XIX 勇者アンソニー・ウィロビー・ド・ブローク
ダドリー様が羽ペンとインクを用意したタイミングで、俺は当時の様子を頭の中に再現しはじめた。
「廊下で待機していた俺たちの前に、裁判の衣装を着たルイーズ・レミントンとその侍女が歩いてきました。俺たちは二人を制止して、令状を取り出すふりをしながらロープを用意しました。ルイーズ・レミントンを捕縛するのは、首尾よくいきました。情報通り、特に他人を攻撃する意図のない少女のようです。俺たちの作戦に混乱したようで、ほとんど抵抗らしい抵抗をしませんでした。」
そう、全て計画通りだったのだ。ルイーズが突然現れたロープに巻かれた時、俺とアンソニーは得意の絶頂だった。
「その際、二人目の魔女はどうしていたのかね。」
ダドリー様は普段見ないペースでペンを走らせていた。
「はい、助けに入る様子はありませんでした。彼女は侍女としてその場にいたので、アンソニーが逮捕の経緯を説明して、そのまま帰るようにと説得していました。侍女はルイーズ・レミントンと目配せをしていたかもしれませんが、それは魔女が助けを求めているだけだと思いました。侍女も呆気にとられたようで口数は少なかったのですが、特に怪しいとは思いませんでした。」
そう、遠目でしか見なかったが、ランゴバルドは普通の侍女として振舞っていた。だから俺はわざわざ顔をチェックしなかった。
「ルイーズ・レミントンを距離をとったまま縛った後、俺が前、アンソニーが後ろのロープの端を持って、魔女を護送する準備が整った時でした。後ろからアンソニーの叫び声が聞こえたのは。」
そう、ここまでも完璧に計画通りだったのだ。ここから暗転し始めるのだ。奈落の底まで。
「振り返ると、魔女がアンソニーの首に指をあてていて、アンソニーがしびれを訴えていました。アンソニーが抵抗しないのをいいことに、魔女はアンソニーのフードを外しましたが、魔女が触れていたのは終始、分厚い生地の上からです。」
「生地の上からも有効なのか、そうすると私たちの作戦には最初から欠陥があったことになる。」
「いえ、ルイーズ・レミントンは捕縛できたのです。もう一人については情報がなかった上に、今になっても有効な手立てがわかりません。」
アンソニーが叫び声を上げるまで俺はただの侍女だと思っていたのだ。今から時間を巻き戻してもアンソニーを救える気がしない。
無力感がすごい。
「フードを外されたアンソニーは混乱したように見え、息が上がっていましたが、その時はおそらく二人目も魔女だとわかっていませんでした。俺の問いかけに応じてルクレツィア・ランゴバルドは魔女だと名乗りましたが、信じていないようでした。」
「なぜウィロビーは抵抗しなかったのかね。」
「多分魔法をかけられている自覚がなかったのだと思います。最初は触られたところがしびれているだけで、頭は正常なようでした。」
ダドリー様はペンを止めて、何やら考え事を始めたようだった。
「つまり、魔法をかけられてから魔法が効くまで、タイムラグがあるということか。」
「そうとも言い切れません。早い段階でアンソニーは魔女のことを可愛いと言い始めました。」
「可愛いと?」
「はい、多分気がつかないうちに魔法にかかっていたのでしょう。そうだ、今思えば魔女はもう一度可愛いと言うようにアンソニーに要求していました。あれはきっと魔法が効いているか確認したかったのでしょう。」
思い出すと色々不可解だった点が繋がり始める。この冷静さが当時の俺にあったら・・・
「今までの情報を整理させてほしい。この二人目の魔女は対象に魔法と悟られないまま魔法をかけることができ、かつ服の上から触るだけでも魔法が有効である。魔法の効果はルイーズ・レミントンと同系統で魂を手玉に取られるが、一方で魔法が効いているかどうかは魔女の側から確認しないと分からないし、初めのうちはかけられた方も理性を保っているように見える。」
なるほど、そう言われてみれば、「魔法にかかっているふり」が対策として有効そうな気もしてくる。魔法をかけられてかつ効かないという条件は難しそうだ。
「そう言う見方はしていませんでした、さすがダドリー様です。ですが最初のうち魔女は弱い魔法をかけていたのかもしれません。俺がアンソニーに正気に返るよう呼びかけた時、魔女はあいつにより強い魔法をかけはじめました。」
「強い魔法?」
「はい、アンソニーはうなるような叫び声をあげ、触られているところ以外も痛いと言っていました。」
「痛い?ノリッジではそういった情報は一切なかった。おそらくルイーズ・レミントンとは別系統の魔法なのだろう。」
ダドリー様の表情が再び曇る。
少しの間、沈黙が場を支配した。
「フィッツジェラルド、残念ながらその先を聞かなければいけない。」
