CLXXXIV 寝室係ヘンリー・ノリス
微動だにしない男爵の影を見つめていると、しばらくしてくっくっと引きつったような笑い声が聞こえた。
「その笑い方だと、想像できないってわけでもないみたいね。」
私の言葉に、男爵のシルエットはまた固まった。
「何を言っているんだい、ルイス。寝室の管理はノリスの仕事だよ。夜に王子が何をしているかなんて、ルイスが知り得ないことじゃないか。」
「男爵は思い込みが強すぎるのよ。夜とか寝室とは限らないでしょう、愛があれば。」
このイケメンは頭が柔らかいのか固いのかたまにわからないのよね。王位継承問題に魔女を使おうとしているところとか、宮殿によくわからない細工をしているのは型破りだけど、肝心の「魔女」が想定と違ったのに作戦を変える様子がないんだもの。
「まさか・・・」
「ええ、白昼堂々、二人は王領地の泉で抱き合っていたの。ちゃんと人払いをしていたみたいだけど。」
「ルイス・・・覗いたのかい?あんなに風呂係を嫌がっておいて。」
またこの話?トマスも男爵も私を全く信用していないんだから。
「だから見たんじゃなくて見えちゃったの!それも一瞬!たまたまスタンリー卿につれて行かれた場所の近くだったの!」
「どこまで見たんだい?正直に話してごらん。」
「そんなこと今は重要じゃないわ。なんで私が悪いことをしたみたいになっているのよ?そもそも王子とブランドンが屋外で露出していたのが悪いんだから!とりあえず、王子が懸想をしているのはチャールズ・ブランドン、ということがこの一件で証明されたのよ。はい、反論をどうぞ。」
私のマッサージの説明を頑として受け止めない男爵を納得させるには、根気強い説得が必要だと思う。
「入浴中よろけたのをささえた、という状況を勘違いしているんじゃないかな?」
「そんな少女漫画みたいな誤解はしないわよ!だいたい、よろけるようなか細い二人じゃないでしょう?」
「少女マンガ?」
「気にしないで、古代のおとぎ話の一種よ。とにかく、二人は積極的に抱き合って、お互いを熱く見つめ合っていたわ。足場は安定していたと思うの。」
ブランドンは後ろ姿しか見えなかったけど、肩を抱き合って見つめ合う二人の間にパッションを感じる光景だったと思う。
「古代か・・・裸で古代風レスリングをしていた、というのはどうかな?」
「それも違うわ。二人は取っ組み合いをするような姿勢ではなかったし、王子の方は体に力を入れてなくて、自然体って感じだったと思うわ。」
「詳細な描写だね。本当に一瞬しか見ていないのかな?」
「一瞬よ!私はレディだから、そんなまじまじ見るような真似はしません!マッサージの経験から筋肉の使われ方はわかるの!」
男爵は相変わらず礼儀がなってない。そういえばブランドンの方は力んでいた感じで、ボディビルダーみたいに見えたのよね。深く考えてなかったけど、王子がブランドンの想いを受け入れる側だったのかしら。
「・・・一瞬で男の体の評価ができるというのも怖いけどね。しかしにわかには信じがたいな。ブランドンの女好きには定評がある。」
「どちらの性も恋愛対象になる、という人は歴史上にもいたはずよ。それにブランドンが女好きという評判があるからこそ、あの二人はいつも一緒にいるのに誰も疑わないわ。特定の女性にこだわらないブランドンの女遊びは、王子が矢面に立たないで済む、いいカモフラージュになると思うの。」
私がずいずいと男爵を追い詰めると、さっきから動かなかったシルエットが背もたれにどさっと寄りかかった。
「確かに、身分の違うあの二人に主従関係以上のものを感じたものは多くいたこと、それは認めようか。」
やっぱり、男爵だって可能性がゼロとは思っていなかったみたい。
「そうよ、身分違いの恋、主従関係、周りに言えない秘密の想い、なんてまさにドラマね。これでブランドンが可愛かったら・・・」
「悲劇?しかし、問題はそこだよ、王子のような一人前の男が、可愛げのまるでないブランドンを抱いて何が楽しいというんだい?」
エリーのときも思ったけど、男爵にもやっぱりこの世界特有の差別意識があるみたい。
