CCVII 不審者ルイス・リディントン
ヒヤッとする発言を受けて、私は一瞬固まってしまった。くまさんはランタンを掲げたまま私をじっと見つめている。
大丈夫、この展開はもう何回か経験しているんだから。
「なぜですか?私は男ですよ?今日の服はモーリス・セントジョン君に借りたものですが・・・」
「そのスカーフはどうしたのかな?」
少しくりっとした目が私の頭上に焦点をあわせていた。
どうしよう、スカーフをしたままだった!
慌てて取って懐にしまいながら、言い訳を考える。
「これは、そうですね、ウィンスロー男爵の指示で、衛生的に必要なもの、そう、歯磨き粉、歯磨き粉を作っていたんです。普通の男性用の帽子では髪の毛がすり鉢に落ちてしまう可能性があったので、スカーフで髪をまとめていたのです。衛生的でいいでしょう?」
確かシェフも髪の毛をまとめていたと思う。これでいけるはず。
「結ぶのも解くのも手慣れていたみたいだけど、誰かに習ったのかな?」
「スザンナ・チューリング。とても優秀で器用な私の女中です。」
スザンナはルイス・リディントンの女中だから名前をだしてもいいはず。
「ふうん、でも声も高いし・・・」
スカーフだけでは逃げ切れないみたい。ブランドンにも同じような難癖をつけられた覚えがある。
「声で判断するならヘンリー・ノリスやフランシス・ウッドワードだって声が高いですよ。それに、女嫌いのヘンリー王子殿下に加え、あのチャールズ・ブランドンさえ私を男だと確認していますので、心配は無用だと思います。」
「うーん、ハル王子は女の人を知らなさすぎるし、チャーリーはチャーリーで、自分に興味のない人間は女じゃないって思っているんじゃないかな。」
的確な指摘に思わず吹き出しそうになってしまった。ハンカチで口元を隠す。
「ほら、笑い方も品のいいお嬢さんみたいだね。」
くまさんはポーカーに勝った少年みたいに目を輝かせて突っ込んできた。
「そんなことはありません、モーリス君だってこんな感じです。」
「セントジョンが乙女だったって僕は驚かないけどね。うちの姉さんよりも身持ちが固そうだなあ。」
「ふふっ」
また笑ってしまう。
性別が疑われているピンチの割には緊張感がないけど、一体どうしたら納得してもらえるかしら。
ブランドンに通用した男爵のあの手はできれば使いたくない。
「とりあえず、私が男だというのは副家令のハーバート男爵に登録を見せてもらえればわかります。部屋まで通してください。」
「いや、それは嘘じゃないかな。僕は姉さんたちと育ったから、女の人かどうかは雰囲気でわかるよ。」
これは強敵ね。たしかに東棟は女性のプレゼンスが低いから、他の従者どもが鈍かっただけかもしれない。
しょうがない、最後の手段だけど・・・
私は意を決して深呼吸すると。その場でゆっくりと体を一回転させた。
「ほら!」
屈辱。
覚えてらっしゃい、この乙女の心に傷をつけて・・・
でも絶望していたブランドンとは違って、くまさんは困ったように首をかしげるだけだった。
「いや、『ほら』って言われても、暗くてよくわからなかったし。」
「ええっ、そんな!?」
私の、私の決死の決心と多大なる犠牲をどうしてくれるの!
「じゃあ胸を触らせて。」
「だめに決まっているでしょう、バカっ!」
動転して今一番とってはいけないリアクションをしてしまった自覚があるけど、でも触られるよりはまし。
「ね、やっぱり女の子だ。」
冷や汗をかく私の前で、くまさんはにっこりした。
あっさり負けちゃったみたい・・・
さてどうしよう。この人は私の同僚のはずだけど、私がヘンリー王子に性別を偽って仕えていると知ったらどう行動するかしら。
「このことは国王陛下とウォーラム大司教もご存知のことです。私が男かどうかはともかく、面倒なことに巻き込まれたくなかったら、見なかったふりをしていてください。」
「ふーん、それはややこしそうだなあ。でも東棟の警備は昼の間者事件で批判を受けているし、ここらへんで不審者を捕まえて『僕たちだってちゃんと頑張っています』ってアピールしたいんだよね。僕には国王陛下が何を計画しているかは分からないけど、知らずに捕まえる分には僕に過失はないと思うよ。むしろ不用意に捕まっちゃった君の責任じゃないかな?」
考え事をする感じで淡々と恐ろしいことを言う森のくまさん。そんな、『知らずに』って、今教えてあげているのに!
「私は不審者なんかじゃありません!」
「大丈夫、心配ないよ、とっても不審だから!どれだけ不審かは僕の報告次第だけどね。」
思わずぞっとする。
のんびりしているように見えて、この人はひょっとして男爵系統のブラックキャラかしら。
「さあ、とりあえず取り調べに、僕の部屋まで行こうか。」
取り調べ・・・一体何をされるのかしら・・・
近寄ってくるくまさんに思わず後ずさりをする。
右足が思ったように動かなくて、バランスが崩れた。
「きゃっ!」
後ろにコテンとしりもちをつく。足が疲れていたみたい。
もういいところがないわ。
「大丈夫?」
ランタンと銃を置いて私の前で膝立ちになったくまさんの手が私の肩に伸びてくる。たぶん親切心からくるものだけど、万が一胸を『確認』されないように前で腕を交差させる。
「ありがとう、でも触らないで。」
「大丈夫だよ、僕は姉さんたちよりもおっぱいの小さい人には別にウギャッ!!」
くまさんは苦しそうな声で鳴くとドサッと倒れた。
「えっ?」
気がつくと、私の指がくまさんの右肩の肩井を強く押していた。
「考えるよりも先に手が出ちゃった・・・」
「いたい!やめて!いたいってば!」
胆経のツボってちょっと痛いのよね。
「あっ、ごめんなさい。」
うつ伏せに倒れたままバタバタするくまさんを見る。毛皮のマントをたくしあげると、琥珀色の豪華なインナーは思ったより生地が薄かった。
このまま「取り調べ」に連れて行かれても困るし、とりあえず次の一手が見つかるまでマッサージしてみようかしら?アンソニーみたいな展開もあるかもしれない。でもスタンリー卿みたいに寝ちゃっても解決にはならないし、アンソニーのときと違って証人もいないから、なんというか出口戦略が見えない。
「男爵がいてくれたらよかったのに・・・」
私はサポート役の不在にため息をつきながら、あまり展望のないマッサージを始めることにした。




