CCV 最高責任者バウチャー子爵
私は噴水から中庭の北半分を見渡すと、こちらを見つめる衛兵たちに号令をかけた。
「王族の身柄を狙う女が南棟に逃走した。逮捕せねばならない。普段北棟を担当している者は、東棟と南棟の間を封鎖してほしい。西棟所属の者は宮殿の門を封鎖してくれ。南棟の者は中庭と南棟を捜索、東棟の皆は庭園と川岸の警備にあたってほしい。」
魔女に寝取られている可能性がある東棟関係者は、重要性の低い任務に当たらせるつもりだった。
私の号令の後、衛兵のうち見覚えのある三分の一から四分の一は走り出したが、残りは動きが鈍かった。
「これは緊急だ。アーサー王太子殿下の安全のためにも、なるべく急いでほしい。」
「サー・クリストファーからは中庭の警備についてしか指示をうけていません。ラドクリフ様やサー・エドワードの指示には従えません。」
衛兵の一人が困惑したような声を上げた。
近衛兵内の折衝はサー・エドワードにまかせていたから、他の指揮官がどれほど関わっているかは分からない。私自身、彼らよりも高位ではあっても、指揮権のある直属の上司ではないことは確かだ。
「戦闘の指示はだしていない、状況を鑑みて、特定の場所の警備を強化してほしいだけだ。命令ではなく、要請ではだめだろうか。」
「有事には北棟のトップが衛兵全体を統括します。バウチャー子爵が不在の今、衛兵全体に指示をだせるのはウィンスロー男爵です。彼の指示がない限り、サー・クリストファーに任された持ち場を離れられません。」
中庭では縦割りの責任論が飛び交うばかりで、残った衛兵たちは持ち場を離れようとしなかった。
ウィンスロー男爵は私が探したときに北棟に不在だった上に、護送した魔女に操られている可能性が高い。あまりに都合が悪すぎる。そもそも、どこにいるか分からない文官が衛兵の指揮権をもつというのは不合理極まりない。
「サー・クリストファー、サー・アンドリュー、もし中庭にいらしたら噴水までおいで願えないだろうか。」
呼びかけてみたが、二人は中庭に不在だった。走った衛兵たちがサー・エドワード配下の西棟勢だとすると、その多くが私の指示で門に向かったか。その場合、南棟から東棟につながる通路ががら空きだ。
仕方ない、脅すしかないか。
「見ての通り中庭での行進は取りやめとなり、通常の警備義務が発生する。加えて危険人物が徘徊している。有事には各棟をつなぐ通路に警備が立っている決まりがあるが、私が視察して警備が不完全だったなら、それなりの処分が下る。とくに昼に間者の逃走を許した東棟は南棟との通路に気をつけるように。」
衛兵たちからは困惑したような声があったが、互いに顔を見合わせると、各棟の持ち場に戻っていった。
中庭には留め置かれていた女性たちが困惑した様子で佇んでいたが、今は状況を説明している場合ではない。東棟の衛兵の一部は魔女にやられている可能性があるから、東棟と南棟との通路には早く私自身が出向かなければならないだろう。
「ギルドフォード、南棟と東棟をつなぐ棟に行こう。」
「えっ、僕もなのかな?別にいいけど。」
ギルドフォードの様子からは、魔女から妨害に送られたようには見えなかった。ノリッジでの魔女の裁判から4日。いくら魔女でも、まさか東棟の従者や衛兵全員を寝取っているとは思えない。ヘンリー王子が密かに魔女に肩入れしているとしても、おおっぴらなものではないはず。この混乱した状況で魔女の逃走を助ける人間はきっと少数だ。
東棟から入ろうとすると、南棟の方で侍女たちがざわめいていた。
ふと見ると、フィッツジェラルドが剣を構えて黒服の男に睨み合っている。ふたりとも間合いをとって止まったまま動かない。
「おい・・・」
中庭で刃傷沙汰など最悪の展開だ。明らかに興奮しているフィッツジェラルドを止めるべく、横方向から走り込もうとすると、松明に男の顔が見えた。
トマス・ニーヴェットだ。
「まずい・・・」
この男は魔女に堕とされている。さらに厄介なことに武芸に秀でた強者で、軍人の間での評判もいい。
魔女がニーヴェットを繰り出したとしたら、攻撃的になるフィッツジェラルドの気持ちもわからないでもない。斬りかかるのはあきらかに間違った選択だが。
