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CLXXXVII 脱走者ジョン・ゲイジ

「どうしてくれるのさルイス様!男爵様を魔法でこんなにして!」


薄暗い部屋にスザンナの叫びが響き渡った。廊下の松明で少し照らされた男爵は、くたっと椅子に寄りかかって寝ているようだったけど、目が閉じてあるからいつもの薄笑いよりもむしろ格好いい。男爵は顔の彫りが深いから、こういう暗い中から浮かび上がるのがよく似合う。すこし口元がゆるくなっているのが玉に瑕だけど。


ちょっといじってもいいかしら。自分がやられたら嫌だけど、でも今回は男爵の見栄えは大幅によくなるし、私はきれいな顔を見られるし、ウィンウィンよね。


本人が気づかないようにそっと口の形を整える。うん、やっぱり素晴らしいわ。男爵って間近でみても肌が結構きれいなのよね。


「聞いてるのルイス様!?男爵様をお棺にいれるようなことはしないでよ!」


「大丈夫よ。男爵はすぐにもとに戻るし、こうした方が見栄えがいいでしょう?それにしても、王子のときもこんな感じだったけど、相手がこうなっちゃうからマッサージ中に交渉しようとしても結局うまく行かないのね・・・」


結局男爵がアーサー王太子マッサージプロジェクトに協力するという言質はとれなかった。男爵がいなくてもモーリスくんが協力してくれると思うけど、まがりなりにも強引に計画を実行するこのイケメンの力は頼りにしていたから、また機会を見つけてお願いしようと思う。宮殿の中に色々細工がしてあるみたいだし。あと男爵のアシスト抜きでハーバート男爵とかウォーズィー司祭と交渉するのは疲れそう。


「もう、起きてよ男爵様!呻く人が脱走して大変なときなのに!」


スザンナがプンプンしている。この子は部屋が暗くてもシルエットの動きで機嫌がわかるけど、彼女のスパイみたいな仕事を考えたときには不向きなんじゃないかと思ったりもする。


「呻く人って白い人のことかしら。また本名が思い出せないけど、脱走できるくらい元気なら問題ないと思うわ。元気そうに見えた?」


呻いていたのなら心配だけど、怪我をしていた様子は全くなかったと思う。本当に貧血で倒れたなら安静にしていてほしいのだけど、走れるくらいなら貧血じゃなかったのかもしれない。


「あの人顔が真っ青だったの!もうほんと血の気がなかったんだよ?でも体の動きは素早くて、あたいとフランシスを軽々と突破していったの。でもお礼もないんだよ!?」


「顔色はいつものことだから、体が動いたなら大丈夫よ。彼も子供じゃないんだから、心配ないわ。ありがとうスザンナ、たぶん白い人がお礼を言わないのは通常通りだと思うから、代わりに私がお礼をしておくわね。」


とにかく、ふらふらしていないなら良かった。スザンナとフランシス君の防衛線が全く当てにならないことはアンソニー彼シャツ事件のときに立証されているから、白い人が本調子かどうかは分からないけど。


「うん・・・男爵様に頼まれたんだけどね。」


スザンナは少し照れたような声をだして、部屋のろうそくに火をつけ始めた。マッチは常備しているみたい。


「白い人が回復したなら良かったわ。そうだわ、私はこれから南塔でお客さんをもてなさないといけないの。男爵を部屋から運び出して、女性用の服に着替えるのを手伝ってもらえるかしら?」


白い人の様子はまだ少し気がかりだけど、走って逃げたらなら探して見つかる保証もないし、私はマージとの女子会を楽しもうと思う。


私の頼みに、ろうそくの明かりに照らされたスザンナが首をかしげている。すこし明るくなった部屋をよく見たら、周りで私の荷物がまとめられているのに気がついた。


「男爵様は重いから、あたいやフランシスじゃ運べないよ?男爵様の執務室は一階だから女のあたいだと降りられないし、フランクはもう下がっちゃった。そもそも男爵様はルイス様は帰ってこないだろうって言って、あたい達にルイス様の荷物をまとめさせてたんだ。喘ぐ人の服なら出たままになっているけど、女物は荷解きにも時間がかかっちゃうよ。」


スザンナは私と受け答えをしながら部屋のろうそくとオイルランプを灯していく。


男爵はやっぱり私がスタンリー卿と出奔するものだと思っていたのね。私が何も言わずに約束を破棄すると思っていたのかしら。状況を考えれば意外ではないけど、強引に連れてきた私を潔く手放すあたり、案外私を騙し込めたのを後悔していたのかなとも思う。


すこし明るくなった部屋で男爵の寝顔を観察しつつ、私はマージに会いに行く服装を考える。改めて見ると、やっぱり男爵はオールバックよりもワイルドな髪型が似合っていると思う。素直に頼んでも髪を崩してくれる気はしないし、せっかくだから寝ているうちにちょっと髪を直してあげようかしら。


「困ったわね。このモーリス君のローブは私のお気に入りだけど、嫁入り前のマージとこの格好でご飯を食べたら、社交界で噂が出るかしら。マージのパパが一緒ならいいとは思うけど、マージ一行の予定を聞きそびれちゃった。」


