CLXXVI 敗者トマス・ニーヴェット
ニーヴェットは大げさなくらいに口を固く結んで、私をまっすぐ見つめていた。何も話すつもりはないという意思表示だろう。魔女ルイーズ・レミントンの名前を早く出したのは得策でなかったと言える。
供述だけが手がかりというわけでもないが。
ニーヴェットとスタンリー卿の間、視界を遮る位置に移動する。
「ところでミスター・ニーヴェット、救命措置の覚えはおありだろうか。」
「なっ・・・!」
跳ねるように飛び上がったニーヴェットは、一目散にスタンリー卿の体の近くに駆け寄った。必死の形相だ。
「あいつはただ眠っているだけと言って・・・」
膝立ちになって胸と脈を目視し、スタンリー卿が寝息を立てているのを確認すると、ニーヴェットは疲れたようなため息をついた。
この慌てようから察するに、ニーヴェットが日頃から魔女の事後処理を担当しているということはないだろう。魔女の魔法がかかった男に慣れている様子がない。ニーヴェットは魔女と出身地が近い上に仕官したのが最近だったこともあり、魔女の到着に先駆け赴任した先鋒隊という可能性も考えたが、どうも助手ではないようだ。単に馬上槍試合の勇姿がヘンリー王子の頬を赤らめさせただけだろう。
「驚かせて済まない。本当に奇妙な事態だったので、私自身が救急の役に立てないことを、ふと不安に思っただけだ。それに、魔法は人を殺すようなものではないだろう。」
「・・・魔法なんて俺は何も知らないし、何を語ることもありません。」
ひざまずいたまま息を整えていたニーヴェットが、まっすぐにこちらを見つめながら言い捨てる。
ヘンリー王子が送ってきたのか、魔女の知人として頼まれたのか、はたまた魔法にかかってしまっているのか、手がかりはないものか。とりあえずは緊張を解かないといけない。
「そう気を張ることもない、ミスター・ニーヴェット。私も魔女の話はある程度事前に聞いている。また、本意ではないが状況が特殊だったので、無断でスタンリー卿の手記を読ませてもらった。魔女もあなたも登場している。だから彼女の秘密についてあなたから聞こうとは思わないし、あなたが必死になって隠す必要もない。」
手元の手帳をかざす。実際に読んではいないので嘘をつくのは心苦しいが、ルイーズ・レミントンに夢中だったというスタンリー卿のことだ、魔女への愛が綴られているに違いない。
「・・・例の裁判といい、スタンリー家は余計なことしかしない・・・」
苦々しい顔をうつむけながら、さっきより小声で悔しそうにつぶやくニーヴェット。私への警戒がスタンリー卿への不満へと一部入れ替わるのが感じられた。
「安心するといい、魔女を成敗しにきたわけではない。私が気がかりなのはむしろあなたの方だ。既婚にも関わらず、ルイーズ・レミントンの言いなりになってしまっていいのか。」
魔女に操られているか聞いても仕方がない。操られていると仮定すれば、本人が否定しても反応から学べる部分がある。
「それは情けないと俺も思いました。だけどあいつの生理的欲求は俺ではコントロールできないし・・・どうしても宮殿に急ぐっていうからしょうがない・・・」
生理的欲求などと、生々しい言葉を使うニーヴェット。言いなりになっていることを否定する素振りもみせない。
やはりニーヴェットはルイーズ・レミントンの魔法にかけられ、思い通りにされている。既婚者を寝取るとはやはり極悪非道の魔女だ。だが最も恐ろしいのは、魔女は戦略的に男の相手をするのではなく、生理的欲求に身を任せるらしいことだろう。歩いているだけで危険だ。
「いくら既婚者同士の会話とはいえ、若干表現が生々しくはないだろうか。そしてルイーズ・レミントンの体の奴隷になって、奥方に面目ないとは思わないのかな。」
「たしかに、女性にとっては話すのがはばかられる話題かもしれません。もちろん、ムリエルにはこんなやりこめられるところを見られたくないです。だが、悔しいがあいつにはかなわない。」
