CCXXIII 人事担当ハーバート男爵
「火事だ!!避難しろ!!」
廊下に知らない人の低い声が聞こえた。俺は慌てて王子様の近くに駆け寄った。
「王子様、逃げましょう。この部屋は宝物でいっぱいなのに、残念だけど俺とノリスではたくさんは運べません。甲冑を運びますか、それとも絵画ですか。」
「心配いらない、コンプトン。どちらも必要ない。母上の形見は今もった。後は身一つで逃げよう。ノリス!」
王子様の決断力にはいつも感動する。しびれる。
ノリスを見ると、王子様の寝室の鍵をかけようとして、かなりてまどっていた。慌てているんだと思う。簡単に開かないようにできているから鍵を掛けるのも大変だ。
「鍵が・・・かけ終わらないんだ・・・」
「ノリス、鍵など放っておけ!」
「王子様?」
ノリスがきょとんとしている。
「私は第二王子でしかない。この部屋に国家機密になるようなものはない。借金の証書ならあるかもしれないが、そんなものは燃えてしまえばいい。ノリスの命のほうがずっと大事だ。」
王子様のこういう細かいところにこだわらないところとか、男らしくて格好いいと思う。
「さあ、ここを出よう!ノリスはランタンを持ってくれ。」
王子様に率いられて、俺とノリスは廊下に出た。
「王子様、北側に逃げましょう。さっきから南側が騒がしい気がします。」
窓がふさがれていて外の様子はよくわからなかった。でも静かな方向に避難するのは間違っていないと思う。
「王子!」
どこから現れたのか、ゲイジがいつのまにか近くを歩いていた。全身白いから夜に急に現れると幽霊みたいだ。持ち場を離れていたのはどうかと思うけど、王子様は早歩きをしながら嬉しそうに両手を広げた。
「ゲイジ!来てくれたのか!3階のフィッツウィリアムを頼めないか。寝込んでいるはずだ。私達は先に外に出る。」
フィッツウィリアムは旅先で具合を悪くして、三階の部屋で療養していた。こんな非常時でも部下思いの王子様はできた人だと思う。
「王子・・・外は・・・油断すると・・・リディントンに・・・馬乗りに・・・」
声が小さいのにボソボソとしゃべるゲイジの言うことを聞き取るのは難しい。
「大丈夫だゲイジ。私とコンプトンなら不審者が現れても倒せるだろう。もちろん火事場泥棒などに油断などしない。リディントンの安否は確かに気にかかる。フィッツウィリアムを迎えにいく途中で部屋を見ておいてくれ。馬には乗らない。そこまで遠くに避難する必要はないだろう。」
王子様とゲイジはいつも以心伝心だ。これだけのセリフから意味を解釈できる王子様はやっぱり只者じゃないと思う。だけど長文をしゃべっている場合じゃない気がする。
「王子様、とりあえず避難しましょう!」
「わかった。頼んだぞ、ゲイジ。」
「・・・気をつけて・・・乗っかられないように・・・リディントンに・・・」
「リディントン?」
さすがに今度は王子様の神通力でも意味がわからなかったみたいで、王子様は首を傾けた。
「中庭で火事です!外側に避難してください!」
急にリディントンの大声が宮殿に響いた。たぶん外側から呼びかけているんだと思う。王子様がなぜか笑顔になった。
「なるほど、外で避難の指揮をとっているのだな。リディントンは小柄で埋もれがちだからな。私に乗りたいといえば乗せてやろう。」
「・・・だめ・・・」
「心配するなゲイジ、私の身体は頑丈にできている。それよりもはやくフィッツウィリアムを助けてやってくれ。」
何かいいたそうだったゲイジは、一礼すると結局二文くらいしかしゃべらないままいなくなった。
「王子様、いいんですか、ゲイジは戦力になったのに。」
ノリスでもついていける速さで歩く王子様に話しかける。護衛についているのは俺とノリスだけだ。一階でギルドフォードを拾えればもう少し心強いんだけど。
「コンプトン、私はお前を信頼している。」
王子様は歩きながら俺の頭を撫でた。
「このウィリアム・コンプトン、絶対に王子様をお守りします!まずは階段を、気をつけておりましょう!」
俺たちは東棟北側の階段に到着していた。ここを降りれば外側にはすぐ出られる。
「中庭で火事です!避難してください!」
またリディントンの声が響いたけど、今度は近くにいたみたいで耳を思わず塞ぎたくなった。
「ウィンスロー男爵の命令だ!門を開けろ!」
別の誰かが大声をあげた。ちょうど俺たちが門の前に到着したタイミングで、南側から衛兵が到着して、門が開かれ始めていた。ウィンスロー男爵は行動が早いみたいだ。
「行きましょう、王子様。とりあえず庭園の東屋まで。」
あまり月明かりがなくて、外は思ったよりも暗かった。雨は降っていないけど、やっぱり王子様には屋根と座る場所を用意してさしあげたい。
俺達より先に避難した人はそんなにいなかったようだけど、庭園にちらほらとスカート姿の影がある。
「王子様、女払いをしますか?」
「・・・この状況では納得を得られないだろう。」
王子様の声はあまり元気ではなさそうだった。
「わかりました。」
せめて女性のいない方向に行こうと、目を光らせる。足元にも気をつけないといけない。
「ちゅーもーく!!」
俺たちが暗闇を歩いていると、中庭の方からまたリディントンの声が響いた。
