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CLXXXVI 生還者ウィンスロー男爵

内戦のそもそもの発端は、四代前の国王が精神を病んでしまったことだった。彼の母方の祖父に当たる当時の東の国の王は発狂していたので、親の代の政略結婚による遺伝があったことは想像に難くない。もっとも、もともと体も決して強くなかった心優しい国王は、心に変調をきたす前から争いの種を蒔いていた。


まずは摂政をめぐって。


次に後継者をめぐって。


最後は王位そのものをめぐって。


いつしか国中の貴族が二分されていがみ合い、私の親類縁者がほとんど死に絶えて、私は柄にもなく宮廷貴族になる羽目になった。


だからこそルイーズ・レミントンの魔女裁判を知ったとき、私があのタイミングで宮仕えをしていたことは運命だと感じた。あの惨劇を二度と繰り返さないために、頑健で意志の強いヘンリー王子の跡継ぎを残すための。


しかし私は大きな間違いを犯した。




なぜルイーズに左手を差し出さなかったのか。




一度魔法の快楽を経験してしまった私の右手は、ルイーズの言葉に引き寄せられるように、いかにも自然に少女の前に差し出された。このままでは左手を交渉条件にされるのは目に見えている。


思わず引っ込めようとしたが、彼女の動きは素早かった。上機嫌そうだが、暗い部屋に光るその大きな目は、まるで獲物を狩る肉食動物のようだ。


「男爵、手に力を入れないで!広げるようにしていかないとマッサージの効果が出ないの。」


「待とうか、待つんだルイス!話せばわかる・・・」


「問答無用よ!始めますね!」


ルイーズは有無を言わさず魔力を私に注ぎ込み始めた。


「う・・・く・・・」


思わず声が漏れてしまう。右手から魔力が私の全身をめぐり始め、痒いようなこそばゆいような感覚が体を駆け巡った。手を振り払おうとしても、体が魔法を楽しみにしすぎていて抵抗できない。


あとどれくらい魔法に耐えられるだろうか。スザンナもフランシスもゲイジの救出に向かってしまい、止めに入る味方は誰もいない。


「男爵、これは痛くもないし、とくに破廉恥な要素もないわ。このくらいから始めればアーサー王太子にとっても悪い話ではないでしょう?手足のツボは全身の色々な器官につながっているの。王太子のように体の漠然とした不調を抱えている場合には、薬よりも効果的だと思うわ。」


痛いかどうかの問題ではない。


ルイーズを思いとどまらせなければ。誠意を見せて説得すれば渋々了承する子だ。けっして楽しくはない話題だが、妙に情勢に明るいこの子なら分かってくれる。世継ぎが必要なのはアーサー王太子ではなく、ヘンリー王子だと。


「・・・ルイス・・・く・・・ヘンリー・・・気持ちいい・・・」


いざ口を開いてでた言葉は、私の意思に反するものだった。思ったより自分が魔法に侵されていることに気づき、冷や汗がでる。


次第にルイーズは魔法でじんわりとした快感を体に与え、私をいたぶり始めた。体に力が入らなくなって、頭が心地よくしびれだす。彼女は私が反論する力を効果的に奪ってくるのだ。しかし、この程度で負けるようでは陛下の侍従は務まらない。


「・・・いい・・・」


「表情が見えないからよくわからないけど、男爵は親指の付け根のあたりを押されるのが好きなのね。」


からかうような軽やかな口調だが、魔法をかけているときのこの魔女の声はいつも優しく響く。私が催眠にかかっているせいかもしれない。


「・・・そこ・・・き・・・気持ちいい・・・」


だめだ、魔法で頭がしびれて論理的な思考ができなくなりつつある。この魔法の快楽を味わっては、私だからこそかろうじて正気を保っていられるが、アーサー王太子は廃人になってしまう。


「男爵、せっかくだから、他にとくに気持いいところがあれば教えてね。あと、押されて鈍く痛いところがあったら対応する器官が不調になっているかもしれないから。」


ルイーズが明らかに交渉を持ちかけようとしているこの段階で、そんな弱点を晒すようなことはしない。気持の良い場所はもちろんあるが。


「・・・中指と・・・薬指の間のあたりの・・・手のひらを・・・うっ・・・いい・・・」


私が言い終わる前にルイーズは集中攻撃を始めた。優しくしっかりと押される度に、頭の仲が軽くゆさぶられるような快感に襲われる。体がすっかり温かくなって、私の息があがりはじめた。


幸せとはこのことを言うのだろうか。魔法の幻覚のようなものかもしれないが、できることならずっとこの幻覚を見ていたい。天国だ。幻覚と言えば、気のせいか目の前の景色がぼんやりしはじめている。私の魔法耐性もついに限界に達しつつあるようだ。


「男爵、左手のマッサージもしてほしかったら、アーサー王太子の一件、掛け合ってもらえるかしら。」


おぼろげになり始めたルイーズのシルエットが、期待するような口調で私に語りかけた。魔法を一段パワーアップさせたのか、




ついにか。




ウィロビーに魔法でサインをさせたときも、セントジョンに告発を思いとどまらせたときも、切羽詰まった状況だったといえる。スタンリーの件を含めても、ルイーズが自分のわがままを通すために魔法を使うのは、これが初めてだろう。親指と人差指の合流点はなかなか・・・


