしいご活躍でした!この奇跡に居合わせることができて、僕はもう感無量です!聖女様の名に違わず多くの人々を災いから救っていただき、本当にありがとうございました!」
「(モーリス君、お願いだからリディントンって呼んで。」」
びっくりして周りを見渡したけど、聖女様発言にぎょっとしていそうな衛兵の影は見当たらないし、そもそも私が誰だかわからないと思う。
「申し訳ありません。僕は避難先のアーサー様のお側にお控えしておりまして、聞こえてくる聖女様の掛け声を頼もしく思いつつも、お困りのときに力添えができませんでした。アンソニーとグリフィスが代わってくれたので、こうして聖女様のご無事を確認に参った次第です。」
「そうだったのね。でも私の身は心配ないし、人手が欲しかったのは力仕事が多かったから、モーリス君が王太子殿下のところにいたのはベストだったと思うの。あのブランドンにだいぶ助けてもらったのはちょっと悔しいけど。」
モーリス君はきっと無理してまた肩を痛めていたと思うから、むしろあの場にいなくてよかったと思う。
「あと、この緑のすてきなローブ、どうもありがとう。明るいところで確認していないけど、この姿で消火を指揮したから、ひょっとしたら汚れているかもしれないわ。」
最後の万歳のときに『緑の騎士』なんて掛け声がかかったけど、モーリス君のイメージカラーを奪ってしまったら申し訳ない気がする。
「ご心配にはお呼びません。このローブは僕の部屋の・・・」
「祭壇には絶対に飾らないでね。」
他の思春期の男の子が女の子の服をスーハーする間にモーリスくんは崇拝してしまうから厄介なのよね。
「そうですか、では教会に献上して・・・」
「普通に着てほしいわ。この服はモーリス君の瞳の色にあっているし、モーリスくんがこれをきているところが見たいわ。そのほうがいいと思うの。」
油断していると私の博物館を建設し始めそうだから、念のため釘をさしておく。
「・・・そこまでおっしゃるのであれば、このモーリス・セントジョン、聖女様に賜った御衣に恥じない振る舞いを精一杯心がけます。」
モーリスくんが膝をついて礼をした。賜ったって、そもそもモーリス君の服なんだけど・・・
「ええと・・・じゃあ、それでよろしくね?この前のブリーチもそうしてほしいんだけど。」
「・・・善処いたします。」
とりあえず着たものの展示を回避した私は、モーリス君という味方を加えてメアリー王女殿下のもとに向かった。