「リディントンが中庭に入ったようだな、心配だが。チャールズは三階担当だったが、ちゃんと避難しただろうか。」
「王子様、それよりご自分の心配をしてください!」
王子様は部下全員を心配するから、ご自分をときどき忘れている。
「(いいから掘って!この直線上に水道管があるの!)」
「ほら、リディントンはいまのところ無事のようですよ、王子様。部下を信じて、ここでゲイジとフィッツウィリアムを待ちましょう。」
さっきより小さいけどあいかわらず大声のリディントンの叫びが聞こえて、とりあえず今の所無事だってことはわかった。
「殿下!」
南側から、がっしりとした人影とひょろっとした背の高い人影がランタンを持って近づいてきた。王子様の世話係だったウォーズィー司祭と、副家令のハーバート男爵だ。
「ウォーズィー、ハーバート!状況はどうなっている?」
「今の所建物は焼けていませんが、中庭の火は東棟・西棟に近づいていると聞いています。トマス・ニーヴェットの活躍で南棟の避難はスムーズでしたが、どうも北棟が遅れているようです。ウィンスロー男爵が不在で、サー・アンドリューもたまたま南側にいるタイミングでしたので。」
ハーバート男爵は落ち着いているけど、状況はかなり悪いみたいだった。
「避難はどうなっている?」
「できる限りの呼びかけはされていますが、いずれにせよ現場の混乱で情報が錯綜しています。アーサー様とマーガレット様には避難をいただけたのは確認がとれました。なお火事の原因はわかっていません。」
男爵は会計の報告みたいに淡々と応対した。火事だっていうのに、この人はいつもこんな感じだ。でもウィンスロー男爵はさっき素早い対応をしていたと思ったんだけどな。
「義姉上は?メアリーは?」
「キャサリン王太子妃はまっさきに避難を開始したはずでしたが、まだ確認がとれていません。メアリー王女殿下は衛兵が訪れたときに北棟に不在だったそうで、行方がわかっていませんが避難したものと思われます。」
「そうか・・・」
王子様はキャサリン様とほとんどあったこともないと思うけど、なぜかいつもすごく心配する。
「バカッ!!!バカバカ!やめて!!!ストップ!」
中庭からまたリディントンの声が響いた。
「トラブルだろうか・・・消火の指揮をとっているのは?」
「はっきりしないのですよ、ハル王子。」
今までだまっていたウォーズィー司祭が口をひらいた。
「陛下とバウチャー子爵がいない中、本来ならレジナルドが総指揮をとるはずのところですな。しかるにレジナルドの行方がわからず、アーサー王太子の行進の警備に合同であたったせいで指揮系統がぐちゃぐちゃになっています。」
「事実上の指揮官はだれなのだ?」
「サー・エドワード・ネヴィルが中庭で指揮をとると聞いていましたが、先程南の井戸でみかけましたよ。やれやれ、軍人さんは平和ボケでしょうかね。」
軍人さんよりも立派な体のウォーズィー司祭が肩をすくめた。この人も妙に冷静だけど、レジナルドって誰だ?
「ウィンスローは適切に対応していたと思うが。それよりも、私も中庭で消火を手伝いたい。今は猫の手も借りたいところだろう。」
王子様が格好いいけど言っちゃいけないセリフをいってしまった。俺が止めなきゃ。
「王子様、ダメです。中庭で火に囲まれたら逃げられません。中庭はきっと混乱していますし、火から逃げても事故で危険な目にあうかもしれません。」
「中庭に通じる門は全部開放されている。馬上槍試合のほうがよほど危険だろう。怪我をするようなやわなカラダはしていない。」
決意しちゃった王子様は誰も論破できない。どうしよう。
「でも・・・でも・・・ハーバート男爵!」
「殿下、火のせいで噴水には近づけず、桶も足りないそうです。人手を増やしても仕方がありません。」
俺の意図がわかったハーバート男爵が援護してくれた。
「いや、さっきの声から見て、リディントン水道管を掘り起こそうとしていた。それなら桶などなくても手伝えるはずだ。」
「しかし・・・」
反論しようとしたハーバート男爵の耳に、ウォーズィー司祭がなにか耳打ちした。
嫌な予感がする。
「・・・わかりました、殿下がいらっしゃれば士気も高揚するでしょう。リディントンもきっと喜びます。私達もお供しますが、すぐに現場を離れましょう。消火に参加したという事実が大事です。」
いきなり何を言い出すんだろう、ハーバート男爵は。意味がわからない。
「ありがとう、ハーバート。ノリス、お前はここにいて、この母上の形見を守って欲しい。」
「えっ、僕一人になっちゃうの?」
頑張れノリス!涙目の上目遣いで王子を引き止めちゃえ!
「すまない。すぐ帰ってくる。ゲイジとフィッツウィリアムがこの場所に来るはずだ。いいな。」
ノリスの愛くるしさでも王子様は止められないみたいだった。一国の王子なのに、なんでこんな危険なところに出向くんだろう。それに態度を一変させたハーバート男爵は何を考えたんだろう。
「コンプトンは残るか?」
「お供します!」
今回は王子様の判断が間違っているとおもうけど、でも王子様を護るって俺は決めたんだ。
俺たちは煙の出る宮殿の方に走っていって、そのまま中庭に入っていった。
* 誤字脱字および一部表現を直しました(2020.12.15): 内容に変更はありません。