CC 逃走者ルイザ・リヴィングストン
中庭は混んでいた。前世のマラソンの応援みたいにロープが張ってあるのかと思ったけど、どうやら衛兵が等間隔に並んでいて、そのラインから前に出てはいけない、ということみたい。
「(魔女様、こっちだ!)」
はやるアンソニーのあとについていくと、衛兵がアンソニーのために見晴らしのいい場所を確保していた。
「どうぞこちらへ、閣下。」
「ご苦労さま。」
手を上げてお礼を言うアンソニーに場所と何かの瓶を明け渡すと、そのまま衛兵は南棟に戻っていった。VIPスポットとはいえ椅子は用意してないみたいで、一人分の場所があるだけ。私とトマスの場所はないから、アンソニーの頭越しに見る形になる。
「ちょっとかがんで、アンソニー。」
「こうか?」
アンソニーが困ったように腰をかがめると、ようやく中庭が見えた。
四角い中庭の四方と、丸い噴水の周りに灯籠みたいな火が設置されていて、幾何学模様にライトアップされた景色が広がった。なんだか神秘的な儀式が始まりそうな感じがする。
前世のイルミネーションに比べれば光が弱いけど、夜に儚げにロウソクが灯されているこの景色はむしろロマンチックかもしれない。灯篭流しみたいな感じかしら。整然と配置された火が少し頼りなさげに揺れて、風情を感じさせた。
「確かに、これはトマスの奥様も喜んだかもしれないわ。王太子の周りも粋なことをするのね。」
「ああ、綺麗だな。」
形容詞のバリエーションに乏しいトマスも、景色にあっけにとられている。
「なあ、もういいか?」
前傾姿勢がつらそうなアンソニーが私に泣きついてきた。
「ありがとうアンソニー、評判のライトアップはもう見られたし、あとはアンソニーの肩越しにアーサー様の行進を見てもいいかしら。」
「別にいいけど、肩に魔法をかけるなよ、レディ・リヴィングストン?」
今度はアンソニーが少しドギマギした表情をした。考えてみれば、初対面のときに後ろから思い切り肩のトリガーポイントを押したのよね。トラウマになっちゃったかしら。
「大丈夫、いい子にしていれば痛くはしないわ。」
「レミントン、ウィロビーと距離が近いんじゃないか。」
トマスが苦言を呈した。トマスからしてみれば私とアンソニーはマッサージ師とその犠牲者だからこの距離感は不自然かもしれないし、アンソニーを知っている衛兵からは『誰だあの女は』ってなるかしら。
「こら平民、俺の呼び名はウィロビー閣下だぞ!」
「大丈夫よ、アンソニーは怖くないし、暗いから私が誰だかわからないでしょう?分かったとしてもルイザ・リヴィングストンの評判の問題はないと思うわ。トマスはアンソニーの頭越しに見えるけど、私は背丈が同じくらいだからこうしないと見えないの。せっかく見に来たんだもの、王太子殿下を見てみたいわ。」
背のあまり高くないアンソニーを前にして二列目、というのはそんなに悪くないポジションだと思う。
「俺、背丈の割に足はそこそこ長いんだぞ!」
「まあレミントンがそれでいいなら構わないが・・・そもそもヘイドンを探すのが目的じゃなかったのか。」
そう言えば、忘れてた。
「そうだったわ・・・でもマージを探しているとこの準特等席を放棄しないといけないし、あとにしましょう。」
「おいおい・・・」
「俺を無視するなあ!」
「待って、人がでてきたわ!」
西棟の側から何人かアイボリーの服の衛兵が出てくるのが見えた。一人だけグレーの甲冑みたいな胴衣を着た人が司令を出している。遠目で見ても鼻が大きくて、あの格好にも見覚えがある。
「ねえトマス、あのボスみたいな、鼻の特徴的な人は誰かしら?多分会ったことがあるわ。」
「あれは・・・」
「あの人はサー・エドワード・ネヴィルだ。アーサー様とキャサリン様の護衛を統率しているんだ。」
名前と顔を一致させることにかけてはアンソニーの方があてになるみたい。得意げにしている。
「ありがとうアンソニー。そうなのね、だから姫様にお会いしたときに見かけたんだわ。」
たしかあの人のチェックをくぐるときに、私はルーテシアと命名されたんだった。
「姫様って誰のことだ、レミントン?」
