CXCV 傾聴者マリア・デ・サリナス
「ロバート!ジェラルド!」
モーリスがライトアップされた中庭を横切って走ってくる。従兄弟のオリヴァー・セントジョンを引き連れているみたいだ。モーリスは疾走しているというよりトコトコと駆けている感じがして、なんだかのどかだ。
「微笑ましいな。今日は緑の服じゃないんだな。」
いつもは深緑や青緑のローブを着ていることが多かったモーリスだが、今日は赤茶に水色の飾りが入った割と変わった色の服を着ていた。意外と様になっている。
「フィッツジェラルド、警告しておくが、モーリスに手を出したらお前を斬るからな。」
「なんのことだ、ラドクリフ?」
横でラドクリフが訳のわからないことを言っているが、とりあえずモーリスは今の俺の救世主だった。さっきから目を合わせないようにしているが、デ・サリナスが俺を睨んでいるのをひしひしと感じる。
「ふたりとも、アーサー様が外出されるというのは本当ですか?」
そばまで来て息を整えながら話しかけてくるモーリスは、いつもよりも意気揚々として見えた。そういえば、一昨日モーリスとあったときも妙に明るい印象を持った。確か聖女がどうのこうの言っていたが。
「ああ、本当だ。モーリスも警護に参加してくれるなら、アーサー様もお喜びになるだろう。」
「ぜひ僕も参列させてください!これは慶事ですね、ロバート!」
「ああ!」
ラドクリフもいつもより嬉しそうにしている。モーリスとはラドクリフの新婚旅行以降会っていないはずだから無理もないか。
だが、俺は二人の再会を暖かく見守れない、差し迫った危機に直面している。
「ちょうど良かったモーリス、そこにいるデ・サリナス嬢に、『もっさり』という言葉にネガティブな意味はないと言いくるめてくれないか?」
「もっさり、ですか・・・」
モーリスは俺の後ろにいる侍女に気づいて、礼を取った。
「マリア様、夕影になほ映え映えしく清げに、錦繡もいみじうあざやかに見奉る。御気色悪しからずや?」
「本意なきも、興もさめてことにがうなりぬ。其のぶこつものの聊爾なる、いとあさましや。」
やばい、二人が何を言っているのか全くわからない。とりあえず侍女の機嫌が悪そうなのは分かったが、現状確認にしかならない。
「(マリア様はご機嫌を害していらっしゃいますが、一体何を言ったのです?)」
モーリスが小声で俺を小突いた。
「(王太子妃殿下のもっさりした体型は俺の好みじゃないって言っただけだ。)」
「(なんですか、それは!!)」
夕日でも少し顔が青くなったのがわかるモーリスが、デ・サリナスの方に礼をした。
「マリア様、わびにて侍られること、まことに至極なり。ことごとく島の容気にて、此の者、殊更ならず。ただ許したまはらむ。」
よくわからないが、モーリスは島の慣習ってことにして解決を図っているようだ。
「ちがう、島では大きい方がいいんだ!あくまで俺の好みの話だ!モーリスは単にもっさり万歳っていってくれればいいんだ!」
「ジェラルドは黙っていてください!」
俺たちが押し問答していると、デ・サリナスが気取った調子で扇子を広げた。
「縦しや。夷狄の悪性、なにともなや。セントジョン殿、此の者の扱ひのむつかしきこと、気の毒に思し遣る。」
相変わらず意味はわからなかったが、デ・サリナスは俺をバカにした目でみている。
「モーリス、意味はわからなかったが、今こいつ俺のことを野蛮人扱いしたよな。」
「いえ、必ずしもそうではありません。緑あふれる美しい田園地帯の出身者という解釈もできます。」
モーリスが必死で良心的に解釈をしようとしているが、訳のわからない言葉で侮辱された俺のプライドはズタズタだ。
「この侮辱、キルデーン伯爵家の名にかけて許すわけにはいかない。そもそも、なんでこいつはこの国の言葉で喋らないんだ。」
「女性は訛りや間違いなども気にされますし、外国出身の貴婦人の間では珍しくはありません。古典語は多くの国で宮廷言語ですから。あと、貴婦人に指をさすのはやめましょう。それと侮辱したのはお互い様ですよ、ジェラルド。」
モーリスはこうして理詰めで感情を逆なでしてくるときがある。俺は悔しくて地団駄を踏んだ。
