CLXXXVIII 西棟警備責任者サー・エドワード・ネヴィル
俺はその場に居合わせなかったが、アーサー様が外の空気をすいたいとおっしゃったらしい。公式な行事を除けば数ヶ月ぶりになる。サリー伯爵の屋敷から戻ったばかりのラドクリフが、いつもより意気揚々と指示を出しながら西棟を歩き回っていた。
「フィッツジェラルド、中庭の様子をみてきてくれないか。私はサー・エドワードに護衛の派遣を依頼に行く。アーサー様の支度はグリフィスが手伝っているところだ。」
アンソニーの一件以降、こいつは俺に対する当たりが激しかったが、今日は上機嫌なのか以前の口調に戻っている。めったに無いアーサー様のわがままに立ち会うのだ、無理もないか。
「大掛かりなおでかけなのか?護衛は何人だ、ラドクリフ?」
「アーサー様は少人数をご希望だが、ご健在であるところを皆に知らしめるまたとない機会だ。人が気づくだけの行列は作りたい。その意味でも中庭は絶対に外せない。北の国の間者の一件があったばかりだから、護衛の多さはアーサー様も分かってくださるだろう。」
そう言えば間者が逃走した事件は今日の昼頃だった。今は本来ならアーサー様がお出かけするような場合ではない。だが、アーサー様が次に外に出たいというのはいつになるだろう。現に今日の昼は外に出たくないとおっしゃっていたが、どんな心変わりだろうか。
部屋にこもっていらっしゃればアーサー様の身は安全だ。しかしこもればこもるほど、王位継承はどんどん危うくなる。
「俺は中庭で人払いをすればいいのか?」
「いや、安全の確保はもちろんだが、アーサー様のお顔を拝見する人間が必要だ。日が暮れているから、回廊の松明の具合も見てきてほしい。」
ラドクリフにとって今回はアーサー様のお披露目の機会で、どうやら俺は舞台係らしい。アーサー様はこういう目立つことがお嫌いだが、病弱という評判がはびこる今となっては仕方ないのだろう。こういうときこそ明るいアンソニーが適役なのだが。
「分かった。間者の一件は安全が保証されているのか?」
「保証するのが私達の役目だろう。そもそも間者騒動のときにどこへ行っていたのだ、フィッツジェラルド?アンソニーは謹慎していたようだが、新しい男でも見つけたのか?」
俺が不在だったことを思い出したのか、ラドクリフの口調と目つきには俺への敵意がもどっていた。だが新しい男とはなんのことだろうか。
「何を疑っているのか分からないが、肝心なときに居合わせなかったのは悪かった。それは謝る。だが、ちょうどダドリー様を東棟にご案内していたのだ。間者騒動で封鎖されていて結局中に入れなかったが。これはアーサー様にとっても重要な任務だ。」
「謝るべきお相手はアーサー様だろう。しかし東棟?一体なんの用事だ?」
ラドクリフは困惑している様子だが、どこまで魔女のことを聞いているのかわからない。伯爵から詳しく伝わっていないのだろうか。俺に対して怒っているところからみて、アンソニーが魔女にやられたのは知っているはずだが。
「例の、女が、いるようだ。」
魔女のことを知る人間は少ない方がいいが、もし知っているのなら味方にしたい。たとえラドクリフでも、アーサー様を魔の手からお守りするのには役立つはずだ。こいつとは馬が合わないが、噂を吹聴するような軽薄なやつじゃない。アンソニーの敵討ちにも参加するはずだ。俺は慎重に言葉を選んだ。
「ルイーズ・レミントンか?」
「ああ。」
どうやらラドクリフも魔女の名前くらいは知っているようだ。
「やはり、ヘンリー王子一派が糸を引いていたのか。」
ラドクリフの目に怒りが滲んだ。
「やはり、というと?」
「身元不詳の魔女が王子の許諾なしに東棟に滞在できる‘はずがないだろう?魔女を使ってアーサー様を虎視眈々と狙っているに違いない。」
魔女をアーサー様に差し向けようとする誰かがいるのはダドリー様も察知していたが、それがヘンリー王子だというのは信じられない。
「ラドクリフ、ヘンリー王子は異様なほどの女性嫌いだぞ?わざわざ魔女を手元に置くのか?それに従者たちの女中の人事にはタッチしていないはずだ。例のクララ・リンゴットも西棟のアンソニーの部屋から東棟のモーリスの部屋に転勤していたが、王子が関わった様子はない。だいたい、子供のできないヘンリー王子が無理やり王位を狙った場合、従わない人間もでてくるだろう。」
「子供はいなくとも、ヘンリー王子は頑健だ。若いうちしばらくは権力を保てるだろう。さらに間接的に魔女を使ってアーサー様のお心を掌中に収めれば、少なくとも表向きは平和裏に禅譲ができる可能性がある。禅譲の先例を作れば、後継者を指名するヘンリー王子に取り入りたい勢力を支配下に置くことも難しくない。」
「そうか・・・」
ラドクリフの分析は目から鱗だった。