しかしどうする。ニーヴェットに私の説得は通じないだろう。これがヘンリー王子の従者対アーサー様の従者の戦いととられたら都合が悪すぎる。さっきの流れからいってフィッツジェラルドが手を出したと見られかねない。これが継承をめぐる争いだと解釈されれば、そもそも継承権争いなどないというこちらの立場が危うい。
「私闘だ、これは私闘だ!」
私は周りで様子をうかがう衛兵や侍女たちに言い放った。二人の間の私的な争いに仕立てるほかない。
「殿下をお護りしろ!」
南棟の観客に混ざっていたサー・エドワードが大きな声を出した。アーサー様は西棟に戻ったはずだが。
北棟方面を見てみると、アーサー様は見当たらないが、遠くにメアリー王女一行がいるのが見えた。ひょっとすると私の措置で留め置かれたのかもしれないが、まさかメアリー王女が来ているとは思わなかった。
さらになぜかグリフィスまで中庭に戻ってきていた。
「空砲か!?」
私の方向に大股で歩いてくる。状況を確認しにきたのかもしれないが、ここはアーサー様のお側にいるのがいつものグリフィスのはずだ。何しに来たのか。
「ああ、実弾じゃない。心配ない。今はアーサー様のお側にいてほしい。」
「だがキャサリン様周辺を守ってほしいと、アーサーたってのお望みだ。」
「妃殿下?」
西棟側に目をやると、キャサリン様付きの侍女たちがパニックのように騒いでいた。
「姫様!!」
見ると、中庭に留め置かれたキャサリン様の侍女たちが騒いでいた。あろうことか王太子妃殿下が窓から不安そうに顔を出している。さすがにヴェランダからは引っ込んでいたが。
「危険な・・・」
妃殿下に声をかけようとすると、後ろで剣が空を切る音がした。
フィッツジェラルドが手を出している。ニーヴェットはやすやすと攻撃を交わすと、短剣と長剣をうまく使ってカウンターを入れた。差し込まれたフィッツジェラルドが後ろに飛び退く。
今ニーヴェットに殺意があったなら、フィッツジェラルドはもうこの世にいなかっただろう。
フィッツジェラルドは決して剣の扱いが下手ではない。でもニーヴェットの二刀流はレベルが違った。
素早さならアンソニー、勢いならフィッツジェラルドが一歩勝るかもしれないが、動きにとにかく無駄がない。太刀筋がきれいだ。本来は槍を得意としているはずだが、どこで二刀流を覚えたのか。
だが、魔女は追手を殺すことは考えていないと見える。この様子なら、ニーヴェットはあくまで足止めに送られただけだ。
大騒ぎにはしたくなかったが・・・
「私に代われ、フィッツジェラルド。お前は魔女を追え。」
あの距離で魔女を判別したフィッツジェラルドだ。探索に回ってもらったほうがいいだろう。時間稼ぎの相手なら、魔女をほとんど知らない私がすればいい。
私闘扱いはできなくなってしまったが、魔女が捕まれば違った展開になる。
「頼んだ。」
フィッツジェラルドは一瞬悔しそうな顔をしたが、不利を悟っていたのか素直に南棟方面に走っていった。
二人を通すまいとするニーヴェットに対して私も剣を二本構えて牽制する。ニーヴェットは悔しそうに私の方を向いて構え直した。
ニーヴェットと対称になって睨み合ったまま、近くにいたギルドフォードに指示をだす。
「ギルドフォード、東棟と南棟の棟にある棟に、一階あたり二人を配置してもらえないか。」
「ギルドフォード、王太子方の言うことを聞く必要はない。」
ニーヴェットがすぐさま横槍をいれてきた。
「えっと・・・」
ギルドフォードの困惑する声が耳に入ってくる。ニーヴェットが魔女の指示を匂わせないことを鑑みて、ギルドフォードは堕とされていないとみた。
「ギルドフォード、東棟の警備が立て続けに破られると、処分はブランドンだけにとどまらない。南棟との連結部分だけでいい、大きな負担ではないはずだ。」
「それは、困るかな・・・行ってくる。」
渋々といった感じでギルドフォードは東棟に入っていった。
ニーヴェットが手を出してくる様子はない。やはり魔女の指示は守備的なものだったのか。フィッツジェラルドが突破した今、時間稼ぎは大した意味がないはずだが。
「すべての入り口を開放しろ!」
サー・エドワードは収拾がつかなくなっていた観客たちの誘導に乗り出しているようだった。状況のせいで私はニーヴェットから目が離せず、具体的に衛兵たちが何をしているのかは分からない。
ニーヴェットが素早く身を翻して、フィッツジェラルドを追う構えを見せた。
「こっちだ!」