マージ本人はさっきも男装姿の私と会っているから面白がるだろうけど、年頃の女性が身元のよくわからない男と密会しているのは世間体的に良くないと思う。


そして男爵の前髪は目にかかるくらいでもいいと思う。髪にクセがついていてなかなか思うようにアレンジできないけど、指先でちまちまと髪をいじる。


「ルイス様、そこまでしても起きなさそうだし、男爵様が部屋にいてもいいんだったらあたいが着替え手伝うよ?」


「駄目!この人は起きても寝たふりをして着替えを覗くような人だから。」


油断大敵。そういえばアンソニー彼シャツ事件のときにネグリジェ姿を見られたときもあった。失態は繰り返したくない。


「ルイス様がお客様をもてなすのは個室なの?」


「たぶんそうね。」


セッジヒルさんの交渉能力にかかっているけど、スタンリー卿が起きていたら南棟の部屋を用意してもらうくらいできると思う。同席したがりそうだけど。


「だったら、部屋に入るまで女物のマントを上から羽織って、女物の帽子をしていけばいいんじゃない?ルイス様って体はともかく顔は女の子だもん。」


「全身女の子よ!バカ!」


スザンナは後でお仕置きがいりそうだけど、提案自体は悪くないなと思った。マントは女性物も男性物も構造があまり変わらないから、モーリス君のローブの上から羽織っても問題はないと思う。あんまり顔は見られたくないけど。


「そうだわ、スカーフを巻いて行くわ。顔があんまり見えなければ万が一ルイス・リディントンが女装していると思われる心配もないわ。ルイザ・リヴィングストンはまだあんまり知り合いがいないし、認証式も済んで身分だけは保証されているから、誰かに呼び止められても大丈夫なはずよ。」


「いいんじゃない?マントはこれでいい?」


スザンナはクロークからマントを取り出した。ルイザに支給されたやつだと思うけど、わりといいスエードの生地だと思う。


「いい手触りね、これにするわ。それじゃあ私はしばらく出払っているから、男爵が起きるまで見張っていてあげてね。」


「そうするよ、ルイス様!」


男爵をみると、ちょうど私が乱した前髪がようやくいい感じに垂れてくれて、しばらく鑑賞していたくなる美しさに達していた。


カメラがほしい。


「やっぱり顔が緩んでいないのがポイントよね。オールバックだと淡麗すぎるから、髪の毛でちょっと遊ぶのがいいのよ。スザンナ、あなたスケッチ得意?」


「全然駄目だよ?」


スザンナは『それがどうしたの?』と言いたそうにキョトンとしている。


「そう・・・ちょっと紙と羽ペンとインクを貸して。」


私はスタンリー卿ほど上手じゃないけど素描はできる。でも絵の具が高価だったり種類が限られたりして、カラーをつけるのはあんまりうまくいかない。


スザンナが持ってきた紙に軽く下絵を描く。あんまり紙の品質が良くなくて、羽ペンがつっかかる。


「ああもう、目が滲んじゃった。やっぱりチョークじゃないと駄目ね。」


チョークは字を書くには不便だし、使うと袖が汚れて大変だからめったに持ち歩かないけど、絵をかくにはやっぱり必要だと思う。男爵の顔の大まかなスケッチだけして、細かい部分は諦めた。


スザンナが私のスケッチを覗いてくる。この子はいろいろなことに興味津々なのよね。興味の対象が男性の体以外にも広がっているのはいいことかもしれない。


「ルイス様、絵も描けるんだね。なんで魔女やってるの?」


「私が聞きたいわ!そもそも魔女じゃないから!」


薄々感じていたけど、魔女に対する畏敬の念とか畏怖の気持ちみたいなのを誰ももっていないのよね。裁判にかけられるぐらいだから推して知るべしだけど。


「じゃあなんで戻ってきたの?」


今度はスザンナが核心をつくような質問をしてきた。鋭いけど、男爵はどこまではなしているのかしら。


「そうね、おとぎ話ってよく『二人はその後幸せに暮らしましたとさ』で終わるじゃない?生活の苦しい人が聞いたら怒るかもしれないけど、私はね、それって飽きちゃうんじゃないかって思ったの。」


離婚の件やダービー伯爵家の問題は置いておいて、スタンリー卿はいい夫になると思う。そして私は貴族なら政略結婚に出される年齢で、しかも魔女裁判にかけられている。評判に傷がついたかは男爵の印象操作があったみたいだからよく分からないけど、スタンリー卿のオファーがすごく条件がいいのは誰だってわかる。


でもダービー伯爵家に匿ってもらうのは、すごろくで『あがり』になるような気がした。


「飽きるの?」


「飽きるっていうと贅沢に聞こえるけど、なんと言えばいいかしら、ときめかない、と言うと恥ずかしくなってくるけど・・・」


裕福な平民、という現世の私は恵まれていた。前世が短命だったから現世では堅実に生きる、って考え方もあると思うけど、逆に言えば修行してトレーニングを受けてとうとう独り立ちしなかった前世を思うと、現世は充実させたい。具体的にどうしたいかは分からないけど。


「魔女は面白いの?」


「そういうわけじゃ・・・いいえ、そうね、楽しいわ。」


そう、私は今、楽しい。


ここ数日バタバタしてそんなこと考えている暇がなかったけど、さっきのスタンリー卿との会話でも思った。私は宮殿での新しい暮らしを楽しんでいた。任期付きだけど。


「そうね、スタンリー卿にはうまく説明できなかったし、今もわけが分からないことを言っているかもしれないけど、マージとおしゃべりする前に整理できてよかったわ。ありがとう、スザンナ。お礼にその男爵のスケッチをあげる。」


「なんのことかわかんないけど、どういたしまして?」


スザンナがまた首をかしげているけど、私はだいぶ気分が軽くなっていた。


「それじゃあ行ってくるわ。男爵をよろしくね!」


スザンナにマントを羽織るのを手伝ってもらった後、私はルイスのウィッグを丁寧にスカーフで隠して、勢いよく廊下へ飛び出した。


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