CCXXVII 祖父ローランド・フィッツユースタス
暗い空間に、俺は一人で佇んでいた。
「俺は、死んだのか・・・」
結局焼死したのか水死したのかわからないが、俺はあのまま火事現場で命をおとしたのだろう。
ルイザとはとうとう結婚できなかったな。故郷に凱旋帰国するのが夢だったけど、でも地元で語り継がれるくらいには勇猛な死に様だったんじゃないかと思う。
そうなると、今度は弟が宮廷で過ごすんだろうか。アーサー様は素晴らしい方だが歳が離れるし、人質の契約はどうなるんだろうな。親父が俺の死因を疑って変なことを考えないといいが。
ルクレツィア・ランゴバルドとルイーズ・レミントンの魔女二人を討伐できなかったのも心残りだ。アンソニーが魔女に操られている今、アーサー様の安全はラドクリフに後を託すしか無いのか。アンソニーもせっかく更生できそうだったのに。アーサー様はラドクリフに送り込まれた南の国の怪しい医者に惑わされないといいが。
考え事をしていると、遠くにじいちゃんの後ろ姿が見えた気がした。
「じいちゃん!じいちゃんか!?」
影は答えなかった。
「俺、じいちゃんみたいな英雄にはなれんかったけど、勇者として最期を飾れたって思うとる。正直言うと童貞のままやし、親父より先に逝くのは親不孝やけど・・・じいちゃん?」
じいちゃんの影が俺に走り寄ってくる感覚があって・・・
腹を思い切り殴られた。
「ぐあっ!!」
なんでだよ、じいちゃん!そこまでしなくたっていいだろ?
痛い・・・死んでも腹はいたいのか・・・
「ずぶぬれですね・・・すみません、私はウィンスロー男爵の副官のルイス・リディントンです。お具合はいかがですか?」
なんだか耳元ですごく綺麗な、優しい声がした。天使が迎えにきたんだろうか。じいちゃんに殴られた俺を心配してくれるみたいだ。
・・・ウィンスロー?名前はリヴィングストンと聞こえたが?
「・・・り・・・ぐ・・・?」
周りはまだ真っ暗だったけど、どうやら俺は天国じゃなくて中庭にいることを理解し始めた。目の前の小柄な男の影は、ウィンスローの副官らしい。姓からしてルイザの関係者だろうか。
それにしても、生きていたのか、俺。さっきのじいちゃんのパンチは目を覚ませって意味だったのかもしれない。
「煙を吸っていませんよね。それが心配なのですが。」
天使改め副官は俺の心配を始めた。少年の声にちょっとときめいてしまったことにすこしヒヤッとする。俺は下心で少年合唱団のパトロンをやっているヘンリー王子とは違うのだ。
「ヒューさん!!!ヒューさん!!!」
とつぜん耳元で爆音が鳴り響いた。
「噴水までビールをもってきてください!!!大きめのカップで!!!」
鼓膜が破れる・・・
そうか、この声は、さっき避難を呼びかけていた男だ。池の北側でなんだかよくわからない番号を口にしながら消火の指揮をとっていたのもこの副官だと思う。
「・・・う・・・るさ・・・」
とりあえずあの音量をもう一度耳元で発されたら、またじいちゃんがみえる自信がある。
「今飲み物を持ってきてもらいますね。それよりも、このまま濡れていたら風邪をひきます。これは患部を覆うための麻布で、木綿より肌触りがよくないかもしれませんけど、失礼します。」
何をいっているのかよくわからなかったが、声量が元にもどるとさっきのいい声だった。ルイザもこんな声だといいな。
すこしして、ちょっとくすぐったいような、それでいて嫌ではないような感覚が胸から腹にかけてあった。体を拭いてくれているようだ。
「・・・ん・・・」
人質生活の長い俺は大抵のことはマクギネス達の助けがなくてもできるから、こうして体を拭かれることも無かった。すこし変な感じでちょっとむず痒いが、なんだかやさしいタッチで、きめ細やかな感じがする。大切にされている感じがけっこういいなと思う。そういえば王族は風呂係がいるんだったな、ちょっとうらやましい。
でもこの贅沢に慣れたらヘンリー王子のように堕落するかもしれない。
「次に足の方も・・・あれ、やけどしましたか?」