後ろから襲う素振りを見せて、もとの体勢に戻らせる。お互い相手を殺める気がない中、守備的な二刀流同士が向かい合うのは、なんとも不思議だった。フィッツジェラルドが魔女を探している間、私のすべきことはある意味でにらめっこだ。
「いいからそこをどけ!」
フィッツジェラルドは突破に手間取っているようだった。魔女が二人目の妨害者を用意していたのかもしれない。様子を見ようとちらと目をやると、その間隙をついてニーヴェット長剣が私の方に振るわれた。
長剣に長剣をあわせて、半身を入れ替えて避ける。
「そちらから手を出してくるとは。法も道義も捨てて、あくまで魔女に忠実、そういうことでいいのか。」
「違う、俺は友人を理不尽な死から守る、ただそれだけです。」
ニーヴェットは堂々と言い放った。
友人、か。
「逮捕するだけだ。殺すつもりはない。」
「あの素人は事故でも殺していたところでしょう。」
ニーヴェットの冷たい声が響く。フィッツジェラルドが素人だとは思わないが、たしかに私も尋常でない殺気を感じた。
「たしかにあいつは様子がおかしかったが、陛下が生かした命、私も魔女の死は望まない。」
「へえ、生かした命、ね。」
松明に照らされたニーヴェットの顔が、不敵な笑みを浮かべた。
「たとえ陛下の力添えがなくとも、あいつは自分の力で生きていけますよ。それでもあんたらは、あいつが何も悪いことをしていなくても、ただ他人とちがうというだけで煙たがり、恐れ、それでいて放っておいてあげずに悪用しようとする。『生かしてやる』、なんて何様のつもりだ。」
言い終わるやいなやニーヴェットの長剣が振り出される。相手は以前よりも雄弁に感じた。不思議と魔女に言わされている感じはしない。
既婚者のスタンリー卿やニーヴェットに手を出した魔女に同情はしないが、知人には無害な人間だったのかもしれない。友情が存在したことも別に疑わない。
だが、魔女がどんな聖人だろうともはや関係ないのだ。
「反乱軍がどれだけ高貴な志をもっていようと、粛々と鎮圧するのが私の務めだ。悪人に騙された下手人が無罪になることはない。」
「陛下が生かしたと今いっただろう。陛下に逆らう反乱軍はあなただ、フィッツジェラルド男爵。」
「違う、私は断じてフィッツジェラルドではない!」
フィッツウォルターの名を間違われたことに憤慨していると、なし崩し的に二刀流特有の刃のあわせあいが始まった。どちらも刺す気がない分まるで運動のようだが、お互い甲冑を着ていない。馬上槍試合よりもよほど気の抜けない命がけのスポーツになる。おそらくは私が周りに指示がだせないようにしているのだろう。
「あれはフィッツジェラルドか!?」
聞き慣れない誰かの声がしたが、フィッツジェラルドはいまだに中庭にいるのか。何をしているのだ。
様子を見たいが、目の前のニーヴェットの攻撃から目が離せず、手も休まらない。
腕の違いを見せれば戦意も少しは落ちるだろうか。
「子爵はどこだ!」
「話が違う!」
衛兵がいまだに混乱する声が聞こえてくる。バウチャー子爵は不在だというのに、末端には伝わっていなかったんだろうか。
私とサー・エドワードで指揮をとらねば。
ニーヴェットを押し込むべくリズムを変えていく。
長剣を長剣に。
短剣を手首に。
「くっ・・・」
ニーヴェットが長剣を持つ手を引っ込める。
長剣を短剣に。
短剣を心臓に。
「・・・っ」
防戦一方のニーヴェットがさらに数歩下がる。
このまま押し込んでいけば、私がフィッツジェラルドを見渡せる位置にいけるはずだ。
「やめろ、やめるんだ!」
アンソニーの声がする。なにがあったのか、ひょっとしたら私に向けられたのかもしれない。外から見たら命を狙っているように見えるだろうか。
もうひと押しして後ろに飛び退けば、フィッツジェラルド達とニーヴェットが両方目に入る位置にいける。
長剣を長剣に。
短剣を手首に。
前に出た手首の外側を守るのは至難の技だ。ワンパターンで構わない。
ニーヴェットの顔には焦りの色が見えていた。もともと槍使いなのを考えれば、長剣さばきはうまくとも、とっさに差し出された短剣に合わせるのは難しいのだろう
「松明に気をつけろ!」
サー・エドワードが号令をかけていた。私もニーヴェットも松明に触れるような位置にはいないが、逃げ惑う侍女たちがドレスにひっかけないかは確かに心配だ。
「目を覚ませアンソニー!」
今度はフィッツジェラルドの声。
なんだと!?
