CCXXV 案内人エイブラハム・ハーシュマン
「キンカーディン大使様、こちらへ。」
衛兵の制服を着込んだハーシュマンが、同じ格好の私とドナルドを先導した。
中庭での王太子の行進をきっかけに、各棟の警備がゆるくなることは計算されていた。さらに中庭で騒ぎがあったとの合図があり、これを機に東棟に侵入しようとしたが、逆に警備が強化され、棟の外で足止めを食らっていたところだった。
ところが、目の前の門でもみ合う声が聞こえた後、扉が開放され、門を護っていた衛兵は走って散らばっていく。混乱する衛兵の騒ぎを聞く限り、どうやら中庭で火事のようだ。
誰もいないままのホールを通過し、東棟と南棟をつなぐ塔に我々は入り込んだ。
「(ヘンリー王子の避難を補助するという名目で、王子一行の脱出後に部屋に入り込みましょう。まずは二階に参ります。)」
道案内のみを頼むつもりでいたが、ハーシュマンは手際が良い。周りに人はいないが小声に落としている。
「(普段はここを上がった二階に警護がおりますが、おそらくは王子に付き添いにいっているはずです。ヘンリー王子一行とすれ違わなければ大丈夫でしょう。)」
「(わかった。)」
本来なら新入りで南出身の工作員を信用するのはためらうが、無事に鎮火されるならば今は千載一遇の好機である。躊躇していたら火がまわってしまう可能性もあった。
我々は階段を上がった。まわりの騒ぎのおかげで、足音を気にする必要はない。
「(キンカーディン様、誰かが倒れています。)」
先頭を歩いていたドナルドが声を上げる。
思わず目をやると、階段を上りきったところに一人の大男が転がっていた。飛び散った木片が床に散らばり、まるで外から狙撃されたようだ。割れた窓から中庭の火が見える。まだ時間はあるようだ。
「しかし、おかしな光景だ。」
思わずつぶやく。
窓や床や男の格好からは、ついさっき攻撃され倒れされたような状況ではあった。
しかし、床に置かれたランタンも銃も、まるで丁寧に配置されたように置かれている。そして照らされた男の顔は、よくみると妙に安らかだ。
「息があります。」
ドナルドが声を上げる。一見すると外傷らしきものも見当たらず、とても幸せそうな顔をしている。
「・・・はふ・・・」
「(眠っているのか?しかしなぜここで?この時間に?この格好で?)」
「(この男は・・・衛兵ではありません。ヘンリー王子の従者、ヘンリー・ギルドフォードです。)」
ハーシュマンが当惑したような声をあげた。
混乱するのも当然だろう。ヘンリー王子の従者がなぜか東棟の端でダウンしている。怪我はなく痺れ薬かなにかに苦しんでいる様子はない。格好からして少なくともここで昼寝をするつもりではなかったのはたしかだろう。
「(推測してもきりがない。当初の目的に戻るとしよう。ハーシュマン、王子の部屋まで先導してくれ。」
このまま誘拐するのは難しくないかもしれないが、こちらに有利に働く保障はなかった。
謎の男を床に寝かせたまま、我々は廊下を走った。
「(鍵があいています!)」
ドアを開けるための道具を持ってきていたドナルドが、拍子抜けした声を上げた。
我々にとって都合がよすぎることに、王子一行は鍵さえかけずに逃げたようだった。どうも警戒心にかけることは情報として入っていたが、さすがに驚く。
「中には人一人の気配もありません。」
ドナルドの案内で我々は堂々と部屋に入った。
「やたらと調度品が多いな。」
明かりは消されていたが、ランタンの明かりでも分かるほど豪華絢爛な部屋だった。装飾の派手な革張りの椅子が堂々と鎮座し、その上に鹿の頭の剥製が不気味に我々を見下ろしている。
我々のランタンを真鍮のシャンデリアや燭台が照らし返す。調度品の絵画や壺、楽器の密度が高く、気をつけて歩かないと破損してしまうだろう。寄木細工の天井に、壁には華やかなタペストリーがかかる。奥のベッドは威風堂々とした作りの大きなもので、王子の相手をする少年が腰掛けたら足が浮いてしまうような高さがあった。