「姫様ってもちろんキャサリン王太子妃殿下よ。トマスは会ったことないの?西棟にお邪魔したときに・・・あ、見てみて、噂をすれば姫様がいるわ!姿勢が良くなっているみたい!」
西棟の南側に視線をやると、ベランダがライトアップされていて、そこに昼と少し違う白銀のドレスを着た王太子妃様が佇んでいた。
巻き肩が少し治っているみたい。まだ完全ではないけど、昼に見たよりも堂々として見える。姫様は頭部前方位姿勢になりがちだけど、今はちょっとましかもしれない。もともと可愛らしいお顔をしているけど、凛とした気品が加わって、スターみたいな存在感があった。ただあのご体型で堂々とされていると胸が余計に強調されてしまって、同性の支持は今ひとつ広がらないかも。
庭を更新する王太子とベランダから見守る王太子妃。なんだかロミオとジュリエットみたいなセッティングね。あの二人結婚しているけど。
私がじっと観察していると、王太子妃殿下が私に気づいたみたいで、すこし驚いた顔をしたあと微笑んで手を振った。私も姫様に向かってレディの礼をする。
「ランタンがないから顔がわからないとおもったけど、ライトアップのせいかしら。この距離でわかるのね。」
「レミントン、王太子妃殿下に会ったのか?」
トマスはやたらと驚いている。姫様は普通に中庭で猫を探していたから、そんなにレアな存在だとは思わなかったけど。
「今日の昼にね、間者の騒動があったときに保護してもらったの。まあ間者騒動自体がそもそも・・・なんでもないわ。とにかく、猫を拾ったのがきっかけで歓待していただいて、パエリアをごちそうになったの。そういえばあれから何も食べてないわ。」
少しお腹がすいてきた。
「相変わらず無意識に冒険しているんだな・・・ほら、行進が始まるぞ。」
トマスに突かれてアンソニーの肩ごしに庭を見る。サー・エドワードを先頭に逆V字になった衛兵隊に先導されて、5人の色とりどりの服を着た貴公子が+字になってこちら側に歩いてくるのが見えた。大きめの帽子を被っていて5人ともよく顔が分からないけど、後ろの赤茶と水色の服はモーリス君なのが分かった。
「アンソニー、あの中央の赤い服の人がアーサー様?帽子のせいで顔が見えないわ。」
「いや、アーサー様は左の、グレーの服を着ているお方だ。なんで中央じゃないんだろう。でもアーサー様がお元気そうで良かった。」
グレーの服の方を見ようとしたけど、暗い上に帽子のせいで顔が見えない。そこまで不健康な歩き方じゃないと思う。マント状の服のせいで体型はよく分からないけど、ヘンリー王子よりは小柄みたい。
「アーサー様万歳!」
「王太子殿下万歳!」
どこからか歓声がかかって、観客がにわかに活気づいた。
どんとアンソニーが押されて、マントを着た女性が割り込んできた。私の前が塞がれて見えなくなる。
「ちょっと奥様、場所を・・・」
「殿下がこちらをご覧になったわ!」
私を無視して王太子一行に黄色い歓声を上げる女の人。顔が見えないけど年齢からみて侍女だと思う。アーサー様のファンみたいな感じなのかしら。せっかく王太子が近づいてきているのに、見えない。
「アンソニー、騎士が簡単に領地を放棄してはいけないのよ?中庭が私から見えなくなっちゃったじゃない!」
「わ、分かってるっ!」
アンソニーがキッと唇を噛んで、女の人に突っかかった。
「やい、俺が誰だか分かっているのか!」
「やっぱり殿下がこちらを見ていらっしゃるわ!」
話が通じなさそう。仕方がないから、アンソニーたちの領土争いの後ろでぴょんとジャンプしてみる。
ちょっと見えた。まだ王太子一行と私の場所には距離がある。
もう一回ジャンプする。
一瞬見えた景色は、さっきよりも+字の隊列が乱れてみえた。マーチみたいに違う形に展開するのかもしれない。
三度目のジャンプをしようとすると、周りの歓声が変なざわめきに変わっているのに気がついた。
ざわざわという声が、遠くの観客から私の方向に、波みたいに向かってくる。
遠くからだんだん近くにかけて、笑顔が不安そうな顔に、歓声が戸惑った声に、切り替わっていく。
王太子一向に向けられていた目線が全部、ぷつんと糸が切れたように戸惑いだす。
周りを不安そうに見回す人たち。
ひっと息を飲む音。
何が起きているの?
