CCIX 観察者ルイーズ・レミントン
「火事・・・」
その言葉を聞くだけで思い出したくない記憶が頭をよぎる。
「スタンリー卿、おろして!中庭を見させて!」
私はスタンリー卿の腕を振りほどいて、中庭側の窓を確認しようと走った。でも窓はベニヤ板みたいもので遮られていた。
「そんな場合じゃない!煙も入ってきかねない!私を信じて逃げるんだ、ルイーズ!」
「消火できるかもしれないわ。それに東棟は静かで、避難が始まっている感じもしないもの、このままだと亡くなる人がでるのよ。様子がわからないと避難誘導もできないじゃない。とにかく窓を開けて!」
私はいつになく早口になっていた。
さっき下の階から上ってきたくまさんが火事を知らなかったのを考えたら、状況が分からない人はたくさんいるはず。
「・・・消火は衛兵に任せて逃げるんだぞ、いいな。」
スタンリー卿は納得していないようだったけど、手を動かすのは早かった。木の板を乱暴に剥がすと、何重にされていた鍵を開ける。それでも窓が開かなかったから、最後には木枠に剣を入れて、窓の外を覆っていた木戸を落とした。
「開いたぞ、ルイーズ。」
私が中庭を見やすいように、スタンリー卿は私を後ろから抱っこした。
外に開け放たれた窓から見えたのは・・・
「目玉焼き・・・」
真っ暗な丸い池の周りを厚いリングが取り囲むように激しく燃えていた。じりじりと燃える範囲が広がっている。火に照らされる噴水がシュールだった。
衛兵が何人かバケツで水を持ってきてかけていたけど、焼け石に水というくらいに効果がなさそう。さっき中庭にあんなにいた衛兵が、なぜか数人しかいなくなっていた。運んでいる間にバケツから溢れる量が多いみたいで、鎮火されそうな気がしない。
私のいる塔から火までは距離があったけど、中庭は南北に長くて東西に短い長方形になっているから、このペースだとそのうち東棟と西棟に火がたどり着きそうだった。中庭の端にある植え込みに火が移ったら、そのまま建物に火が入りそう。風がなくて煙がまっすぐ上空に向かっているのは不幸中の幸いだけど。
「くっ、噴水は防火水槽の役割もあったが、嫌な燃え方をしている。衛兵も全く統制がとれていない・・・」
スタンリー卿の声にも危機感を感じる。噴水の周りはなぜか特に火が激しくて、池には近づけないみたい。本当に変な燃え方。
「芝生の燃え方じゃないわ。水の周りで目玉焼きなんて・・・油ね!ライトアップの灯籠が、ロウソクじゃなくて油だったのよ!スタンリー卿、東棟を北に駆け抜けて、北棟側から消火を手伝いましょう。道中避難を呼びかけながら。あと、くまさんを起こさなきゃ。」
スタンリー卿は私を廊下に置くと、東棟の廊下を向いて思いきり息を吸い込んだ。
「火事だ!!避難しろ!!」
廊下にスタンリー卿の声が反響する。私も急がないと。
「ギルドフォードさん、起きて!」
「・・・はへえ・・・」
幸せそうな顔で目を閉じたくまさんは、強く揺らしても起き上がる様子がない。いくら剛力のスタンリー卿でもこの巨体を運ぶのは苦しそう。
「こいつは諦めろ、ルイーズ。それに東棟をここから北に走ったら火に近づく。一旦外にでて、外から避難を呼びかける。着いてこい。」
「わかった。ギルドフォードさん、ちゃんと逃げてね!」
「・・・はふ・・・」
これが最後の別れだったらどうしよう。
でも今は外に行かなきゃ・・・
私ならあの火を消せる、という確証に近いものがあった。
「ルイーズ、早く!」
「今行くわ!」
私とスタンリー卿は急いで塔の下の階に駆け下りた。
*この後少しだけシリアスな展開が続きます。