ものが多いというのは良いことだ。後のチェックでリストに無いものが加わっていても騒ぐ人間は少ないだろう。
「ドナルド、手早く設置してくれ。」
「はい。」
ドナルドは手際よくベッドに近い窓枠の木の部分に小さな穴をあけた。
長く細い針金を穴に通していく。針金は予め木組みの色で塗られてあった。部屋にのこる部分の針金は窓枠に加えタペストリーをかける部分の金具に並行させて目立たなくさせ、先のコップ状の部分はベッドの木組みに取り付けられた。
「模様替えがないことを祈るが。」
「ヘンリー王子は東から登る朝日で目覚めるようにしていました。もともと朝が強くないので。おそらくベッドはこの場所からあまり動かないでしょう。」
彼は王子の部屋自体にはいったことは無いと言うが、それでもハーシュマンがいたのは心強かった。
「中庭で火事です!!外側に避難してください!!」
外から大声で避難が呼びかけられている。王子一行が避難したとはいえ、何者かが部屋を見に来てもおかしくない頃合いだ。
「しかし皮肉ですね。ドアの作りからして廊下にいるだけで中の声は聞こえるというのに、ここまでしないといけないとは。」
ハーシュマンはせっかく潜入に成功しながらも作業が小さいのが気に入らない様子だ。
「無理をしてジェームズ王子の評価に傷がついてはならない。気が付かれないことが最優先となる。四六時中廊下にいるわけには行かないだろうからな。だがもちろんそれだけが目的ではない。ドナルド。」
「はい。」
ドナルドは持ってきた道具を用いて、まずドアの鍵、そしてベッド横の窓の鍵に細工を加えた。窓にもう一つの小さな穴が開けられ、そこを通る組紐や針金によって外から窓が開くようにさせる仕組みのようだ。
「窓のガラスを替えますか?」
「そこまでしなくていい。重要なのは我々が覗き込むことではない。サリー伯爵一派が確証を持ち、かつフィリップ大公の一行が事態を認めざるを得なくなることだ。いずれもタイミングが一番重要な要素であり、そのために盗聴装置を最優先としている。」
なぜかその日ドアの鍵を掛け忘れたヘンリー・ノリスのせいで、たまたま部屋を通りかかった低地諸国の使節団一行が、偶然少年たちと愛し合っているヘンリー王子と遭遇する。それを受けて、ヘンリー王子とマルグレーテ公女との結婚話が流れ、国王陛下と以前から警告していたサリー伯爵の間に不和が生まれる。それが我々の考えたシナリオだ。
ベッドカーテンはどうしようもないが、ドアが開けばベッドの人影がどういう体勢かは分かる家具の配置だ。
「(誰か来たようだ。声を抑えろ。)」
廊下をペタペタ走る音が聞こえてきた。部屋の前で足音がとまる。
「ハル王子!聞こえたら返事をしてくれ!ハル王子!」
ドアが乱暴に叩かれる。ドナルドはとっさにクローゼットに身を隠した。私はベッドのカーテン裏に、ハーシュマンは近くのタペストリーの裏に入り込む。
「(・・・チャールズ・ブランドンです。)」
かつての主人の登場に、ハーシュマンは暗闇でもわかるくらいに顔を赤くし、かつ青くした。ブランドンは今日の東棟警備責任者で、いつもであれば私の優秀な工作員がベッドで足止めをしているはずだが、彼女は王太子妃の間男の調査にあたっているのでこの任務に全力を割けられない。
ドアは鍵が二つ着いており、中から両方とも鍵をかけた場合には、合鍵をもっていた場合もあけられないようになっている。しかし焦ったあまりこじ開けられた場合は対応が難しい。
「ハル王子!いるのか!?中にいるのは誰だ!?」
またドアが叩かれるが、壊される様子はない。
三人とも気配をけしていたつもりだったが、さすがに隠し通せないか。
「中庭で火事です!避難してください!」
外からも呼びかけが続いていた。
「火事だ!ハル王子の部屋にいる従者は全員が避難しろ!」
明らかに、『今思いついた!』と思ったのが分かる言い方で、ブランドンは我々をあぶり出しにかかった。
