CCXII 最高責任者ウィンスロー男爵
「門をあけよ!私はロード・トマス・スタンリーだ。」
私を地面におろしたスタンリー卿が門番に叫んだ。暗くて相手の顔は見えない。
「残念ですが、軍の高官であっても、今は特別な許可がない限り門を開けられません!」
この調子でまたさっきみたいな押し問答になったら時間のロス。
私はスタンリー卿の前に出た。
「私はルイス・リディントン、侍従長ウィンスロー男爵から全権を委任されました。消火活動の指揮を取ります。」
「ウィンスロー男爵にですか?委任状は?」
困った。さっきの衛兵ほど素人じゃなかった。持っていても暗くて読めないと思うけど。
「その人を通してください!」
困っていると、川の方向から水桶を持って駆けてくる人が後ろで声を上げた。
「バウチャー子爵が不在の今、北棟のウィンスロー男爵が宮殿警備の最高責任者です!そして彼は男爵の副官、ルイス・リディントンです!」
シルエットではわからなかったけど、このダンディな感じの声はゴードンさんだ。
「わかりました!」
キビキビした動きで門が開かれた。
「ありがとうゴードンさん!」
話が早いように副官にしてくれて嬉しい。男爵への事後報告が多くなっちゃうけど。
中庭に入る奥の門はすでに開いていて、向こうからガヤガヤする声が聞こえてくる。火の明かりでヒューさんみたいな人影が見えた。
「ヒューさん、現状はどうですか?」
中庭に駆け込んで火の方向を見る。さっきよりも広がっているけど、まだ建物までは距離がある。たぶん油が広がったのが噴水周辺だけだったんだと思う。
「ルイーズ様ですか!?もう水瓶は空です。川で水を汲んでいますが、水桶の数が足りません。」
そういうヒューさんの手元の水桶は、洗濯に使うような浅いやつだった。川まではそこそこ距離があるし、バケツリレーにはあまり期待できそうにないみたい。
中庭の松明は消されていたから、火の逆光で消火に当たっている衛兵の影がウロウロしているのが分かるくらい。数は少ない。こんなに暗いと水道管の位置が分かりづらい。
とりあえず西棟と北棟の角の位置から噴水を見ようとすると、足元の芝生が少しだけ盛り土してあるのに気づいた。
「見つけたわ!スタンリー卿!この線の上を掘って!」
「そうか!」
スタンリー卿はすでに当番小屋みたいなところからショベルみたいなのを持ってきていた。
「一人では難しいわ。スタンリー卿、もっとシャベルの数を確保して。ヒューさん、衛兵のみなさんに集合をかけて。」
「ルイーズ様が声を上げたほうが早いです。」
私が?そこまで大きな声なんて出せないけど?
駄々をこねている場合じゃなさそうなので、大きく息を吸った。
「ちゅーもーく!!」
衛兵たちの影が全員分こちらを向いた。いきなりで驚いたのかビクッとした影もあった。
気にしないで続ける。
「私はルイス・リディントン。ウィンスロー男爵の副官で、彼から全権を委任されました。消火活動の指揮をとります。ここにいるヒュー・モードリンと、ゴードン・・・が証人です!」
ゴードンさんの名字が思い出せないけど、それどころじゃない。
「いいですか、小さめの水桶で川まで汲みに行っても埒が明きません。持っている桶が浅い人やあふれる量が多い人は残って、ここを掘ってもらいます!私のいる位置から噴水までの直線上の土を掘って、掘った土は火の方に飛ばしてください!シャベルはスタンリー卿にもらってください!」
衛兵たちの影がすこしぽかんとしているのが分かる。後ろでは轟々と火が燃えているのに。
「掘る?なぜ?」
「いいから掘って!!この直線上に水道管があるの!!あと掘った土は火の方へ飛ばしてください!土は燃えないから!」
芝はすこし燃えるかもしれないけど、油のある地面をカバーするほうがずっと効果があると思う。
「シャベルはここだ!鍬もある!」
スタンリー卿が手を上げながら叫んだ。火から遠いから少し見えづらいかもしれない。
私の必死の説得が聞いたのか、桶がなかった衛兵たちは指定した地面を堀り始めてくれた。
「そこの人、もっと右を掘ってください、そう、そっち!」
私の指示の下、掘り出す作業は次第に本格的になって、前方に放り出される土で見える範囲が埃っぽくなった。私のウィッグも少し土を被ってしまう。
土がかぶさった部分の火は、気のせいか少し弱くなっていた。
「土も効果があるようですね。」
「そうでしょうヒューさん、本来は砂のほうが水より消火に効果的だったりするんだから。ところで水道管はまだ見えない?」