「男爵、人の数ほど違った恋のあり方もあるのよ。よく聞いて。男爵はふわふわした女の子を抱きしめるのが好きなのかもしれないわ。でも王子はブランドンの厚い胸板と硬い二の腕に囲まれて、そのぬくもりに幸せを感じるのよ。」
「頼むから詳細に描写しないでくれないかな、ルイス。」
男爵の影が少しうろたえているのが分かった。でも男爵の偏見を直してあげないといけない。
「ダメよ、真剣に向き合わないと。感覚は人それぞれで、どちらが正しいということはないわ。生まれ持った感覚で差別をしてはいけないの。さて、問題はここからよ。そんな厚い胸板にときめいている王子に、ぶよぶよのスザンナをけしかけたらどうなると思う?」
「擬態語のチョイスに差別を感じるよ。」
「実際ぶよぶよじゃない!とにかく、いくらマッサージでウトウトした王子をスザンナが襲ったって、子供なんてできるはずがないでしょう?」
そう、このイケメンはマッサージから出産までの論理的な飛躍を一度も解決していないのよ。
「しかし、それなら王子がぶよぶよ感ゼロのルイスに首ったけになれば・・・」
「ゼロって何よ!失礼ね!私だってゼロってわけじゃないわ!とにかく、王子の好みはチャールズ・ブランドンのような、がっしりした雄々しい男なの。私をノリス君路線でコーディネートしようとした男爵の戦略は明らかな失敗よ。」
「そうはいっても、現に王子は美少年を仕えさせているよね?」
その点についても、ブランドンと抱き合う王子を見かけてから、私は自分なりの解釈を用意していた。
「小柄な美少年たちでは王子を襲うことはできないわ。女性の使用人ならスザンナみたいに不埒なことを考える人がでてもおかしくないわよね。王子がブランドンに操を立てるには、人畜無害なノリス君がちょうどいいのよ。」
「そうくるか、なるほど・・・たしかに理にかなっているかもしれないね。それでもルイスの理論では王子の極端な女嫌いは説明ができないよ。」
「王子に近づこうとした女性をチェックするのはブランドンの役目だったわね。ブランドンの嫉妬と警戒感のあらわれ、という面はあると思うわ。王子の性格を考えれば、ブランドンの気持ちを優先してもおかしくはないでしょう?でも私はむしろ、女払いという制度に注目しているの。私が二人の現場を見てしまったとき、護衛のトマスは女払いのために離れた街道にいたわ。つまり女払いという制度は、女性全般を追い払うと同時に、ブランドン以外の男性の従者も遠くに配置して、本来は侍従が複数つくはずの王子が、ブランドンと二人きりの甘い時間を過ごすことができる仕組みなのよ。」
「それは・・・」
いつもは雄弁な男爵がすっかり言葉を失っていた。しばらく勝ち誇った気分で言葉に詰まる男爵の影を見つめる。
「納得できた?」
「いや、しかし、仮に今の時点ではルイスの言うことが正しかったとしても、ルイスと王子とのふれあい次第では王子の気持ちも変わるかもしれない。そうだ、もう存分に見たのなら風呂係になってもいいよね?」
「存分って何よ!一瞬だったし、焦点を合わせたのは上半身だけよ!残りは目に入っただけ!それより男爵、もう現実を見つめましょう。男爵の計画には致命的な欠陥があったの。方向性の間違った計画を修繕するのは時間と労力の無駄よ。男爵が王位継承問題をなんとかしたいのなら、見込みのない計画をすてて、新しいステップを踏むべきだと思うの。」
男爵はまた黙ってしまった。この人はなかなか意見を変えないけど、話だけはきちんと聞いてくれる。
「新しいステップか・・・なにか腹案があるのかな、ルイス。」
「ええ、確認して置きたいんだけど、男爵はあくまで国王陛下の侍従よね。子作りプロジェクトのためにヘンリー王子と私の世話をしているのよね。」
「そのとおりだね。それとなにか関係が?」
男爵に国王陛下との折衝をしてもらえたら、不可能ってわけではないと思う。
「ええ、男爵にとってはちょっと大変かもしれないわ。でも私のマッサージが役に立つ可能性があるとしたら、これしかないと思う。」
「ひとまず聞かせてくれないか、ルイス。」
私は一拍置いて、身を乗り出した男爵の影に向かって語りかけた。
「私にアーサー王太子をマッサージさせてほしいの。」




