CCI 宮廷医トマス・リネカー
グリフィスの先導で中庭に降りていらっしゃったアーサー様は、すこし驚いたご様子になったあと、やや切なそうな笑顔を見せられた。
「だいぶ大げさになってしまったね。私が急にお願いしたからかな。」
「申し訳ありません。昼に間者騒動があったため、警備上の懸念があり、このような形となってしまいました。」
代表してラドクリフが頭を下げる。本当に警備が心配だったのなら観客をいれないはずだが、アーサー様もそこら辺の事情はわかってくださるはずだ。
「いや、都合の悪いお願いをしてしまった私のせいだから、どうか気にしないでほしい。みんな、私の気まぐれのために準備に奔走してくれてありがとう。」
「もったいなきお言葉です。」
ラドクリフが礼を取る。ラドクリフが仕切ったことに間違いはないが、アーサー様のお褒めの言葉が『ラドクリフとその他』に向けられるのは不本意だ。俺の貢献もアピールしたい。
「アーサー様、俺が中庭をお膳立てさせていただきました。ご満足いただけると良いのですが。」
「これは、夢のようだね。光が溢れている。ありがとうジェラルド。」
アーサー様はそうおっしゃると目を細めて喜ばれた。アーサー様の目の前には幾何学模様の光の綱が中庭に浮き上がっている。
俺は誇らしかったが、アーサー様の目が中庭よりも遠くを見ている気がして、なんだか少し不安にもなった。
「お気に召して良かったです。」
「ジェラルドは才能があるね。だからこそ・・・おや、モーリスも来てくれたのかい?」
アーサー様は俺達から離れたところにいたモーリスにお気づきになった。ちょうどラドクリフが配った帽子を被っているところだったようだ。
モーリスがこちらにとたとたと走ってきてひざまずく。
「はい!このモーリス・セントジョン、アーサー様のご遊覧に同行させていただけること、この上なく光栄に思っております。」
「そうかしこまらないでほしい、モーリス。私は散歩に出たかっただけなのだから。」
久しぶりに見たモーリスの顔に安心なさったのか、アーサー様は優しい顔をしていらっしゃる。見ているラドクリフやグリフィスの表情もいつもより柔らかい。
「アーサー様、よろしければ、こちらの黒い帽子を被っていただけないでしょうか。」
ラドクリフは俺たちと同じ黒い帽子を差し出した。
「分かった、ありがとう。」
従者と同じ帽子なんてかなり不自然だが、アーサー様はこういうときに特に疑問を呈さない。俺たちを信頼なさっているのだろう。
「ルートは決まっているのかな、ロバート。」
「それにつきまして、もしよろしければ、フィッツジェラルドの左側、西棟沿いを歩いていただけるでしょうか。フィッツジェラルドを中心に、私が前、グリフィスが右、モーリスが後ろを歩きます。」
ラドクリフはお願いをしていながら断られることを想定していないようだったが、我らがアーサー様はお願いを無下にすることはしない。
「そうだね、おかげで私はあまり目立たずにすむし、妃に最後の挨拶をする機会になるね。」
しみじみとした様子で、アーサー様が悲しいことをおっしゃった。モーリスが慌てたようにアーサー様の前でひざまずく。
「アーサー様、どうか私達を悲しみの沼に突き落とさないでください。今日はお顔色もよろしいように見受けられます。お命に危険が差し迫っているようにはみえません。弱いお心持ちではお体に障りますから、どうかお気を強くお持ちになってください。」
モーリスが嘆願するが、アーサー様のお顔色は決して良くはない。でもモーリスが転任したときとあまりお変わりになっていないことも確かだった。
「ありがとうモーリス。悲しませてしまってすまないね。でも、私はもう長くない。自分の体は自分がよくわかっているよ。それとモーリス、その姿勢は肩に負担がかかるだろう。楽にしていいよ。」
「アーサー様、実は聖女さまが・・・」
「アーサー様!」