アンソニーに何があったのか。
これで剣先が乱れるほど私はナイーブではないが、若干のスピードアップは必要だった。
西棟と南棟の角に向けて、ニーヴェットを押し込んでいく。
「ぐ・・・」
ニーヴェットには多少疲れもでてきたか。
反撃が入ってこないタイミングを見計らって、目をそらさずに後ろに飛び退く。
視界の左側にフィッツジェラルドが目に入った。さっきは剣を構えていたのに、今は直立不動だ。
「・・・体、あったかいな・・・」
何をいっているのか。よく見ると、誰かを抱きしめているようにも見える。
「ジェラルド?」
アンソニーか。
な ん だ と ! ! !
「何をやっているっ!!ふざけるなっ!!!今じゃないだろう!!ぐっ!」
思わずフィッツジェラルドに叫んだが、息を吹き返したニーヴェットの反撃を受け、私は後ろに後退した。
なぜ、アンソニーを、抱いている?いや、恋人を抱きたい気持ちはわかるが、いやこの二人に限っては分からないが、今やるべきことか。体があったかいからどうしたというのだ!
もちろん、私だって無性にベスを抱きしめたくなるときだってあるが、同列に語るな!しかも、今か?今なのか?魔女はどうしたのだ?
ニーヴェットの更に鋭い一撃を避けるため私はさらに数歩下がった。あっという間に私が苦労して得た陣地を放棄する。
動転していてようと、私が剣先を狂わすことはない。
ただ、私は何のために時間を稼いだのか、という徒労感で、前に進む気力が起きなかったのだ。ニーヴェットの左奥にフィッツジェラルドがよく見えるが、もはや目に入れたくもない。
「怖がることはない、俺達は一心同体だ。ずっと一緒だぞ。」
天よ、この男に相応の罰を与えたまえ。あわよくばアンソニーを救いたまえ。
ニーヴェットがえぐるような一撃を繰り出してきた。数歩下がる。私は何のために戦っているのだ?
下がる角度を調整したので、私からは南棟の中庭側の壁がすべて見えるようになっていた。
サー・エドワードが避難させていたはずの侍女たちが、なぜか中庭にとどまっている。私とニーヴェットの戦いを見て恐怖に逃げ惑うかと思っていたが、泣くどころかぼおっと頬を赤らめているのもいる。その視線の先にあるのは私達のつばぜり合いではなく・・・
「あいつの犬になんてなるな!俺だけを見ていろ、アンソニー!」
「ジェラルドだけを?」
抱き合う二人の男を見ている侍女たちが息を飲む。
お・・・の・・・れ・・・!!
「そんな場合か!せめて部屋でやれっ!!つっ・・・」
ニーヴェットが先程の私の真似事をしてきたので、また数歩下がる。
違う、部屋でやればいいというわけではない。だがとりあえず周りがいるところで愛の公開告白をしてくるとは・・・
恋は盲目というが、皆がこれほど盲目だったら今頃文明は崩壊しているだろう。
「俺はアンソニーがいればいい・・・」
「・・・ジェラルド、そろそろ離し・・・あれ、息があがってないか?」
やめてくれ。島男がどうなっても構わないが、アンソニーを巻き込まないでくれ。どうかやめてくれ。
「必死だったからな。それより、アンソニーにどんなことをしようかと考えたんだが、今夜は夜通しで・・・」
ぷつんと頭の中で何かが切れるのがわかった
「衛兵の大勢いる場所で、この恥晒しがあっ!!!黙れえっ!!!」
今まで生きてきて出したことのないような大声がでた。
もしアンソニーを抱えていなければ、フィッツジェラルドに切りかかったところだろう。
なぜ、社会的にゆるされない妄想を、せめて心のうちにとどめておけないのだ。たとえとどめておこうとも私が許しはしないが。
無垢なアンソニーに一体どんな卑猥なことをする気だ。ああ哀れなアンソニー。
流石に隙がありすぎたか、ニーヴェットの長剣で私の短剣が払われる。ギンと鈍い音が後ろでした。
残りの剣は一本。もともと私の流儀は二刀流ではない。このほうが慣れているし、むしろ戦いやすい。相手を傷つける意思がないときに二刀流は便利だったが。
改めて半身に構えると、前にいるニーヴェットが目を驚愕したように見開いていた。私の後ろを見ている。
まさか?
人体に刺さったような音はしなかったが。
ニーヴェットに隙をみせないよう、斜め45度に交代する。ニーヴェットはなぜか追ってこない。陽動でもなさそうだ。
ニーヴェットの視線のさきを見る。幸い人はいなかった。
だが私の短剣が、噴水に置いてあった灯籠を二つ倒していた。噴水にではなく、外の芝生側に倒れている。
噴水の周囲を囲むように、火が広がっていた。