CXCIII 東棟警備責任者チャールズ・ブランドン
ブランドンは走ってきたのか、『大変だ』と叫んだ直後から息を整えてようと黙ってしまって、俺たちは一体何が大変なのかというミステリーに包まれていた。
「どうしたのだ、チャールズ。」
王子様も困惑したご様子でいらっしゃる。
「なんでも王太子が中庭を練り歩くそうだ!東棟も二階より上の中庭に面する回廊を警備するようにとの通達が来た。」
「なんだって?」
「なんと!」
何人かの驚く声が重なった。
本当にびっくりだ。
王太子様は部屋にこもって出てこないから、ひょっとしたら架空の存在なんじゃないかって噂まであったくらいだった。そんな王太子様が中庭に出てくるらしい。
「警備はどうなっている?」
ご自身の警護にはなぜか無頓着でいらっしゃる王子様だけど、真っ先に警備の心配をされた。
「近衛連隊が呼ばれている。だが一階部分からの見物は可能だとの通知もあった。」
ブランドンも落ち着いたのか、いつもの声の大きさにもどっていた。
見物できる?なんでわざわざ知らせまわるんだろう。どうせなら俺も謎の王太子様を見に行きたいけど。
「そうか、兄上が・・・義姉上はどうされるのか?」
「それは分からない。王太子妃殿下については、私は何も聞いていない。」
ブランドンはいつも裏で金髪巨乳王女って呼んでいたキャサリン様に敬称をつけた。
「そうですか、殿下、私はプエブラ大使の元に行ってまいります。」
「承知した。ご苦労だった、ドーセット。」
ドーセット侯爵はこの件を知らなかった様子で、急いで西棟方面に向かっていった。一方で残されたセントジョンは興奮しているようだ。
「アーサー様が外に出られるなんて夢のようです!こんなところにいる場合ではありません、行きましょうオリヴァー!殿下、それでは私達もお暇申し上げます!」
セントジョンは一見礼儀正しい割に失礼なやつで、この豪華なお部屋を『こんなところ』なんて言っているけど、いくらはとことはいえ王子様が人格者じゃなければ許されないはずだ。
「わかった、モーリス。兄上によろしく。」
「はい!」
滅多に感情を起伏させないセントジョンが珍しく張り切っているようで、勢いよく部屋から出ていった。本来は王太子様の侍従だったから、よほど嬉しいんだろう。
「ハル王子、私は三階を見てくる。今ハリーが一階を回っている。コンプトン、ゲイジを見かけなかったか?いるはずの位置にいなかったんだが。」
「いや、見てない。」
ゲイジは例の白装束で夕暮れ時にはやけに目立つから、見ていたら忘れないと思う。
「そうか、今日はただでさえタイミングの悪い間者騒動で配置転換があったらしいからな、混乱があったのかもしれない。ニーヴェットはもう家に帰ってしまったし、ゲイジが捕まらないのはなかなか不都合だ。もし見かけたら東棟と南棟の間を警備するように言ってくれないか。」
「わかった。」
ゲイジとは話が通じたことがあんまりないから少し心配だけど、あいつは妙に勘がいいから大丈夫だと思う。
それにしても、なんで通勤組が帰り始めるこのタイミングで、見物人を集めて行進することにしたんだろう。
「じゃあ、私は行ってくる。ハル王子、近衛連隊から王太子本人の護衛に大勢引き抜かれているから、普段より東棟の警護がゆるくなっている。気をつけてほしい。ロアノークかモードリンを見かけたらこの部屋に送る。」
「ああ、ありがとうチャールズ。気をつけることにする。」
手を上げて挨拶したブランドンも出ていって、部屋には王子様とノリス、それに俺だけが残った。
ブランドンが三階、ギルドフォードが一階を見るとなると、今俺たちがいる二階はだれが見ているんだろう。さすがに階段には近衛兵がいるだろうけど、昼にリアルテニスをしていたときに間者騒動があったことを思い出すと、三人でいるのは不安だ。
一階に降りてギルドフォードと合流するのがいいんじゃないだろうか。たぶんゲイジがこの階の担当なんだろうけど、今この場に現れてもあいつは喋らないから不安が倍増しそうだ。
「王子様、王太子様の行進をご覧にいかれますか。東棟側の女払いを指示しましょうか。」
ふと見ると、王子様は妙に緊張した顔をしていらっしゃった。
「いや大丈夫だ、コンプトン。兄上が私に見られたいかはわかりかねるし、同じ中庭にいれば挨拶することになるだろう。私の想像では、兄上はそんな大きなイベントにしたくないはずだ。これ以上兄上に負担をかけたくない。」
「王子様・・・」
物心のついたときから王子様に付き添ってきたが、ここ数年王太子様との間には俺にも分からない妙なわだかまりみたいなものがあるみたいだった。俺は王太子殿下を見かけたことがほとんどないから、何が原因なのかは分からないけど。
「わかりました。王子様は俺とノリスでお護りします。」
「それは心強い。ありがとう。」
王太子様が中庭を歩くという、ただそれだけの祝うべきことのはずなのに、俺は妙な緊張感を感じ取っていた。