聖女への警戒を解かないラドクリフがモーリスを遮った。こいつはアーサー様が死を示唆されるといつも余裕がなくなる。
「リネカー医師は命の危機はないと診断しておいでです。彼の治療で、前に病気をされたときも回復なされたではありませんか?どうぞお諦めにならずに、周りの人間の意見も少しばかりご信頼いただけないでしょうか。」
アーサー様は少し考えこむと、おもむろに手袋をお脱ぎになった。
「ロバート、ジェラルド、私の指先を触ってみてもらえるかな。」
「指先・・・ですか?」
俺とラドクリフは戸惑って顔を見合わせた。
「遠慮することはないよ、さあ。」
アーサー様に急かされるようにそっと触れた。
氷のように冷たい。
「冷たっ!」
思わず震えてしまう。
「冷たい!?・・・取り乱してしまい大変失礼しました。どうかお許しを。」
ラドクリフも動転しているようだった。アーサー様は寂しそうに笑う。
「構わないよ。分かってくれたと思うけど、だんだん手足の先から、体の端から冷たくなってきていてね。夏になるのに、体はゆっくりと凍死しているようだよ。リネカー医師は病気ではないと言っているけど、近頃は肩や腰にも鈍い痛みを覚えるようになった。前の病気と違って、治療もわからないまま進行しているから、もう治る見込みもなくてね。」
気が気でない俺とラドクリフの前で、淡々と説明するアーサー様。
お体の冷たさに、初めて俺はアーサー様が身罷りになる可能性を感じた。
「そんな、アーサー様・・・」
俺たちが言葉を失っていると、サー・エドワードが準備できたとの合図を送った。呆然とする俺たちの前でアーサー様が優しい顔をされる。
「準備ができたようだね。さて、グリフィスが同じ症状を出していないから、伝染する心配はないとは思う。でも最期までに宮殿にみなには挨拶はできないだろうからね。だからこれは、お世話になった人たちに私を見せるいい機会になると思う。」
俺たちが反論の言葉を探しているあいだに、帽子を被ったアーサー様はラドクリフが案内した位置についていた。
俺たちも慌てて定位置に着く。
ラッパが鳴って、行進が始まった。
「向こうのヴェランダに見えるのは妃かな。皆がそろっているね、アンソニーがいれば尚よかったのだけど、それは仕方がない。さて、私は皆に頼みたいことがあってね。だから今言っておかないといけないことがある。」
アーサー様の声は決して大きくはないが、観衆のざわざわする声の中でも、不思議とよく聞こえた。
前をゆく衛兵と同じゆっくりしたペースで行進しながら、俺達はアーサー様に耳を傾けた。
「私がいなくなって不幸になる人はいる。私の死を利用する人まででるだろうと思う。でもそれまでに私がどう行動するかによって、それは大きく変えていける。そのためにも、生きているうちにできることをしておきたいと思っているよ。」
アーサー様はやけに抽象的なことをおっしゃった。
「幸い私には少し時間があるようだから、これはそれについての・・・おや、あそこにいるのはアンソニーかな?」
調子が変わったアーサー様の声につられて、皆が前方をみる。
南塔の前で、いつもより落ち着いた色のマントにベレー帽を被ったアンソニーが嬉しそうにこっちを見ていた。魔女に操られても、やはりアーサー様の晴れ舞台を見ることができて嬉しいのだろうか。
行進しながらアンソニーを眺めていると、アンソニーの場所に女が割り込んできて、ちょっとした騒動になったようだった。
後ろの観客がアンソニーと女の上から俺たちを見ようとジャンプする。スカーフに包まれた頭しか見えなかったから、向こうからも俺たちは見えなかっただろう。
スカーフ?
あのスカーフは・・・
俺の脳裏に忌まわしい光景が蘇った。
アンソニーを盾のように突き出し、あのスカーフで顔を隠した、憎むべき魔女。
俺が情けなく親友を犠牲にして逃げ出した相手・・・
「ルクレツィア・ランゴバルド・・・」
アーサー様を裸にし操ろうとする悪女・・・
アンソニーの仇・・・
俺は剣を抜いた。