副官は俺の足が火傷をしていることに気がついたようだった。さっきまで溺れ死ぬかとおもっていたから自分でも忘れていたが、言われてみれば鈍い痛みがある。結構火傷していたと思う。火の中に足をついたからな。
「この足であの剣舞をしていたなんて、ほんとに余・・・頑張りましたね。今のところは、足を水に付けておきましょう。担架で運ばれたら、足の火傷を診てもらってください。」
今までの人質生活で、マクギネス達身内の人間とアーサー様以外からこんなに優しくされたことなんてあっただろうか。思えば、俺はあんなにがんばったのに、鎮火から今までここで放って置かれたんだな。弱っているとこにこういうねぎらいの言葉をもらえるのは結構嬉しい。
ちゃぷんと音がして、俺の足が池につけられたようだった。かなりしみる。
「・・・う・・・」
「剣舞、かっこよかったですよ。髪も拭いていきますね。」
俺の気を紛らわせようとする優しさが感じられて、ちょっと泣きそうになった。俺にはルイザがいるが、この副官が女だったら衝動的にプロポーズしてそうなところだ。
消火にあたっていた副官の服からは当然土埃や煙や油の匂いもすこしするけど、それとは別に柑橘系のいい匂いもする。消火に駆け回っていたにしては全然汗っぽくなくて、全く不快じゃない。いつまでも嗅いでいられそうな・・・
違う、俺はヘンリー王子とは違う、断じて男の匂いを嗅ぐような変態ではない。
「毛先が火の粉を拾ったみたいですね、髪先がすこし縮れています。」
最期に髪をこうして触られるのもだいぶ昔のことだった気がした。副官はやたらと髪を拭くのがうまくて、なんだかすごく癒やされる。ときどき気持ちいいというか、こそばゆいような感覚になって、癖になりそうだ。
「・・・んんっ・・・」
少し恥ずかしい声がでて、おもわず疲れた手で口を塞いだ。さっきまで勇者のつもりだったのに、なんだか甘えん坊の5歳児みたいになっていないか、俺。
「気になるところはありますか?」
なんだかさっきからこの副官のすることなすことが天使みたいにみえてくる。考えてみれば天使って男なんだよな。
「かゆ・・・い・・・」
石に載せていた後頭部がさっきからちょっと痒かった。他の男に掻いてもらうなんてみっともないが、もうさっきから癒やされすぎて、騎士としての体面を保つことをすっかり放棄していた。
「かゆいのは・・・後頭部ですか?ここは?」
優しく、でも程よい強さで、痒かったところに指先が当てられる。痒いところをかかれるのって、こんなに気持ちいいんだな・・・
「ほあっ・・・」
・・・
待て、今の音は俺の口からでたのか?
さすがに恥ずかしくなる。『ほあっ』ってなんだ、『ほあっ』って。騎士としてはせめて『うぐっ』くらいにとどめておきたかった。こんなんじゃ伯爵感ゼロの田舎者って思われる。悔しい・・・
悶絶する俺の頭を相手に副官は手を緩めなかった。癒やされすぎて困る。もう開き直って甘えてしまおうか。
俺は周りが心配したほどホームシックにならなかったし、小さいころもあまり人に甘えた記憶はない。家族とは離れ離れだが、愛情に飢えていたとかいう自覚もない。だからさっきから俺が退化しているのは多分俺のせいじゃない。
「ルイー・・・ス様、エールをお持ちしました。」
衛兵がエールを持ってきたようだ。ウィンスローの副官となると普段は文官だろうから、衛兵にしてみれば名前があやふやなのかもしれない。
ビールの到着を合図に副官の手が止まってしまって、すっかり悦に入っていた俺はちょっと残念に思った。
「ありがとうヒューさん。剣士さん、ウガイできますか?」
「・・・ウガイ・・・・?」
ウガイってなんだ?本土で流行っているのか?ここは格好をつけてできるといいたいが、経験があるふりをしていたのがバレたときの嫌な記憶が蘇る。
「ガラガラッペッテ・・・」
「・・・ガラガラ?・・・」
副官はなんだか古典的な響きの言葉を口にした。なんだかよくわからないけど専門的だ。この副官は教養もあるんだな。もう完璧じゃないか。所属が違うからか、なんだかラドクリフと違って嫉妬の感情がわかない。
「ビールを口に含んで、口をゆすいで、はき出してください。」
