CLXXIX 悪友マージョリー・ヘイドン
結局はピンチを迎えないまま、私は無事に宮殿の門までたどり着いた。日もまだ落ちていない。セーフ。
馬車つけの奥の方に、まだ寝たままのスタンリー卿を馬車に担ぎ込もうと苦労しているセッジヒルさんが見えた。とりあえずみんな無事だったみたいでほっと一息。
ふと、スタンリー卿の様子を見物しているのが私だけではないのに気づいた。私から見て奥に停めてある黒い馬車の横で、お洒落な帽子を押さえながらスタンリー卿達の寸劇を眺めている、ライラック色のドレスの女の人が一人。
後ろ姿になんだか見覚えがある。亜麻色の綺麗な髪の毛をハーフアップにして、横に垂らした髪を縦ロール気味に巻いてある
「マージ、ひょっとしてあなたなの?」
恐る恐る声をかけると、マージが私を振り返って、優しそうなタレ目を思いっきり大きくした。
「その声はルイーズなの?どうしたの!そんなみすぼらしい格好をして!あの自慢の髪を切ってしまったの!?あんなにシルクのようだったのに!そうだわ、脱獄してきたのね!みっともない格好はともかく髪は助からなかったのかしら!?そもそも私達あなたの裁判を傍聴するはずだったのに、脱獄しちゃったら楽しみがなくなっちゃうわ!」
「待って。とりあえず説明させて。あと人の人生をエンターテイメントにしないで。それと、服が今ひとつなのは認めるけど、みっともないって言わないで。」
マージの攻撃でちょっと心にダメージがあったけど、それ以上に見慣れた顔を見られたのが嬉しかった。マージは一見落ち着いているけれど、いつもよりオロオロしているのが分かった。
「もちろん説明は聞くけど、説明してほしいことだらけですものね。まあ私ウルスラになんて言ったらいいのかしら。ルイーズが髪を切ってしまったなんて、あの子が知ったら一晩中泣き明かすわ。脱獄するために変装して、女の子の大事な髪をばっさり・・・ルイーズの数少ない女の子らしい特徴だったのに・・・」
「ウルスラはマージほど髪の毛にこだわってなかったわ、あの子なら泣くかもしれないけど。マージは一言余計なのよ?とりあえず話をさせて。まず私は脱獄してないし、これはウィッグで私のストレートヘアは無事よ。」
マージはおっとりした見た目に反して感情的になりやすいから、とりあえず論理建てて説明してあげないといけない。
「よかった、髪はまだ無事なのね。ルイーズ、立ち話もなんだから、うちの馬車の中に入りましょう。なんならノリッジまでの逃走を手伝ってもいいわ。パパもきっと分かってくれると思うの。」
「スタンリー卿にも同じようなことを言われたばっかりだけど、私無罪になったのよ?成り行きで宮殿まで連れてこられたけど、今は私の意思でここにいるの。それにしても、まさかノリッジの知り合いと宮殿で会うなんて思わなかったし、色々話したいんだけど、その、ちょっとお花を摘みにいかないといけなくて・・・」
積もる話がありすぎて、このまま2時間位立ってしまいそうな気がした。でも私が2時間も歩いてきた本来の目的を忘れちゃいけない。
「あら、いってらっしゃい。宮殿に部屋を借りているの?どんな手をつかったのかしら。無罪なんて聞いてなかったけど、私はおとついにノリッジを発ったから、入れ違いになったのかもしれないわ。もう気になることだらけだけど、後で詳しく聞かせてもらえるかしら。」
同性とはいえ、トマスとはグレードが違う。そして無罪判決はすぐに届いたわけでもないみたい。
「いいわ。いつまで宮殿にいられるの?」
「今日はパパと私、クリスおじさんのところに泊めていただくの。おじさんは急な用事が入ったそうなんだけど、なんと私達も含めて夕食は宮殿の南棟でとらせていただけるみたいなの。でもどうせ選挙の話になるから、私は席を外してニーヴェットの次男坊に案内してもらおうと思っていたのだけど、あの唐変木よりもあなたと夜を明かすほうが楽しそうだわ。」
マージのお父様はノリッジの有力者だけど、マージまで割と自由に歩けるって、この宮殿のセキュリティは大丈夫なのかしら。私自身潜入している身だし、一応は建物ごとにチェックが入るから、なんとも言えないけど。それにしても、マージのおじさんが宮殿に勤めているなんて知らなかった。
「唐変木は言いすぎだけど、トマスの数倍面白い話ができる自信はあるわ。とりあえず用意してくるから、もし南棟に入れたら中庭の南棟に近いところで待っていて。侍女がたくさんいるから不自然ではないはずよ。入れなかったら、この馬車の近くにいてくれれば探しにくるわ。」
どこかゆっくり話せる場所はあるかしら。南棟のスタンリー卿が使える部屋があったから、セッジヒルさんに頼めば使わせてくれそうだけど。
「ルイーズの部屋はあるの?」
「2つあるんだけど、1つはまだ準備ができていなくて、もう一つは女性禁止の棟にあるの。女性の召使いはいるから入れないことはないと思うんだけど。」
さっきの東棟の見張りは白い人だったかしら。恋人とか言ったら見逃してくれるかもしれないけど、あの人は読めないからリスクを犯したくない。
「女性禁止・・・それでそんな髪型をしているのね。でもついこの間まで囚人だったのに、いつの間にか宮殿に2部屋も確保しているなんて、もうルイーズったら、小説よりも奇天烈な人生を送っているわね。」
「そうね、もっと平和がよかったわ。でも服はともかく、髪はそんなにダメかしら、自分では似合うと思っているんだけど。」
ちょっとカール気味のふわっとしたショートヘアのウィッグ。前世だったら受けそうな感じだと思うんだけど。
「たしかに、最初に見たときははショックだったけど、似合わないわけではないわ。ルイーズが男だったら私の好みね。でも私はパーシヴァル一筋よ。」
「だめ。パーシーはマージにはあげません!」
マージはだいぶ前から私のかわいい弟を狙っている。男装した私がストライクゾーンに入るのもわかる気がする。
「あら、あなたが裁判で忙しいうちにさらってあげるから!さあ、レディらしく振る舞えているうちに、さっさといってらっしゃい!」
トレードマークの巻髪をさらりと揺らして、マージは笑顔で私を追い払った。
「ありがとうマージ、待っていてね。ちょっとセッジヒルさんとお話をしてから、支度しておりてくるから。」
お手洗いに直行したくなってきたけど、セッジヒルさんをこのまま放っておいても可愛そう。
手をふるマージと一旦お別れすると、私は疲れた顔をしたセッジヒルさんのところまで駆けていった。
前の章(CLXXVIII) に若干表現の変更を加えました。物語の大筋に影響はありません。




