CCIV ヘンリー王子付従者ヘンリー・ギルドフォード
先導するサー・エドワードの速さにあわせて、東棟側の観客たちに注意を払いながら、私はゆっくりと歩いていた。観客と小競り合いを起こしていたアンソニーが気になるが、ひとまずは魔女ルイーズ・レミントンの身柄確保が優先課題だった。
突然、後ろで剣を抜く音がした。
慌てて振り返る。フィッツジェラルドが奥の一点を睨みつけ、剣を構えていた。
「ジェラルド、どうしたのかな?」
穏やかだが有無を言わせない口調で、アーサー様がお尋ねになる。
「何事だ!?」
グリフィスも困惑したように声を上げた。観客からも困惑する声は聞こえるが、今のところ逃げ出そうとする動きはない。
「魔女か?」
フィッツジェラルドにしか聞こえないほどの声量で確認をとる。
奴はゆっくりとうなずき、剣で南棟側を差した。
「衛兵!衛兵!」
私は前に向き直ると、南棟側に号令をかける。
観客の前にたっていた衛兵たちが、サー・エドワードと事前に打ち合わせたとおりに観客の中に入り始めた。合図があった場合、観客の中でも若い女性にはその場に留まってもらう手はずだ。もちろん王太子妃殿下やメアリー王女殿下、王太后殿下の侍女たちも来ているため、あくまで女性に失礼にあたらないよう指示している。そのほうが魔女の誘惑に遭う可能性も低いだろう。
衛兵は二人一組にして一定の距離を置かせ、もうひとりが異常な行動を取り始めたら通報する算段になっている。複数の衛兵が魔女の誘惑に屈する可能性も考えたが、すべての観客の名前と顔はチェックされている上、それぞれの棟の入場を管理した衛兵はその後違う棟の警備に配属させた。いずれにせよ、衆人環視の中庭で大勢の男の相手などできるはずがない。
斜め後ろのアーサー様に向き直る。
「アーサー様、不測の事態につき、そうか西棟にご避難をお願いいたします。モーリスとグリフィスが案内いたします。」
「わかった。くれぐれも気をつけて。」
幸いなことに、アーサー様には動転した様子がなく、理由も聞かずに粛々と西棟に向かわれた。むしろ困惑顔のグリフィスと不満そうなモーリスが、松明に照らされつつアーサー様を護衛していく。ここまで一応は手はず通りだ。
それでもいくつか誤算があった。
フィッツジェラルドの目がいいのは結構なことだが、私からはもちろん前を歩くサー・エドワードから南棟までもまだ距離があった。どうせならもっと魔女に近づくまでおとなしく黙っていてほしかったが、魔女はすでに警戒を強めてしまっているだろう。南棟側の衛兵だけで間に合えばいいが、先導の衛兵を応援に入る前に魔女が逃げる時間的余裕が生まれてしまう。
またヘンリー王子の庇護下にある魔女は、東棟から侵入する可能性が高いと考え、魔女の誘惑があまりきかないはずの年配の衛兵はみな東棟側に配置されていた。彼らを南棟側に配置転換したいが、事前の打ち合わせ通りに東棟側の観客の中に入り込んでいて、一斉に指示を出せる状況にない。
私が早足で進みながら東棟側の衛兵の責任者をさがしていると、横をフィッツジェラルドが走り抜けた。剣を構えたままの、やや不自然な走り方だ。
「そこをどけアンソニー!」
奴は前に向かって走りながら大声で叫ぶ。異様なフィッツジェラルドを見た観客達が明らかに混乱し始め、衛兵たちが対応に戸惑っているのがわかる。
なんのつもりだ?
魔女の身柄確保が目的だったはずだが、フィッツジェラルドは下手をすれば魔女を斬り殺しかねないほど血気盛んになっていた。私がヘンリー王子黒幕説を説明したせいで、アーサー様に心酔する奴の頭に血がのぼってしまったのか。
フィッツジェラルドは徴税機構を握るエドマンド・ダドリーやサー・リチャードと親しい。弁護士の娘である魔女の情報は私よりも手にいれているだろう。私の耳には入っていない何かを聞いて憤慨したのかもしれない。父上の処刑にサインしたダドリーと私は控えめに言っても険悪な仲だが、ここは私情をはさまずに手を組むべきだったか。私の持つ魔女に関する情報は義兄上から渡された9歳のときの姿と簡単な来歴だけだ。
だがルイーズ・レミントンがどんなに悪女かつ痴女であろうと、国王陛下の介入で無理やり無罪にした魔女だ。宮殿で殺されるような事態になれば、実行犯のフィッツジェラルドはもちろん、アーサー様にまで類が及びかねない。
「なんだっ、一体何なんだっ!」
すっかり狼狽した様子のアンソニーが叫んだが、まさに同感だ。
フィッツジェラルドは何を考えているのだ。魔女が堂々と決闘に臨むとでも思っているのか?
「東棟はもういい。全員南棟側へむかってほしい。」
私は東棟側の衛兵たちに一人ずつ指示をだしながら、フィッツジェラルドの後を追う。
東棟から外にでてきていたギルドフォードが私の方に駆け寄ってきた。
「一体何事なのかな、ラドクリフ!?」
混乱した様子だが、手にはマスケットを持っている。警備に役立ちそうにはないが、ちょうどいい用途を思いついた。
「ギルドフォード、空砲を鳴らしてくれないか。後の責任は私がとる。」
油断した魔女を捕獲する計画がうまくいきそうにない今、人海戦術をとるほかないだろう。空砲によって身元確認に熱中している衛兵の注意を引き、皆を南棟方面に送り込む。ギルドフォードは宮廷で銃を使用する許可が滅多に下りないことに不満をもっていたから、空砲くらい撃ってくれるだろう。魔女に寝取られていようと関係はないはずだ。
魔女は南棟から拠点のある東棟に逃げるはず。そのルートを塞ぐポイントは数えるほどしかない。もし門から宮殿の外に逃走するなら、今から健脚の衛兵を送れば追いつく。
「・・・よくわからないけど、言い争っている場合じゃなさそうだね。耳を抑えて、僕から離れてくれるかな。」
ギルドフォードは持っていた懐から取り出した耳栓をはめると、人の少なかった噴水の近くに走った。片手で持った火薬袋を噛み切ってマスケットの火皿に入れると火蓋をきり、頭上に向けて引き金を引いた。
パーンという音が中庭に響く。
煙のたった噴水に衛兵たちの視線が集まった。指示を出す舞台は整った。
私はゆっくりと煙の近くで噴水の壁に登った。
*当初のまえがきにはロバートの人物紹介がありましたが、一部不正確だったため取り下げました。混乱をまねいてしまい申し訳ありませんでした。
*展開上大事なので、もうすこしだけ真面目でややこしい展開が続きますが、どうか辛抱してお付き合いいただければと思います。