「フィッツジェラルドが磔になろうと私はどうでもいいが、モーリス、その、無事か?」
いつもはどもらないラドクリフが、妙に意味ありげな目配せをして、モーリスに曖昧な質問をした。
「無事?肩のことですか?ええ、肩はもうこの通り、なんの問題もありません。聖女様のおかげです。」
モーリスが嬉しそうに肩を回してみせる。
「聖・・・ほんとか!!肩が治ったのか!モーリス!?」
「はい。でも肩のことでないとすると、無事とはなんのことですか?」
不思議そうな顔で尋ねるモーリスに、ラドクリフは驚きを隠せていなかった。
「いや、何もなければよいのだが・・・肩が治ったのは素晴らしいな。ただ、昨日の晩モーリスが宴会場から東棟に運ばれていくのを見た。ヘンリー王子の痴態騒ぎがあったのかと思ったが、魔女ルイーズ・レミントンの騒動もある。心配になってな。」
「人違いでは?僕はあの宴会ではなんともありませんでした。ヘンリー王子は相変わらずですし、僕は10年以上の間彼を知っていますから、今更奇行に驚くことはありません。」
モーリスは魔女については何も返答しなかった。ダドリー様は肩の悪いモーリスを計画の蚊帳の外に置いていたが、どこまで聞いているのだろうか。
「しかしあの青緑の服は確かにモーリスの・・・」
「他の従者も同じような服を持っているようです。今は寝込んでいるようでうすが、給仕のウィリアム・フィッツウィリアムは王都の仕立て屋の息子でしょう?東棟の従者の間にはいい生地が流通しているようですよ。予算を気にしないせいでもありますが。」
モーリスに少し影が差した気がした。どうやらヘンリー王子の浪費癖はモーリスをもってしても治せていないようだ。
今はそれよりも聞きたいことがある。
「東棟で魔女を見かけたか、モーリス?」
なぜか気まずそうなラドクリフに代わって、俺が直接聞くことにする。よく考えてみれば、肩が治ったなら秘密にしておくこともないはずだ。
モーリスは淡々と首を横に振った。
「いいえ、そもそも彼女が魔女だというのは真実ではなく、彼女は北方の修道院に送られたと聞きましたが、それがなにか。」
「いや、セシリア・ウィロビー修道院長やスタンリー卿が介入したらしく、レミントンは修道院に入らないことになったそうだ。それ以降は行方知らずだが、どうも東棟にいるらしいとの話がある。なにか聞いていないか、モーリス?」
俺はダドリー様からの情報を包み隠さず伝えた。アンソニーのことを知ったらモーリスは悲しむだろうから、俺が直接見聞きしたことは伝えないでおく。
モーリスは現場近くにいるのだ。これくらいは知っていてもいいはずだ。
「フィッツジェラルド、憶測に基づいた話を広めるな。デ・サリナス嬢もオリヴァーもいる。」
ラドクリフに言われて、ふといまだに不審そうに俺を見ている侍女の存在を思い出した。デ・サリナスは扇で顔を隠していて、反応が見えない。
知られたらまずかっただろうか。
「僕の知る限り東棟に怪しい方はいませんよ、ロバート。それはそうと、適当な時期にアーサー様にご紹介したい方がいましてね。僕の肩を治癒してくれた方です。警戒が強い今はまだ、アーサー様のもとに他人を入れるのは適当でないかもしれませんが。それでもリネカー医師の合意がとれれば、アーサー様のご気分がよくなる方に賭けてみてはどうかと。」
「なるほど、医者か。名前は?」
ラドクリフは乗り気のようだった。医者を変えたところでアーサー様が劇的に変わる予感はしないが、なんでもいいから試してみたいのかもしれない。
「聖・・・忘れてしまいました。」
モーリスは苦笑した。
忘れた?モーリスらしくない。
「モーリスが人の名前を忘れたことなんて今までなかったな。」
「いえ、肩を治していただいて以来、僕は聖女様とお呼びしています。本名で呼ばせていただくことが稀なので、忘れてしまったのです。」
「聖女?女なのか?」
今度はラドクリフが眉をひそめた。確かに前からモーリスは『聖女様』と呼んでいたが、考えてみたらモーリスのような宮廷貴族をそんな女が治療するのは不自然だ。