思ったより簡単なことのようだ。本土の人間はなんで飲まずにそんな使い方をするのかわからないが、ここはおとなしく従っておこうと思う。
と思ったら、副官の膝に俺の頭が載せられた。多分水平に寝たままだとエールを飲ませづらいと思ったんだろう。
男の太腿ってこんなに柔らかいのか?服の上からだけど気のせいか肌の感じがつたわってくる気がする。なんだかいい匂いもする。ちょっといいかもしれない。石のせいでもともと上がっていた体温がさらに上がった気がした。
「よくできましたね、お口をふきましょうね。」
ウガイを完璧にやってみせた俺に、副官はやさしく口元を拭いてくれた。もはや赤ちゃん扱いだが、もっとしてほしいと思ってしまう情けない自分がいる。俺ってこんな甘えん坊な面があったのか。でもこの男が乳母だったらまっすぐで素直な騎士に成長しただろうな。こんなに優しくされて、五感を刺激されて、俺はもう・・・
違う、俺はヘンリー王子とは違う。俺にはルイザがいる。天使は男だ。あれ・・・
「担架がきました。」
衛兵がまた声をあげて、俺の頭はいい感じの太腿からゆっくりとどかされてしまった。名残惜しい。
「よかった。剣士さんは足に火傷があるようなので、搬送先でさっきのように治療してもらってください。私は腰を痛めた侍女さんのところに向かいますね。」
そんな・・・副官改め天使は俺についてきてくれないのか。俺を5歳児にしておいて無責任じゃないのか。
さっきから心のなかで副官って呼んでいたのが申し訳なくなってきた。名前は知っておきたい。
「名を・・・」
「私はヨーマスのルイス・リディントン。ヘンリー王子殿下の従者で、ウィンスロー男爵の副官を務めさせて頂いております。以後お見知りおきを。」
リディントン、リヴィングストンじゃなかったか。そうなるとルイザとは赤の他人だろうか。
「・・・り・・・る・・・」
息があがっていてうまく話せない。
待て、さっきヘンリー王子の従者って言ったか?この天使をあのヘンリー王子の側に置いたら・・・まずい。笑顔のうちに辞めさせなければ。
「無理して自己紹介しないで大丈夫ですよ。それでは失礼します。お体にお気をつけて。ヒューさん、メアリー王女一行の避難先はわかりますか。」
引き止めたい俺の意思をくみとってもらえないまま、担架に載せられた俺は運び出されてしまった。
困った、このままだと天使が王子の餌食になってしまう。天使はあんな俗物王子に汚されてはいけないのに。
ただ名前もわかったことだし、ダドリー様に聞けば人事のことは大体分かる。天使を王子の魔の手から救い出して、同僚としての健全なつきあいをするのだ。
もちろんこれは浮気じゃない。ルイザは一目惚れだったが、リディントンは暗くて見た目がよくわからなかった。だからリディントンに抱きつきたいような衝動はない。まあ抱きついてもらえるなら拒みはしない、という程度だ。やっぱり視覚は重要だな。ヘンリー王子のお付きとなると、見た目も整っている可能性はあるが、ルイザの神々しさにはかなわないだろう。なによりリディントンは男だ。
今回の活躍で、リディントンには軍から勧誘がかかると思う。ダドリー様かサリー伯爵に頼んで同じ部隊にしれっと入隊させてもらうことだってできる。最近は紛争なんて滅多に無いから、たまに演習があるくらいだと思う。そしたらリディントンと遠征したり野営したりできる。頼めばきっと髪だって拭いてもらえる。
女神なルイザは屋敷で可愛がり、天使なリディントンに職場で甘やかしてもらう。島に戻るのは軍務を理由に先送りしよう。もちろん同僚との甘いシーンを目撃されて勘違いされないように気をつけないといけないが、最高の暮らしじゃないか。
「えへっ・・・」
「・・・頭のお具合はいかがですか。」
衛兵が失礼なことを聞いてきた。
「大丈夫です。俺はいたって健全な男子です。」
そう、俺はヘンリー王子とは違う。リディントンは汚れなき天使として尊重しないといけない。あのヘンリー王子にみだらなことをされるなど許されないのだ。
俺は担架で運ばれながら、リディントン救出計画を立て始めた。