それより早く水道管にヒビをいれたいのだけど。
「まだですね。畑用の器具なので、手間取っているのかもしれません。」
「ルイーズ様、シャベルも鍬も足りません!桶も見てのとおりですが。」
今度はゴードンさんの声がした。桶はサイズがバラバラで、サイズが小さい。私がお風呂に使った桶みたいな大きな奴はみんな使っていないみたい。
「さっきからみんなの桶が小さい気がするんだけど、お風呂用の桶は使えないの、ゴードンさん?」
あの大きな桶で水を組めれば、きっとタンク代わりになるのに。
「重くなるので、川からここまで運ぶのに時間がかかりすぎます。夜ではなおさらです。」
「そうね、でも現状の拙速よりはましじゃないかしら?消防車があればいいんだけど・・・馬車!そうよ、東棟に馬車をつけさせて、いいえ、さっきくぐってきた門なら、二頭立ての小さな馬車だったらくぐれるわ。」
泉から帰ってくるときに私を追い抜いたボロボロの馬車を思い出した。あれならさっきの門を二つともくぐれる。
「ゴードンさん、洗面所からお風呂の桶を小さめの馬車に積んで、川で水を汲んでもらってきて!馬車を呼んでいる間に、その通り道に桶を用意しておくといいと思うの。着いたらそのまま中庭に入ってもらうわ。」
「わかりました。」
ゴードンさんが指示を出しに走っていく。でも馬車が待機していた場所は南側でけっこう遠いから、一往復目は時間もかかると思う。
砂もないし、水もないし、あと火を消せるものは・・・
「残りの人で桶がない人は・・・キッチンからビール樽を転がしてきて。いっぱいあるでしょう。」
確かキッチンには大量のビールがある。水瓶と違って、みたところまだ消火にはつかわれていないはず。
「転がす?」
明らかに困惑した衛兵の声がする。
「ボール転がしの要領で・・・えっと、横に倒して、丸太みたいにして転がしてきて。」
「しかし、アルコールは燃えます・・・」
それで使われていなかったのね。
「ビールはそこまで度数が高くありません!大丈夫、私を信じてください!それに、責任はすべてウィンスロー男爵が取ります!」
信用すべき『私』ルイス・リディントンが実在しないのは置いておいて、まさかビールが燃えたりはしないはず。
「わかりました!」
キッチンに向かう一行を見送ると、後ろからヒューさんの声がかかった。
「水道管が見え始めました。」
「どこどこ?」
ヒューさんに着いていくと、火でうっすらと照らされた少し錆びた水道管があった。
「やった、鉛だわ、建設費用をケチったのね!」
飲料用を考えてレミントン家は鉛を使わなかったけど、鉛は割と安価な水道管材料になる。しかも鉄の斧なら割れる。
たぶん。私は水道工事を監督したけど手は汚さなかったから、材質の硬さとか肌感覚的な知識はゼロなんだけど、でも大丈夫。鉛の価格設定からいってあんまりいい材質じゃないはず。
「ここで割るか?」
衛兵に混じってどこにいるか分からないスタンリー卿が聞いてくる。
「待って・・・」
水道管の見えている位置のあたりは、かぶせられた土のおかげで火が収まりつつある場所。この位置でシャワーが起きても、うちのシャワーくらいの強さだったら火の激しい場所まで届かないかもしれない。
「土を火にかけながら、もう少し火の近くまで水道管を出してください!火の近くの土は熱いから、自分や前の人にかからないように・・・いいえ、最前列の人だけ、最前列の人だけ土を前に放り投げてください!後の人は土を放り投げないで、もう少し管の周りを掘って!」
私が指示をだしていると、噴水の向こう側が急に騒がしくなった。
「・・・まさか、火が広がったの?」
心配してみていると、誰かが剣を抜いたまま火に飛び込んで来て、噴水にジャブンと着地した。
「おおお!」
歓声があがる。中庭のこちらからも向こう側からも。
そのまま剣士は噴水の中で剣をふるい、水しぶきを外に散らし始めた。
怒り狂った鬼神みたいな迫力がある。
「素晴らしい・・・」
衛兵たちが息を飲むのがわかった。
確かに、炎の中で噴水をバックに剣舞で水しぶきをあげるところは、神々しいくらいに綺麗だった。
火と水が戦っているような、まさに剣士が無双しているような、神秘的な絵面。
でも・・・
「バカッ!!!バカバカ!やめて!!!ストップ!」
声を出して止めさせようとする。
それでも私の声が聞こえないのか、剣士は剣を振るうのを止めなかった。
噴水の渕に残っていたランタンが、いくつも外側に倒れていく。中身の油と一緒に。
火がますます燃え広がった。




