CCXVI 末っ子ヘンリー・ギルドフォード
リディントンの部屋は真っ暗になっていて、やたらと存在感の大きい装飾の多い椅子やいくつかの家具があるのがわかったが、部屋の中はよくわからない。
しかしあの悪漢リディントンの部屋で、主人を鍵で締め出したまま奴の女中とことに及ぶとは、なかなか乙な展開ではないか。もし部屋があかるかったら、私が悪い笑みを浮かべているのがわかってしまっただろう。
チューリングは手慣れた手付きでドアの傍にあったランプに火を付けた。私と女中のまわりだけ怪しげな光でつつまれ、薄暗い空間になる。
「さ、脱いで!脱いで脱いで!」
市場の商人のような口調で私に迫る女中。あきらかに興奮しているようだが、ムードがない。
「いきなり全部脱いでも間が持たないだろう。一枚ずつ交互でどうだ。」
「あたいが先攻だって言った!約束守る!脱ぐ!触らせる!」
チューリングの言語能力が野生化しつつあるようだったが、考えてみればこの鼻息の荒い状態で脱がせるのも趣がないかもしれない。触られるのは好きではないといっていたが、『散々触ってくれたな。さあ、今度は私の番だ。』という流れのほうが後の展開も考えて面白いだろう。
「いいだろう。だが脱ぎ終わるまで触ってはならないぞ。」
ふと思えば、私が裸を晒していない妙齢の女は、東棟と南棟に数えるくらいしかいなかった。今更躊躇することなどないのだ。私が鍛え上げてきたこの自慢の体は、豪傑だったという今は亡き父上の唯一の形見のようなものだ、恥じるような場所など無い。
マントを外し、靴紐をほどき、ウェストコートを脱ぎ、ダブレットのボタンを外していく。
「ふーっ・・・ふーっ」
下腹部に鼻息がかかってきた。チューリングの目が殺気立っているが、果たしてどれくらい触れば気が済むだろうか。若干の不安を覚えるが、その分私が触れるのだと思えば楽しみでもある。
ふと、目の前の女の荒い息とは別に、廊下の方から聞き慣れた声が聞こえてくるのがわかった。
「(うわっ、なにこれなにこれっ、あうっ・・・おかしいよう、体が変・・・熱くなって・・・あっ、なんかきちゃう・・・)」
かすかに聞こえるのは、たしかにハリーの声だ。この3階の女の相手をしているようだが、こんな積極的な女中がいただろうか。あるいはまだ見ぬモーリス・セントジョンの女中だろうか。ハリーの一見おとなしい性格が女を野獣にするのかもしれない。
私は推理している間に、シャツとタイツ姿になっていた。
「下も!下も!」
「慌てるな。下は時間がかかる。」
私は流行のきついタイツを履いていた。肩を張るタイプの上着が流行る中、虚勢でない真の男らしさをアピールするにはもってこいの格好だ。
動きやすく騎士に人気のこのタイツは、当然ながら完全に脱がずとも女官との火遊びができるようになっている。しかし今回のような特殊な場合は、脱ぐのに時間がかかるという欠点があった。
ダブレットと繋がっていた紐を緩め、全体をゆるめると、ゆっくり脱いでいく。
「ワーオ」
まだシャツでカバーしてあるはずだが、この女中は脱ぐというプロセスに興奮しているようだった。視線が刺すようでなんとも気まずいが、男として約束は守らねばならない。
手間取っていると、またハリーの声が廊下に響いた。
「(ひはっ? 待って、待ってよっ・・・はっ、はふうっ・・・体おかしっ・・・きもちっ・・・また変になっちゃ・・・ふはあっ・・・んふあっ・・・もうわけわかんないよっ・・・はううっ)」
さっきからハリーの声はしても相手の女の声が聞こえてこない。まったく情けないことだ。男は喘がないのが基本だろう。ハリーの家は武官じゃないが、いくら姉たちに囲まれて甘やかされて育ったとはいえ、女々しさがすぎるのではないか。
そうこうするうちに、やや時間がかかったがタイツを脱ぎ終わった。シャツ一枚になる。
