CXCI 北棟警備責任者サー・アンドリュー・ウィンザー
まだ完全に日が沈みきっていなかったから、私はランタンを持って近づいてくるトマスの知り合いの方をよく観察することができた。
軍人にしてはすらっとした体格で、品のいいグレーのオーバーを羽織った40歳くらいの紳士。横になでつけたグレーの髪とすこし前歯がでている感じがなんとなくハツカネズミを彷彿とさせるけど、清潔感があって狡猾そうな印象はない。でもあんまり強そうにも見えない。
「これは・・・閣下、お疲れさまです。」
トマスは昔から名前を覚えるのが苦手なのに、名前を覚えていないことをバラさない術も持っていないみたい。とりあえずトマスと一緒に礼をする。
「ニーヴェットか、勤務時間の外だから文句は言えないが、南棟は執務の場所、愛人と密会するには適さないと思うが。」
「愛人・・・ですか?」
どうやら私はトマスの愛人だと思われたみたい。奥様のためにも弁解してあげないと。
「閣下、私は教会付き小間使のルイザ・リヴィングストンと申します。トマス・ニーヴェットは私の客人マージョリー・ヘイドンを探すのを手伝ってくれているのです。彼はヘイドン家とも旧知の間柄ですゆえ。」
「なるほど、ヘイドンはわかるが、リヴィングストンとは聞かない名だ。出身はどこか教えてもらえるか。」
そりゃあ架空の名前だから聞いたことなんてないだろうけど、初対面なのにちょっと失礼じゃない?愛人疑惑といい。
「私はニーヴェットと同じノーフォーク地方の出身で、内戦前にキンバリー伯爵位を持っていたウッドハウス家の庶流の生まれで、養父はバートラム・ウッドハウスです。ウォーズィー司祭の紹介でこちらに参りました。」
「なるほど。端的な紹介をありがとう。私はアンドリュー・ウィンザー。国王陛下の筆頭侍従をしている。」
私が公式設定を暗唱すると、割とさっぱりした自己紹介が返ってきた。
国王陛下の筆頭侍従?どこかで聞いたような肩書だけど・・・
「ウィンザー卿、おそれながら、筆頭侍従はウィンスロー男爵だと思っておりましたが・・・」
私が思わず聞いてしまうと、ウィンザー卿は思い切り苦々しい顔をした。
地雷踏んじゃった?
「いや、ただのサー・アンドリューだ。私は卿ではない。ウィンスローは侍従長で、侍従筆頭とは役職が異なる。本来は統一したほうが合理的なのだが・・・」
この人はあんまりウィンスロー男爵と仲が良くないみたい。弁護士の娘として、余計なことを聞いちゃったのは失敗だった。
「大変失礼いたしました。改めまして、お会いできて光栄です、サー・アンドリュー。」
「私もだ、ミス・リヴィングストン。そうだ、東棟でウィンスローを見かけなかったか、ニーヴェット?」
サー・アンドリューはトマスの方を向き直った。男爵はマッサージの後私の部屋で寝ているはずだけど、もう起きたかしら。
「ウィンスロー男爵ですか、いいえ?」
「この後アーサー王太子一行が中庭を行進するらしく、城に残っている者はみな中庭を見下ろす窓を警護するよう通達がでている。ウィンスローも本来なら北棟で私と指揮をとるはずなのだが、一体どこで何をしているのか・・・」
呆れたように首を振るサー・アンドリュー。まさか、私のマッサージのせいで男爵が結果的に職務放棄しちゃった?
どうしよう、これで男爵がクビや降格になったら私もけっこう困る。
「サー・アンドリュー、先程私は偶然ウィンスロー男爵を見かけたのですが、普段と比べて様子がおかしいトマス・スタンリー卿の相手をしている様子でした。おそらく、そのせいで北棟に向かえなかったのかと。」
かろうじて嘘はいっていないと思う。
「スタンリー卿の様子がおかしい、となると例の件か・・・そうなると仕方がないのかもしれないな。」
例の件ってなんのことだかすごく気になるけど、サー・アンドリューは男爵のことを追及するのをやめたようだった。国王陛下の筆頭侍従、となると私のことをどこまで聞いているのかしら。聞きたいけど、教会付き小間使が深入りするのは不自然すぎる。
とりあえず私がルイーズ・レミントンだとはわからなかったみたいだし、架空のルイザ・リヴィングストンについても知らされていないのね。
私が言いよどんでいると、トマスが口を挟んだ。
「王太子殿下が外に出るのですか、一体いつぶりでしょう。」
「私も驚いているところだ。夕暮れなのは顔が見えづらいからだと思ったが、一階の回廊に松明を灯すよう指示が回っている。意図は掴みかねるが、健在さをアピールするにはちょうど良いと考えたのかもしれない。見学者の身元の確認はあるが、中庭の人払いもしないと聞いている。むしろ見物してほしいそうだ。」
どうやら王太子が中庭で散歩するだけで一大イベントになるのね。滅多に外に出ないという王太子殿下。ヘンリー王子をか弱くしたような見た目なのかしら。ヘンリー王子とか弱さが対極にあるから全然イメージできないけど。
ちょっと気になる。
「私はただの小間使ですが、見学はできますか。」
「武器を携行しない限り構わないはずだ。見物人を選定するようにという指示はない。」
せっかくだから王太子殿下を見に行こうかしら。
「おいおい、ヘイドンはどうするんだ、レミントン?」
「レミントン?」
サー・アンドリューが少し眉をひそめた。トマスとしては突っ込んだつもりだったんだろうけど、トマスのツッコミにはツッコミが必要になる。こっちが「おいおい」よ。
魔女ルイーズ・レミントンを知っているかもしれない人の前で余計なことを言わないでほしい。
「いいえ、トマスは昔から人の名前を覚えるのが苦手で。」
「それは私も知っている。ニーヴェット、レミントン家とは知り合いか。」
サー・アンドリューは私よりもレミントンの名前に興味をもったみたいだった。
「はい、いいえ、兄は知り合いですが、祖父もそうですが、私としては、私個人としては、そこまで知りません、サー・アンソニー。」
「そうか。」
早速名前を間違えてどもついているトマスは置いておいて、トマスがレミントンの知り合いだと言ったらサー・アンドリューが何を聞くはずだったのか気になる。
「それでは、私は北棟に向かう必要がある。再びウィンスローを見かけたら至急北棟に向かうよう言伝してほしい。王太子を見学したい場合は西棟以外の中庭への入り口から、警備の者に挨拶して入ればいいはずだ。」
「承りました。ありがとうございます。」
東棟を警備しているのが男爵の一味だったら、私なら顔パスだと思う。
「それではここで失礼するよ、ニーヴェット、ミス・リヴィングストン。」
「はい、どうぞお疲れのでませんよう。」
私達に挨拶をすると、サー・アンドリューはランタンを片手に去っていった。第一印象は良くなかったけど、意外と紳士的な人なのかもしれない。
「それじゃあ、中庭に行きましょうか、トマス。マージも中庭で面白いことがあると聞いたら、当初の集合場所だった南棟中庭側にいるんじゃないかと思うの。」
「おい、さっきから目標を変えすぎじゃないのか。俺はいつ家に帰れるんだ?」
文句はいいつつも、トマスは私についてきた。