XVII 侍従ロバート・ラドクリフ
俺は見てしまった。人間の魂が抜かれるところを。
無二の親友の魂が抜かれるところを。
俺はがむしゃらに走っていた。どこをどう走っているのか自分でもよくわからない。ただ走っていないと気が狂いそうだった。
神様は残酷だった。俺は運命を前にしてただただ無力だった。
時折すれ違う人間が俺の方を見てギョッとした顔をする。何に驚いたのか知らないが、俺の見た目なんて気にしていられなかった。
俺は友を守れなかった。尻尾を巻いて逃げ出したのだ。
走れ、走るのだ。疲れ果てて何も考えられなくなるまで。
「そこの魔女、止まれっ。」
鋭い声がした。魔女という言葉に思わずビクつく。
横で剣を抜く音がする。振り返ると、ラドクリフ家のロバートが剣呑とした雰囲気で剣を構えている。
「ラドクリフ、俺だ、フィッツジェラルドだ。魔女なんかじゃない。」
「ではなぜそのような格好をしている。何を企んでいるのだ、答えよ。」
ラドクリフは剣を構えたまま答えた。結婚式の後しばらく見なかったが、こいつは相変わらず人質として育った俺のことを信用していない。
ふと、自分が対魔女用の衣装を着ていることに気づいた。確かに俺自身が魔女に見えたかもしれない。
「この黒服のことか、詳細は言えないが、ダドリー様の命令だ。サリー伯爵にも話は通っている。」
「伯爵も承知なのか?」
ラドクリフは胡散臭そうに俺を見てくる。
確かに俺だって全身黒ずくめで顔を隠した人間が走っていたら怪しむ。ただし仮にも伯爵の長男に剣を構えたなら、それなりの謝罪をしてしかるべきだ。
言おうかと思ったが、声を出す元気が残っていなかった。
「何があったのか。」
いつもはぱっちりした目を、限界まで細めてラドクリフは俺を睨んでいる。
「言えない。」
魔女の件は極秘事項だ。失敗した任務はなかったことになるのがダドリー様の常套手段だ。
「アンソニーも一緒だったのか?」
ラドクリフはアンソニーを弟分のように可愛がっていたから、あいつが俺と一緒にいることさえ気にくわないようだった。全く、このギスギスした宮廷で傷つかずに渡り歩けるのはアンソニーだけだ。
そうだ、あいつだけだったのだ。今日までは。
「あいつは・・・」
魔女にやられた、と言うことができない。
なんで守れなかったのか、と聞かれて答えに窮する自分を想像した。体が少し震える。
「どうしたのだ、顔が青白いぞフィッツジェラルド。」
ラドクリフの声に心配が入り始めていた。こいつは俺のような島の人間を信用していないが、公正で有能だと、本土の貴族の間での評判はすごく良い。
さっきより優しい目をしたラドクリフを見据える。
悔しいが、こいつだったらアンソニーを守れただろうか。
父親が反逆罪で捕まった後、ロバート・ラドクリフに官位はない。それでも才能を見込んだバッキンガム公爵が娘を嫁に出したほどだ。甘いマスクと剣士としての評判に令嬢が首ったけだったのもあるのだろうが。
アンソニーが魔法にかけられたのは、俺が無力だったせいだろうか。
呆然とした俺のことが気にかかったのか、ラドクリフは俺の手を取った。
「剣をあげてすまなかった。枢密院議長の部屋まで送る。」
その後誘導されるがままに廊下を歩き、気づけばダドリー様の執務室の前に立っていた。ラドクリフは門番に話をすると、俺に目で合図をして帰っていった。
アンソニーがやられたと知ったら、ラドクリフは俺のことを許さないだろう。多分今のが俺が見る最後の礼儀正しいラドクリフだ。
「入りなさい。」
奥から声がして、扉が開いた。馴染みのある部屋が目に飛び込んでくる。
意気揚々と二人がこの部屋から飛び出したのは昨日の夕方のこと。まさか俺一人やつれて帰ってくるだなんて、あの時は思わなかった。