「・・・いい・・・ちがう・・・」


内戦が大きくなったのは、劣勢の勢力が外国からの援助を当てにして粘り続けたからだ。アーサー王太子には南の国がついているが、北の国の推すジェームズ王子が後継者となれば、移行期の内戦はさけられないだろう。王族の暗殺さえおきかねず、内戦は国際紛争になることが必至だ。今のやつは特に気持ちいい。もう一度・・・


「・・・もう一度・・・考えるから・・・」


時間をかせぐのだ。頭を侵食する魔法を懸命に振り払って、次第にふらつきだした私の目線を目の前の少女に合わせる。




この子は王妃になれる。




私を含め他人に簡単には利用されない賢明さをもち、したたかに自分の意思を示しつつ、表にはでたがらず権力欲もない。シュールズベリー伯爵の養女になった後なら、ヘンリー王子一強体制を築くのに最適の選択だ。結婚を通じた外国勢力の干渉を防ぎ、この魔法でヘンリー王子の愛情も独占できる。ここまで気持ちよくされて放っておける男はいない。気持ちいい。本当に気持ちいい。


「持ち帰って検討する、なんてノーと同じよ。いま返事をもらえるかしら。」




もはやこれまでか。




魔法は徐々に私の意識を支配し始めていた。体が浮いているような錯覚。頭がふわふわとしておぼつかない。


私はよく戦った。懸命に魔法に耐えた。あとはもう魂を譲り渡し、天国を満喫するとしよう。


「分かっ・・・」




そのとき、扉が乱暴にあけられた。廊下の松明の明かりが暗くなっていた部屋を照らす。


その松明の逆光が、曲線的で豊満なシルエットを浮かび上がらせた。


「男爵様!大変だよ!呻く人が脱走しちゃった!せっかく看病してたのにお礼もいわずにだよ!?って男爵様?どうしたのさ!?戻ってきて!!」




助かった。




「・・・天国が・・・見えた・・・」


私は勝った。幸運があったのは確かだが、一度ならず二度までも、魔法に打ち勝つことができた。


おそらく私は、魔法を用いた恐喝に屈しなかったただ一人の男だろう。


「・・・厳しい戦い・・・だっ・・・た・・・」


「男爵様!?男爵様ってば!?」


スザンナが騒いでいる声がだんだんと遠くなり、私は重くなっていた瞼をそっと閉じた。





登場人物紹介 1



ルイス・リディントン




港町ヨーマスの公証人バーソロミュー・リディントンの一人息子。母はなくなっており、母方の祖父は旅の医者ファブリウス・パウルス。少女を思わせる可憐な美しさの美少年で、すこしまばらな茶系統の、ややカールのかかった髪をしている。目が大きく口は小さめで、肌は白く美しい。同年代の少年と比べると小柄。声は少年にしては高めで、時々必要以上に声が大きくなる。物怖じしない性格で、やや生意気にうつることもある。話し方は柔らかいが、耳に痛いことも直言する傾向がある。偶然ヨーマスに立ち寄った国王付侍従長ウィンスロー男爵にその美貌を見いだされ、ヘンリー王子付きの従者に抜擢された。採用当初は王子の風呂と着替えを担当するはずだったがなぜか固辞したため、職務領域は曖昧なままである。


公証人の父の手伝いをしていたため法律関係の知識が豊富で、祖父に教わった医療知識も豊富。一方で体は弱い。ただし、リアルテニス無敗記録を誇るヘンリー王子相手に善戦をした俊敏さを誇る。乗馬もできないので王子の外出に同伴することはない。ただしスタンリー卿と二人乗りをしているところを複数名に目撃されている。水嫌いとして知られているものの、風呂好きでもあり、本人曰くお湯ならいいとのこと。ただし、屈強な男たちに女と間違われて襲われかけた過去があり、それ以来他の男と水浴びにいくことを恐れるようになってしまった。


その豊富な医学知識を活用して、王子の耳に発生した深刻な問題を解決した。その実績から叙勲されることが打診されたが、謙虚な性格からか固辞している。比較的弁が立つものの王子には言い負かされる。王子の周辺では、同地方出身のトマス・ニーヴェットとは旧知の間柄で、モーリス・セントジョンとはなぜか意気投合している。一方でチャールズ・ブランドンとはウマが合わない様子で、役割の重複するウィリアム・コンプトンやヘンリー・ノリスからはやっかみに近い感情を向けられている。一度チャールズ・ブランドンが女ではないかとの疑惑を持っていたが、ウィンスロー男爵の機転により男だと証明された。ブランドンはリディントンが王子に手を出したものと断定している一方で、着任早々庭の迷路へエリザベス・グレイ嬢をエスコートしているところも目撃されており、プレイボーイである可能性も否定できない。


古代の詩や音楽に造詣が深く、鍵盤楽器の腕前を宴会で披露することもある。新任者で宮廷のテーブルマナーに詳しくないためモーリス・セントジョンによく頼っている。酒に弱く、就任後の歓迎会で二日酔いとなり、一日の休暇をもらっている。服にこだわりがあるようだが、サイズの合わない借り物の服を着ることが多く、これといってお洒落だとは認識されていない。部屋は重厚な木目調。


故郷にルイーズ・アイクメンという片思いの相手を残しているようで、現在王令により彼女の捜索が始まっている。王子の寵愛を受けつつあり、ファーストネーム呼びも打診されたが、これもなぜか固辞している。

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