油が足りないのかさっきよりオイルランプの明かりが弱くなっていて、いざチューリングが脱ぐターンになってもあまり見えないのではないかとの懸念が頭をよぎる。
「全部!全部脱いじゃって!」
私を射抜くような目で、舐め回すように見るチューリング。まあ、私のターンに相応の見返りがあれば構わないが。
「これで満足か。」
タイツを脱ぐプロセスがやや滑稽だったのを挽回しようと、私は勢いよくシャツを脱いだ。だがその風圧のせいか、オイルランプが更に弱くなった。
チューリングがゴクリと息を呑む。
「(はひっ?ちょっとまってっ、はうっ、さっきより条件が増えてフギャッ)」
おそらくはセントジョンの女中にすっかりやり込められているハリーの声が響く。さすがに気になるが、この後でお待ちかねの攻守交代が待っているのだ。未知の女中の話は今度じっくり聞くとしよう。
「暗くてよく見えない、じっとしてて。」
チューリングは手早く手元で小さな松明に火を付けると、私の体の方に近づけてきた。
「おい、やめろ、燃やす気か!」
私が慌てた声をあげると同時に、廊下に怒鳴り声が響いた。
「火事だ!!避難しろ!!」
この声はスタンリー卿だろうか?火事だと?
昼に侍女を連れて泉に行き、更にリディントンと接触を図っていたスタンリー卿。嫌な予感がする。
まさか放火ではないよな?ハル王子は無事か?
私が恐怖のシナリオを考えている一瞬の間に、チューリングはキビキビとオイルランプを消し、ランプをどこかへ持っていった。
テキパキしているが、暗闇に慣れているのだろうか。真っ暗になってしまって私にはもはや何も見えない。
「待て、スザンナ、私のシャツは、タイツはどこだ?」
「いいから逃げるよ!男爵様も、火事だよ!いい加減起きて!」
さっきまで私の体に鼻息を荒くしていたとは思えない豹変っぷりだ。
男爵?
「ん・・・火事?本当かい?」
私が装飾の多い椅子だと思っていた影がすこし動いた。
まさか男がいたとは・・・
待て、部屋に寝ている男がいる状態でじゃれ合うつもりだったのか?何を考えていたんだ、この女中は?想像の域を超える変態なのか?
「君は・・・チャールズ・ブランドン!?まさか、ルイスに手をだしたのか!?」
「ちげえよ!俺に・・・私にそんな趣味はない!」
私を見て最初に思いつくのがそれか?信じがたい暴言に、思わず素が出そうになった。ハル王子と育った私は、よほどのことがないと馬丁言葉に戻らないのだが。
そして、声からしてこの椅子にいるのはウィンスロー男爵だ。
「じゃあなぜシルエットが全裸なんだい?」
「ぐ、それは・・・今となっては私が聞きたい。」
私は意味もなく脱いだだけか?『脱ぎ損』という言葉があるのかは知らないが、辞書に載せたい・・・
そうこうしている間に、チューリングは器用にドアの鍵を開けたようだった。廊下の松明の光がかすかに部屋を照らすが、私が乱暴に脱ぎ捨てたシャツはおろかタイツも見当たらない。
考えてみれば、あのタイツは履くのにも時間がかかる。
「くっ、タイツを履いている時間がない。悪いが、このシーツを借りるぞ。」
ちょうど廊下からの光が、うっすらと白い布を照らしていた。簡単に肩から体に巻き付ける。
そうだ、これが陰謀だとしたら、ハル王子の安全を確保するのが最優先だ。世間体を優先している場合ではない。
「待って、それレースだよ!?」
後ろでチューリングが叫ぶ。
レース?レースのハンカチを女官にプレゼントしたことがあるが、確かやたらと高価な生地だった。後で弁償させられるだろうか。いや、ハル王子の予算でなんとかなるはずだ。
「非常時だ、許せ!」
私はレースの布を体の横でしばると、裸足のままハル王子の元へ駆け出していった。
注) ランプに関する記述を一部修正しました。