とりあえずジャンプしようとすると、上から肩が抑えられて、私はバランスを崩した。
「痛いわよ、トマス。足を捻ったらどうするの・・・」
「逃げろ、レミントン。」
トマスは強引に私の体を反転させた。
そのまま背中をパンと押される。
「逃げるって、なんで!?」
「絶対振り返るな!走れ!!」
普段怒鳴らないトマスの大声に気圧されるように、私はとたとたと走り出した。観客の合間を抜ける。
逃げるってどこへ?
何から逃げればいいの?
私以外にも何人か逃げ出した人たちに混ざって、とりあえず南棟に入る。受付の衛兵はいなくなっていた。
後ろでキーンと刃物がこすれる嫌な音がする。
「何事だ!」
「衛兵!衛兵!」
「そこをどけアンソニー!」
「なんだっ、一体何なんだっ!」
パーンという、コルクを抜いたような音。
まさか、銃?
「邪魔をするな!」
「私闘だ!これは私闘だ!」
「殿下をお護りしろ!」
「空砲か!?」
「姫様!」
「こっちだ!」
誰だかよくわからない声が何十にもなって響く。金属の高い音、鈍い音。
逃げなきゃ。
なんだかわからないけど、ここにいると流れ弾に当たりそうな気がする。
後ろの怒号の中で、耳鳴りみたいな高い音が時折聞こえる。
「全部の入り口を開放しろ!」
「いいからそこをどけ!」
「あれはフィッツジェラルドか!?」
「北棟に入れ!」
「子爵はどこだ!」
「私に代われ!」
「話が違う!」
騒ぎ声から逃げるように、とりあえず目の前の暗い廊下を走る。
走るにはマントが邪魔。ビロードのいいやつだけど、走りながら脱いで廊下に捨てた。
階段に差し掛かって、何も考えずに登り始める。最初は二段飛びだったけど、きつくなって一段ずつ細かく駆け上がった。
なんで階段を上がることにしたのか自分でも分からないけど、とりあえず一階より安全な気がした。私と同じタイミングで逃げていた人たちはみんな外に向かったみたいで、階段も二階も誰もいなかった。
でもブーツって走りづらい。マントと違って簡単に脱げないし、足首が痛くなる。
帰巣本能っていうのか、気がついたら私は東棟へ渡る通路に向かって走っていた。
事件が起きている中庭からの距離はあまり変わらないのだけど、でももし宮殿が襲撃をうけているなら南の門に逃げた方が危ないかもしれない。流れ弾も来ないと思うし。
窓からは中庭からの叫び声と金属がこすれる音が入ってくる。
「やめろ、やめるんだ!」
「松明に気をつけろ!」
「静まらんか!」
「目を覚ませアンソニー!」
「殿下はどこだ!」
窓から聞こえてくる声の中に聞きたくない内容があった。
アンソニーになにかあったのかしら?怪我?
「ああもう、なんでこんなときに男爵は寝ているのよ!」
独り言を南棟二階の廊下に響かせて、私は走った。