「奥ゆかしいご本人のご希望でまだ正式には聖女ではいらっしゃいませんが、その治癒の力はウォーラム大司教の太鼓判つきです。決して怪しい女性ではありません。さてロバート、つもる話もありますが、せっかくアーサー様が外に出られるまたとない機会です。この調子でお元気になっていただければ、医者など不要になるかもしれません。」
「そうか、そうだな。だが名前のわからない女は、教会の推薦があってもアーサー様に近づけられない。魔女の疑惑もある。それは覚えておいてくれ、モーリス。」
「・・・わかりました。」
モーリスは聖女様とやらをアーサー様に引き合わせたかったらしく、女と聞いて態度を硬化させたラドクリフを前にすこし残念そうにしていた。
「わかればいいんだ。さてモーリス、少しの間私と警備を代わってくれないか。ウィンスロー男爵に話があるので、北棟に行ってくる。」
「ウィンスロー男爵?なんの話でしょうか。」
モーリスも不思議そうだが、たしかにアーサー様がいらっしゃる直前のタイミングで会いにいく相手ではない気がする。
「魔女ルイーズ・レミントンをノリッジから王都まで護送したのはウィンスロー男爵だ。彼の様子を見ておきたい。できれば北棟の警備は魔女と縁のないサー・アンドリューに一任したいのだが。」
なるほど。悔しいが今日のラドクリフは隙がない。
「アーサー様のご行進だというのに、さっきからなぜ魔女の話ばかりしているのです?」
不審そうなモーリスは、どうやらこれがアーサー様のお散歩以上のものであることに気づいていないようだ。
「フィッツジェラルドのアイデアだが、この機に魔女をおびき寄せたいと思っている。魔女はアーサー様を狙っているようだから、顔を見に来るだろうとの算段だ。だが警備の側に魔女の味方がいると厄介になる。」
「・・・ロバート、魔女が無罪となった決定には教会が関わっている上に、国王陛下のご意向が働いていると伺っております。独断であまり無茶なことをしないほうがいいのでは。」
モーリスとラドクリフは珍しく意見をぶつからせているようだった。
「モーリス、政治的な理由で司法を捻じ曲げられるのは嫌いじゃなかったか?それに裁判は茶番だったと聞く。ましてや今回の作戦はアーサー様をお護りするためだ。」
「判決が下っている以上、彼女の自由を拘束するのは私的制裁になります。判決が不服でも、それは客観的な正義ではありません。そもそも、おびき寄せるためにアーサー様のお散歩を使うなど敬意が足りないのでは。」
この二人が言い合うのは珍しい。どちらも冷静なタイプな上に思考回路が似ているから、いつもはあまりずれることはないのだが。
俺もラドクリフに加勢したいが、口では二人にかなわないので黙って見守ることにする。
「あなかまたまへ!」
さっきから静かにしていたデ・サリナスが叫んだ。何を叫んだのかはよくわからない。
「魔女、聖女、いづれも怪異にて胡散なり。呪詛の類、信なからざれば畏りあり。且つは、姫様のもとに南の国より来たりし賢者あり。医学に通じ、プエブラ博士の挙によりていたはれば、姫様の弛げなるさま、たちどころに止む。なほなほ太子様にあひ見せたまふべし。」
やっぱりよくわからないことを言っているが、また南の国自慢が始まったのだろうか。
「其の賢者とやら、太子様、の、あんばい、よくされるや?」
ラドクリフがたどたどしい古典語で質問した。これは俺でもわかる。
「おいラドクリフ、お前俺のことを散々笑っておいて、自分だってまともに話せないじゃないか!」
「黙れ、フィッツジェラルド!家庭教師から逃げ回っていたお前と違って私は独学だ。読み書きならできるが、会話は難しいのだ。」
「あなかま!」
また意味のわからない叫び声が中庭に響いて、俺達は言い争うのをやめた。
「騒ぎを謝し、ここにかしこまり申し奉る。さてマリア様、其の賢者の名をば知ろしめするか。我等の聞き及びてもことよろしや?」
モーリスが俺たちの意を汲んで質問をしてくれた。
「然り、物ならず。其の者の名は・・・」
デ・サリナスは演劇でもするように、扇を大げさに広げてかざした。
「ルシヨンの賢者、ルーテシア・ラフォンテーヌ。」




