CCII 対象ルクレツィア・ランゴバルド
俺は思わず剣を抜いていたが、まだ噴水の手前にいる俺の位置からルクレツィア・ランゴバルドまではそこそこの距離があった。ここから剣を構えたまま走って切りつけようとすると逃げられてしまうだろう。
俺が剣を抜いたことに観客たちも気づいていたようだったが、パフォーマンスだと思っているのか怖がる声も聞こえないし、逃げる人も見えない。暗いせいでよく分からないのかもしれない。今ならまだ魔女もあの場にいるかもしれない。
一方でアーサー様とグリフィスは不審そうな声を上げた。
「ジェラルド、どうしたのかな?」
「何事だ!?」
答えたいが、二人はどこまで魔女を知っているだろうか。何も知らされていないかもしれない。
前を歩いていたラドクリフも俺の方を振り返っていた。暗くて見えづらいが、唇が動いた。
「(魔女か?)」
ゆっくりうなずいて、南棟出口の方角を剣先で指す。
「衛兵!衛兵!」
ラドクリフが前を向いて叫ぶ。
松明沿いに観客の前に立っていた衛兵たちが南棟側の観客に分け入っていく。だがアンソニーのすぐ側にはなぜか誰も配置されていない。
観客は混乱したようにどよめいている。アンソニーの後ろで影がうごめいているのが見える。さっきのジャンプ以降ルクレツィア・ランゴバルドの姿はみえないが、このままでは逃げられてしまう。
俺が走るしかない。
「そこをどけアンソニー!」
アンソニーに向けて叫びながら、灯された中庭を走る。
俺は人を斬ったことがない。
だがアーサー様のためにも、アンソニーの魂を奪った魔女を斬ることに、良心の呵責はなかった。
問題は俺の体が無意識に怯むかどうかだろう、そんな気がした。見た目の上では無防備な女を斬るのだ。
俺にできるか?
「なんだっ、一体何なんだっ!」
俺を見据えたアンソニーが、混乱したように叫ぶ。
直後に背が高い黒服の男がアンソニーの前に走り出て、立ちふさがった。
同時に後ろで誰かが空砲を撃つのが聞こえる。
「邪魔をするな!」
男に向かって叫ぶ。走ったあとにしては、俺の息は自分でも不思議なほど整っていた。
「無理な相談だ。」
剣を持って走り込む俺に対して、やけに冷静な声が返ってくる。
おととい会ったヘンリー王子の侍従だ。確かニーヴェットといった。
こいつも魔女に操られているのだろうか。
迂回してそのまま横を抜けようとすると、ニーヴェットは二本の刀を抜いて構えた。俺を通す気が無いようだ。ランゴバルドの差し金だろう。
二刀流?こいつは槍の使い手ではなかったのか。
アンソニーが参戦する気がなさそうなのをひと目で確認して、ニーヴェットに対して半身に構える。すでに距離が詰められていた。
剣術は甲冑をつけたもの同士で練習する。今のように二人とも甲冑がないのは、せいぜい決闘のときぐらいか。死はすぐそこだ。
だが俺は突破することが目的、そしてあいつは魔女を逃がすのが目的。
本来なら俺の先方は盾を突き出して。右肩の上で剣を構えるのがいつもの戦い方だった。だが俺には盾がなく、お互い甲冑を着ていない。刺すような突き方は血を見る。
俺は半身で剣を差し出す体勢になっていた。
ニーヴェットを殺す気はない。だが事故的にそうなってしまうかも分からない。
お互い睨みあいになる。ニーヴェットの二本構えは守備的で隙がない。
もちろんにらみ合う俺達の周りは静かではない。
「私闘だ、これは私闘だ!」
ラドクリフが叫んでいる。衛兵がどちらかに加勢するのを防いだのだろうが、なんで俺の味方に投入してくれないのか。
「殿下をお護りしろ!」
サー・エドワードが大声で叫んでいる。こんなことになって、アーサー様はご機嫌を崩されただろうか。だが誰がなんと思うと、魔女を排除してさしあげなくては。
「空砲か?」
マスケットに慣れていないグリフィスの焦った声が後ろで響いた。あれは衛兵の注意を引くための空砲だ。
「姫様!」
キャサリン妃の周りも騒がしいようだ。
剣を構えてニーヴェットに相対しているのに、なぜか周りの声が頭に入ってくる。
これではまずい、こんなに気を散らしては。
目の前のニーヴェットは動く素振りを見せない。魔女の戦略を考えれば、俺が足止めを食らっているのはあいつらの思惑どおりだ。
意を決し、剣を振るう。内側からニーヴェットの長剣を巻き込むようにして振り上げる。長剣を落としてくれれば上出来だ。
剣が風を切るヒュッという高い音。
鍋を落としたような嫌な金属音。
びくともしない。逆に上から剣先を押し付けるようにして、横に外された。
ニーヴェットは半身を変えて低く構え、短剣で俺の剣を抑えて長剣を差し込んで来ようとした。俺が飛び退くように後退したおかげで、どうにか助かる。
息は上がったが、さっきと同じ体勢に戻っただけだ。お互いに傷つける意思がないせいか、妙な間の取り合いが続く。
「私に代われ、フィッツジェラルド。お前は魔女を追え。」
ラドクリフが斜め後ろからゆうゆうと歩いてきたようだ。
確かに俺は押され気味だった。悔しいが助かったといえる。
「頼んだ。」
俺とすこし距離をとった右側で、ラドクリフが構える。ニーヴェットは二人を相手にするように扇の要の位置に移動したが、ラドクリフが剣をだしたことで、俺へのマークがゆるくなった。
剣でラドクリフに敵うやつはこの宮殿にはいない。もちろん、お互い装備がない分勝手が違うかもしれないが。
二人を迂回するようにアンソニーに向かって走り込む。
「全部の入り口を開放しろ!」
サー・エドワードが避難する観客の誘導にはいっていた。さすがにただ事ではない様相となった今、観客は建物に殺到している。このままでは紛れて魔女に逃げられてしまうに違いない。
でも南棟入り口はすぐそこだ。俺はアンソニーの目の前まで走ってきていた。
「なんなんだ・・・なんなんだよ、ジェラルド・・・」
アンソニーが泣きそうな顔で剣を構える。俺を防ぐつもりなのか。
魔女よ、俺を親友と刺し違えさせるつもりか?
「いいからそこをどけ!」
せいいっぱいの力で、今や魔女の奴隷になってしまった親友に向かって俺は叫んだ。