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CXC 二歳児ライル女子爵

帰宅ラッシュの馬車付き場から南棟に入ると、さっきよりもさらに静かな気がした。誰もいない廊下に私とトマスの足音が響く。王太后様を始め何人かは南棟に住んでいるはずなんだけど、フロアが違うのかもしれない。


「声を出して廊下を歩いていれば、マージかセッジヒルさんが私達を見つけてくれると思うわ。」


「南棟はかなり広いが、しらみつぶしに歩くのか?レミントンの声の大きさをもってしても、かなり時間がかかるぞ。」


トマスは相変わらず軍人らしくない消極性を見せているけど、可愛い子供の世話をしたいのなら早く帰らせてあげたい。


「私そんなに声は大きくないわ。安心して。向こうも私を探しているはずだから、それらしいところを歩いていれば割とすぐにみつかると思うの。それに南棟は暗くて少し不気味だから、トマスがいてくれると心強いわ。」


「まあ・・・約束はしたからな。役に立てるなら光栄だ。」


南棟は窓が小さいのと、松明の感覚が少し広いのとで、ランタンを持っていない私は少し心細かった。少し照れたような返事をしたトマスは良くも悪くも細かいことを気にしない性格だから、こういうとき一緒だと心強い。


「それで、トマスはどういう流れで未婚のパパになったの?」


「違う!第一、何もやましいことはない!そもそもさっきから言い方がおかしいんじゃないか!?」


今度は焦ったトマスの声が廊下に反響する。


「被告人は聞かれたことだけ答えなさい。」


「おい、冤罪だぞ!『疑わしきは罰せず』とやらはどうしたんだ!」


そういえば私がトマスにいたずらをしたときに、私を疑ったトマスに『疑わしきは罰せず』って言って聞かせたことがあった。こういう軽いやり取りができる相手が宮殿にいてよかったと思う。マージも宮殿勤めに志願してくれないかしら。


「プライベートを詳しく聞こうという気はないわ。奥様も気まずいかもしれないし。概要でいいのよ、年表みたいな感じで。」


「はあ・・・かなわないなまったく。」


何がかなわないのかよくわからないけど、トマスは諦めたようにため息をついて話し始めた。


「あまり楽しい話じゃないんだけどな。ムリエルは17歳でライル子爵に嫁いだが、18歳のときライル子爵は病気で亡くなった。でもそのときにムリエルは身ごもっていて、その後生まれたのがライル女子爵、エリザベスだ。」


「そう・・・それはお気の毒だったわね・・・」


思ったよりも悲しい話だった。現世の平均寿命は短いし、若い未亡人の再婚は珍しくない。もちろんうちのおじいさまやトマスのところのサー・ウィリアムみたいに60になっても元気な人もたくさんいるけど、特に体が弱くなくても40代後半のうちに病気で亡くなる場合もあるし、体が少し弱いと夏風邪で20になる前に命を落とすことだってある。


「ライル女子爵を養子にしてライル子爵領を事実上併合したい貴族は多かったが、ライル子爵位の継続のためにはライル子爵家の人間が居づらくない環境がほしかったらしく、ムリエルの父親サリー伯爵が平民出身で次男の俺に白羽の矢を立てたらしい。」


「大変なのね。向こうも家の存続がかかっているにしても、トマスからしたら乗っ取られるみたいな感じかしら。もちろん奥様も辛かったと思うけど。」


ノリッジの噂話では、トマスが馬上槍試合のトーナメントで優勝して貴族のお嬢さんを捕まえた、みたいな評判だった。でも裏ではもっと色々な思惑が交錯していたみたい。


「ムリエルはあのサリー伯爵の娘だからな、よくも悪くも芯が強くて、へこたれる様子がまるでない。まあ、ニーヴェット家は兄貴が継ぐわけだから、俺にはライル子爵家が乗っ取るようなものもなかったわけだが。」


「卑屈になることはないわ。トマスの腕前なら一代で戦功をあげて、自分の領地だってもらえるんじゃないかしら。」


ニーヴェット家はウィロビー家あたりと違って長子相続だから、次男のトマスは領地を継げない。最初から軍人になろうとしていたから関係ないと思っていたけど、今回は領地なしが魅力になった珍しいケースみたい。ちなみに『あのサリー伯爵』ってどういう意味で『あの』なのかよくわからないけど。


「そうなればいいな。しかし弁護士の娘にしては疎いんじゃないか?サリー伯爵から話があったとき、ニーヴェット家では大騒ぎだったぞ。」


「その時ちょうどピーター・ジョーンズが私を訴えていたのよ、ニーヴェット家の次男の結婚式を祝福する余裕なんてなかったわ。トマスは結婚して軍務についてから里帰りもろくにしていないし、お父様はトマスの税金の世話をしなくなったから、接点がなかったわね。」


ニーヴェット家のみなさんとは古い知り合いだけど、宮殿で再開するまでトマスとは1年半くらい会ってなかったと思う。ノリッジの社交界の噂話は地元の有名人の恋模様のことが多かったから、結婚して王都の連隊に入ってしまったトマスは社交界の話題をあんまりさらわなかった。


「ピーター・ジョーンズか、懐かしいな。さすがにもう怪我は治ったのか?」


「あんな野蛮人、懐かしがらないで!知らないわ!私のスカートを覗き込もうとした人の話なんてもうたくさんよ。うちは十分すぎる額の治療費を払ったわ。そんなことより、トマスはライル女子爵や子爵家の人達とうまくいっているの?柄にもなく神経をすり減らしてないか心配だわ。」


トマスは比較的さっぱりした性格だけど、連れ子とその使用人たちとの対応に困ってないかは気になる。意外とヘンリー王子周辺の人間関係にも気を遣っていたし。


「ははっ、たしかに柄じゃないな。ライル女子爵のスペースはライル子爵家の使用人が取り仕切っているから、俺は頼まれたことをするだけだ。俺にそこそこなついてくれている気もするが、まだ2歳だからな。」


「辛いことがあったら教えてね。私は継母みたいな経験がないからなんとも言えないけど、話せば楽になるときもあると思うし。」


この歳で継父はなかなか大変だと思う。力になってあげたいけど、私にスキルがなさすぎてこまる。


トマスはまた軽い笑い声をたてた。


「はは、そうだな、せっかくだからスタンリー卿ばりに甘えさせてもらおうか。ありがとう。でも継母どころかいろいろ経験ないだろう?」


「その発言はセクハラよ、トマス。」


「そこにいるのは誰だ?」


急に暗い廊下に私とトマス以外の声が響いた。セッジヒルさんよりも低くて、スタンリー卿よりは高い、特徴のない声。聞いたことはないと思う。


遠くの方から私達に近づいてくるランタンが見えた。


「(警備の方かしら、私達が南棟にいてもなんの不都合もないはずだけど。)」


小声でつぶやくと、トマスは首を横に振った。


「(あの方は北棟の警備責任者をしておられる。名前は忘れた。)」


「(また!?)」


ヒソヒソしている私達のほうにその名無しの警備の方がやってきて、私は顔を確認しようと目を細めた。


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