アーサー様を操ってこの国を支配するのが、黒幕の目的だろうと思っていた。しかし、それができるならアーサー様に王位を譲らせることもできる。正当性はあるものの病弱だと思われているアーサー様を不安視する人間は多い。ヘンリー王子がそうした一派にそそのかされるという展開も、ありえなくはない。
「さらにヘンリー王子の男好きは、魔女に惑わされないという強力な武器になる。」
「そういう、ものなのか?」
アンソニーが魔法にかかるところを見ている俺からすれば、いくら女嫌いのヘンリー王子でも無事ではいられない気がするが。もちろん、魔女が王子の生活圏に入り込んで直接接触するのは大変だろうが。
「しかし東棟にいるとは厄介だ。フィッツジェラルド、東棟の女官の人事を司っているのは誰か知っているか?」
「王室副家令のハーバート男爵か、宮内卿のシュールズベリー伯爵のどっちかだ。王室家令のドービニー男爵は大陸領土に渡っているから、最近の宮殿人事には関わっていないとはずだ。」
ルイザの認証式に出席しようとしたときに、俺も人事には詳しくなった。結局認証式にはでられなかったが、こうして役に立つ日が来るとは。
「なるほど。いずれもアーサー様とは接点のないメンバーだな。黒幕と断定するのは尚早だが、協力している可能性は十分にある。今回は護衛がいる中でアーサー様に魔女をけしかけるとは思えないが、念のため外出は諦めたほうがいいだろうか。」
ラドクリフも悔しそうだが、アーサー様がせっかく外へ出たがっているのに、魔女のせいでこんなことになるとは。
なんとかならないか。
「そうだ、いいことを思いついた!強行しよう、ラドクリフ!顔をみせて魔女をおびき寄せるんだ!」
俺はひらめいた。これはいける。
「顔を見せる?」
「魔女はアーサー様のお顔を知らない。肖像画は見せられているかもしれないが、強く見せようとして本人にあんまり似ていないのは皆が知っている。珍しくアーサー王太子が外出すると皆に知らせれば、魔女も様子を見に来るはずだ。そこを捕まえればいい。」
完璧な計画だ。大人数の護衛なら魔女を捕縛するにも好都合だし、逃げられたとしても近衛兵に魔女の顔を覚えさせることができる。
「なるほど、しかし見物人から魔女を見つけ出すのに失敗したときは、アーサー様のお顔を見られて終わりだ。魔女がアーサー様のお姿を見たことがない現状は、むしろ好都合ではないのか?」
その意見はもっともだが、ここで守勢に立ってどうする。
「ヘンリー王子が関わっているのなら、魔女を仕留めるのは長期戦になるだろう?魔女を恐れてずっとアーサー様が閉じこもっていれば、結局はヘンリー王子が優位に立つ。おびき寄せて叩くのが一番だ。どちらの魔女も強いのは接近戦だけだから、護衛を一定間隔で配置すればなんとかなる。」
「どちらの、とは?しかし、護衛は若い男が多い。一人ずつ魔女に惑わされるというのもありえない話ではない。どうせならヘンリー王子のような男好きがいれば・・・」
ラドクリフはその場で固まった。
「どうした?」
ラドクリフは不自然な様子で俺に顔を向けると、じっと俺を見つめた。
「・・・適任者が身近にいたな。フィッツジェラルド、できるだけアーサー様の近くにいて、アーサー様を女の魔の手からお護りしてほしい。突然の目の前で起きる逮捕騒ぎでアーサー様がお心を痛めるのは心苦しいが、これ以上の機会はない。だが、万が一お前がアーサー様に手を出すようなことがあれば・・・その時は私がお前を始末する。」
一体何を言っているのだ?魔女に操られて王子を襲う、ということなのか。
「その心配はない。万が一そんなことになれば、お前に斬られても文句は言えない。」
「ああ、アンソニーとはタイプが異なるから、そう言うだろうと思ったが、念の為だ。」
なんだか苦々しい顔をしたラドクリフが言い捨てた。アンソニーと俺の体の違いを言っているのだろうか。俺が少し大柄だからといって無事でいられるとは思わないが、魔女が俺の肩を押すのは難しいかもしれない。
「では、私はサー・エドワードのところへ行ってくる。フィッツジェラルド、魔女が中庭に降りなければアーサー様の顔が見られないよう、回廊の松明を調整してくれないか。窓から見下されては意味がないから、アーサー様には鍔の大きな帽子をかぶっていただく。準備が整ったら中庭の出口に待機して、アーサー様の一番そばで護衛に当たってほしい。」
「分かった。」
俺の返答を最後にラドクリフは走り去っていった。
松明を調節するとなると大きな仕事だ。マクギネスを呼ばないといけない。しかし、ヘンリー王子と違ってアーサー様一行の行進など前例のないイベントで、そこで近侍する大役を仰せつかったのは大変な名誉だ。島の誇りを胸に、キルデーン伯爵家の名に恥じない仕事をまっとうしたい。
ルイザは俺の晴れ姿を見てくれるだろうか。魔女の捕縛騒動で騒々しくなるかもしれないが、魔女を倒す俺を窓から見てくれればきっといいアピールになる。夕方なのがつくづく悔やまれるが、たとえ見てもらえなくてもアンソニーの敵討ちのチャンスだ。
俺は中庭に向かって走り出した。