XXI 近衛兵ヒュー・モードリン
フランシス君に持ってもらっていた羊皮紙を受け取って、中身を確認し終わると私は男爵の方に向き直った。
「男爵、いくつかお話しないといけないことがあります。」
「どうぞ。」
相変わらず微笑したままの男爵。声は柔らかいけど、目が少し遠くを見ている気がする。
前も思ったけど、男爵の彫りの深い顔はこういうちょっとアンニュイな感じのとき、一番イケメンに見える。景観を優先していいなら、この人にはもっと困ってほしいと思う。
「私は場所を外しましょうか。」
護衛のモードリンさんが気を効かせてくれようとしていた。この人は少し顎が細くて、長い顔をしているけど、茶色い長髪がよく似合っている。ただ、男爵やダンディーなロアノークさんに比べると印象が薄いかもしれない。
「いえ、護衛の方も聞いてください。」
「ありがとうございます。ちなみに私はヒュー・モードリンと申します。」
ヒューさんね。ヒューって感じの顔をしているかもしれない。髭のゴードン・ロアノークさんの顔がすごくゴードンだったから、この二人は名前がしっくりくる。
「ではよろしくお願いします。まず、もう一度改めて確認しておきますけど、裁判でもはっきりした通り、マッサージは魔法じゃなくて医療行為です。いいですね。」
「医療行為の一環で足の内側に虫を走らせたりするのかな。」
男爵はまだ微笑を絶やさないけど、いつもより不審そうな言い方をする。「はいはい、分かったよ」みたいな返答を予想していたんだけど。
「あれは、ほら、医学的にすべきことを知っていると、しないほうがいいことも分かるって言う、コインの裏面みたいなものなんです。」
ここは適当にごまかすしかなさそう。正座する習慣がないこっちの世界で、正座のしびれに気づく機会なんてそうそうないだろうし。
「そんなことより、これを見てください。」
男爵とモードリンさんに1枚目の契約書を渡す。
「これは?」
「裁判所の書記の方に、口述筆記してもらったんです。すごく早くて驚いちゃった。」
プロの腕は本当にすごかった。従者引退後のキャリアとして秘書とか書記も無難かなって考えていたけど、ちょっと考えが甘かったかもしれない。
「おいおいルイーズ、星室庁裁判所をおもちゃにしていないかい?君は字がうまいのに何で筆記を頼む必要があるんだい。」
男爵は疲れた苦笑を浮かべている。
「私の裁判が短すぎて、書記の方は暇を持て余していたみたいだったから、お試しにはちょうどいいと思ったの。それより、読んでください。」
男爵とモードリンさんは私に急かされるままに羊皮紙に目を落とした。
「どれどれ、『ルイーズ・レミントンは足のしびれや不快な違和感につながるような行為を王子に対して一切行わない。王子が違和感を訴えた時点で直ちにマッサージを中止する。ただし適度な痛みを伴うマッサージはこの限りでない。』待つんだ、適度な痛みって何だい?」
男爵はさっきから微笑に私への不信感を隠さない。
「マッサージは少し痛いくらいが気持ちいいという人もいるし、体の具合が良くないときに効果的なマッサージは多少痛いときが多いのよ。」
「ウィロビーのように、痛みを味わわせた後に快感を加えて服従させる、みたいなことではないのかな。」
「違うわ、あれは事故だし、もうしません。」
アンソニーのリアクションが大げさだったから、すっかり男爵が臆病になっちゃった。だいたいアンソニーが泣き出したからマッサージでしびれを治してあげただけで、もともと放置しようと思っていたのに。
「もうしないと誓うかい?」
「誓います。モードリンさんが証人です。」
さっきから無口なヒューさんを見つめる。
男爵は大きく息を吐いて、契約書に羽ペンを走らせた。モードリンさんもサインを加える。
「ルイーズ、君は約束を守る子だ。その点は信頼しているよ。」
その点「は」が強調されたけど、男爵はなかなか嬉しいことを言ってくれた。
「もちろん、弁護士の娘ですから。私も契約通り、王子様のためにベストを尽くします。」
「ベストを尽くす、というと結果は保障されないのですね。」
モードリンさんが苦笑している。
「ええ、私できない約束はしないんです。弁護士の娘ですから。」
「やれやれ、魔女の決め台詞が『弁護士の娘ですから』っていうのも締まらないものだね。」
男爵もさっきよりは明るい声で笑った。