我々は沈黙する。そもそもブランドンの仕事は防諜ではないはずだった。ヘンリー王子がいないのであれば身柄の確保を最優先するはずだった。
部屋の前からブランドンが去る足音がする。なぜか裸足のようで、ペタペタという足音が隠せていない。
「部屋をでますか?」
「ハーシュマン、まだだ。東棟の廊下は見晴らしが良いし、松明が消されていない。我々の顔を見られてはならない。」
このまま焼け死ぬのは御免だが、この類の任務はこの部屋が疑われるだけで失敗する。逃げおおせても怪しまれればすべてが無駄になる。
「キンカーディン様、面白いものを見つけました。」
緊迫した空気の中で、ドナルドが興奮した子供のようにはしゃいで、クローゼットから躍り出た。
「この毛皮の入ったクローゼットの奥に秘密通路があり、その先の木の階段をすこし下りていったところ、南棟一階方面で洗面所に出られるようです。避難通路でしょうが、外に出る部分は見たところ頑丈ではありません。このルートは潜入に使えそうです。」
「なるほど。秘密の避難経路ほど警備のゆるい場所はないだろうな。とすると王子一行はこの通路で避難したのだろうか。」
しかし、秘密の通路がある一方で日頃の警戒が薄いところをみると、公明正大をアピールポイントとするヘンリー王子にはやましいところがあるのだろうか。美少年と密会するためのルートである可能性も捨てきれない。この宮殿は新しいが、一体なんのために設置されたのだろうか。
「あのヘンリー王子が通る道にしては狭いですね。万が一という感じでしょうか。ところで、私は鍵をつけるので、ハーシュマンさんはのぞき穴をテストしてもらえますか。」
ドナルドは返事をしながら、クローゼットの中から掛けられる鍵を設置にかかっていた。いつのまにのぞき穴をあけたのか。外からわからないか私もチェックをしたが、すくなくとも夜にランタンでは穴があるようには見えない。
「ハリー!!ハリー、しっかりしろ!脈はあるな・・・目を覚ませ!ハリー!」
廊下から必死の声が聞こえてきた。ブランドンはあのギルドフォードの場面に遭遇したのだろう。あの驚きがあれば、ヘンリー王子の部屋で不審な物音がしたことなど吹き飛んでしまうだろう。
「クローゼットの加工が終わり次第、北棟側から避難しよう。」
夜で、ギルドフォードが倒れていた場所からこの部屋までは距離がある。最悪後ろをむいていれば顔はわからないし、静かに立ち去れば気づかれない可能性もある。
首尾よくいった。アーチボルドもここまでうまくやれるとは思っていなかっただろう。
「キンカーディン様、私は脱出口にも加工をしたいので、秘密通路から逃げても良いでしょうか。」
ドナルドの急な提案はハイリスクだった。万が一脱出に失敗したらどうする。
「ドナルド、一度離れたら我々はお前を護ってやれない。脱出口が今でも機能している保障はないし、逆に出口で本物の衛兵に捕まるかもしれん。」
「危険は承知ですが、やるなら現場が混乱している今です。」
果たして現場は都合よく混乱しているだろうか。
「バカッ!!!バカバカ!やめて!!!ストップ!」
中庭方面から、ドナルドの言うことをまさに裏付ける声が上がった。
「・・・わかった、頼んだぞドナルド。すべてはジェームズ様の即位のためだ。」
「もちろんです。今晩打ち合わせた時間に盗聴器具のテストに集まりましょう。それでは。」
クローゼットの中に消えていくドナルドを見送ると、私とハーシュマンは廊下から北棟方面に速歩きでむかった。
*次回でルイーズ視点が再登場します。「光の中庭」編ではほぼ全員が登場しましたが、この後はルイーズ視点が元の割合に戻ります。
86話ぶりで登場した関連人物を忘れてしまった方は、ぜひ以下の章をご参照ください!
XCIII 退職者エイブラハム・ハーシュマン
CXI 大使ダグラス・キンカーディン=グラハム
CXII 縁戚エリザベス・グレイ
CXXXIX 協力者エイブラハム・ハーシュマン