思い出したくない。ここから先はアンソニーのためにも思い出してやりたくない領域だ。
「アンソニーは、自分はもう手遅れだと言い、俺に逃げるように言ってきました。」
「痛みのせいか?」
「いえ、それが・・・」
言いたくない。
「いいかフィッツジェラルド、たとえ魔女のいいなりになってどんな恥を晒したとしても、魔女に立ち向かったウィロビーは勇者だ。我々は彼の勇姿を知らなければならない。」
いくらダドリー様でもそれは強引なこじつけだ。
「決して口外はしない。彼の兄に対してもだ。」
「・・・次第にアンソニーの目の焦点が合わなくなり、女みたいな声で喘ぎ始めたのです。俺に逃げろと言いながらも、だんだん痛いと言うよりは、悦にいったような声を漏らし始めました。徐々に、魔女に魂を支配されていったのです。」
「彼の様子は。」
「・・・顔が赤くなり、口が開き、だらしなく少し舌を出して、涙を湛えた目が虚ろな半目になっていました。」
ダドリー様は沈黙した。アンソニーをよく知っているだけに、沈痛な気持ちは共有されているのだろう。
「・・・最後に俺に逃げるように言い残して・・・あいつは・・・」
「フィッツジェラルド・・・」
「・・・はい、最後まで言います。『ふあああああっ』と断末魔とともに魔女の前で・・・崩れ落ちました。」
いつの間にか俺は下を向いていた。自分でも気づいていなかったが、涙で水溜りができている
「フィッツジェラルド・・・気持ちは察する。気休めになるかは分からないが、ウィロビーはまだ死んだわけではない。スタンリー卿の事例もある。」
「でも、もう・・・」
アンソニーは抜け殻になってしまった。これから魔女の奴隷として惨めな一生を送るのだ。本人にもし選択権があったら、名誉を保ったまま死ぬことを選んだだろう。
俺たちに愛された、天真爛漫としたアンソニーは、もう帰ってこない。
島出身者への差別に当てられ、ねじ曲がっていた俺を更生させてくれた、あの偏見もくもりもない目は、もはや虚ろにウロウロするだけになってしまうのだ。魔女に操られるアンソニーは見たくない。俺のことを覚えているかも怪しい。
そして一流の騎士になると言うあいつの夢も、二度と叶うことはない。多分もう覚えていないだろう。
「フィッツジェラルド、言いたいことがあるなら口に出してみなさい。その方が溜め込むより楽になることもある。」
「・・・同じ飯を食った騎士仲間として、いずれは相手の死に目に会うかもしれないとは、恐れると同時に覚悟していました。ぐっと痛みに耐えながらも、最後の力を振り絞って、生き残った方に後のことを託して死んでいくのだと思っていました。それが、あんな泣き声をあげて、女の前でへなへなと倒れ込むだなんて・・・なんて・・・」
俺は下を向いたまま泣きじゃくった。人質として島を出るとき親父から、王都では弱みを見せるなと、絶対に泣くなと厳命されていたし、今まで守ってきたが、もうその気力がなかった。
気づいた時にはフードが外され、ダドリー様のハンカチが顔に当てられていた。
「フィッツジェラルド、ウィロビーがお前の知るウィロビーであった最後の日は、決して栄光に満ちたものではなかったかもしれない。だがそれはある大きなことを達成した。何だかわかるかね。」
「・・・いいえ。」
俺は捕獲したルイーズ・レミントンを放置してきたし、二人目の魔女についての手がかりもほとんど手に入れないまま逃げ帰った。
「俺は・・・あいつの魂を・・・無駄に・・・」
「無駄にはなっていないよ。彼の最後のセリフを思い出してみるんだ。」
「『ふあああああ』ですか。」
「違うよ、それはお前の知るウィロビーが言うセリフかね。」
ダドリー様はしゃがみこんで、俺と目線を合わせてきた。
「最後のアンソニーらしいセリフ・・・『逃げろ』・・・」
「そうだ、フィッツジェラルド、お前は心身ともに生き残った。ウィロビーの最後の願いは叶ったのだ。」
そうか。
アンソニーはプライドと魂を犠牲にして俺を逃がしたのだ。
俺は重い十字架を背負って生きていくのだ。
「ダドリー様・・・」
「フィッツジェラルド、ウィロビーの分の誇りを持って、明日から生きていくのだ。それがウィロビーのためだ。わかったね。」
「はい。」
「では、部屋に戻って、ゆっくり休みなさい。ご苦労だった。」
ドアが開いた。
俺はフードをかぶりなおして、早足で建物の外に出ると、庭園のなるべく誰もいないところを探した。木陰みたいなところで仁王立ちになると、大きく息を吸う。
「うおおおおおおおおおっ」
思いっきり叫んだ。
驚いた犬が吠えるのが遠くで聞こえる。黒装束の男が庭で叫んでいれば、誰か警備の人間が来るかもしれないが、そんなの知ったことか。
みていろアンソニー。
俺はやってやる。