悔しそうに頭を振るニーヴェット。馬上槍試合で名を馳せた強者をもってしても、本人の意思だけでは魔女の誘惑に抵抗できないらしい。やりこめられる、か・・・
だが少し話が違う。魔女は魅力でもって男を骨抜きにすると聞いていたのだが、この場合は強引に襲って言うことを聞かせているようだ。スタンリー卿とは違う魔法をかけたのだろうか。
「しかしスタンリー卿は大げさに褒め称えているが、実際のルイーズ・レミントンは全く魅力にかけると見える。」
また断定系で話しかけると、ニーヴェットは不満そうな顔をした。
「いや、あいつは十分魅力的です。ノリッジでも社交界の華だった。男をねじ伏せようとするあの口さえ閉じておけばなおさらです。」
少し顔を赤らめるニーヴェット。魔女に文句を言いつつも十分骨抜きにはなっていたようだ。
そして口か、口を使うのか。不気味だが、警戒するポイントが分かるのは収穫だ。
思わずベスの髪を一房握りしめる。
「なるほど、男はみな夢中になるが、ヘンリー王子はいつものように無関心、ということか。」
「いや、ヘンリー王子殿下はレミントンを可愛がって・・・いない。今のは間違い、可愛がっているのはリディントンで、王子はレミントンと何の関わりもない。人違いです。本当になんでもない。」
さすがに先程から喋りすぎているのを自覚したのか、はっとした表情を見せたニーヴェット。どうやら嘘はつけないようだ。
私がノリッジの情報とスタンリー卿の手記を完全に抑えていたとしても、ヘンリー王子と魔女の関わりは私が知るはずがない。ニーヴェットも肝心な情報を漏らした自覚はあるとみえ、やや顔が青くなっている。
それにしても、あの王子は女に関心がないというよりも積極的に避けているようだったが、自分の役に立つ魔女は可愛がるのか。やはり魔女と王子は結託していると見るのが自然だ。
ヘンリー王子付きの従者は多くが魔女にやられていると見ていいだろう。既婚で浮いた噂を聞かないニーヴェットでさえ堕とされているのだ、ブランドンなど電光石火で倒されたに違いない。
そうなるとモーリスが危ない。私の身代わりにヘンリー王子の巣窟に送られたモーリスが、魔女の手にかかってはならない。魔女は数日前まで王都で裁判をしていたのだ、モーリスがまだ無事な可能性は十分ある。先日何者かに運ばれているのを見たのが気にかかるが・・・
「ところで先程、魔女は生理的欲求を満たしに宮殿に急いでいると言っていたかな。」
「まあおおむねそうですね・・・俺はそこの茂みでいいと言ったのに・・・」
ここにいない主に向けて愚痴を言い始めるニーヴェット。しかし、昼から茂みで事に及ぼうとするとは、ヘンリー王子周辺のモラルはどうなっているのか。現に茂みどころか開けた野原でスタンリー卿は襲われていたわけだから、公序良俗を気にかける魔女ではなさそうだが。
私の良識が壊される前に、魔女が現れる前にここから脱出したい。そしてモーリスの無事を確認せねば。
「ホーデン、速やかにスタンリー卿を馬車に運ぼう。宮殿に急がねば。私があの馬を使うことにする。」
「はい、坊ちゃま。」
さきほどから静かにしていたホーデンに指示を出し、白馬の馬具を確認する。
「・・・手伝います。」
私が魔女の敵ではないと思ったのか、意外にもニーヴェットはスタンリー卿の重い体を動かす我々に手を貸した。魔女の話をしつつも私が淡々としているのを見たからかもしれない。
騎士階級出身者にありがちな、駆け引きは苦手だが素直で忠実な男のようだ。魔女の手にかかったのは残念だが、魔女がいなくなり無事更生できたなら、この国の役に立つ人材になるだろう。
だが今は一刻も早く宮殿に戻り、モーリスと対策を練るのが先だ。
私とホーデン、ニーヴェットの三人は、古い馬車までスタンリー卿の体を引きずった。