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CLXXIV 警備担当者トマス・ニーヴェット

王子とブランドンの熱愛現場から少し街道沿いに離れた場所で、私は早速ターゲットを発見した。


スリットが入った黒服を着ているトマスが、いかにも手持ち無沙汰な様子で道を警備している。やっぱり『女払い』は森の中ではなくて交通のある方に配置されるのね。奥には王室の馬車も見える。


「トマス!良かったわ、見張りがあなたで!白い人だったら話が通じないし、もうひとりの外の従者とは会ったこともないもの。」


駆け寄る私を振り返ったトマスは、少し驚いた顔をした後、困ったように頭をかいた。おでこが広い感じや顔の骨格はスタンリー卿とあまり変わらないのだけど、トマスのほうが爽やかに見えるのはなんでかしら。ブローした前髪のボリューム感が額から注意を逸らすのかもしれない。


「レミントン、一体どうしたんだ、こんなところで?いつもより味気ない格好をしているが、諜報活動でもしているのか?」


「ちょっと!私はスパイじゃないし、この地味な格好はスタンリー卿の怪我の手当をした結果なの!そもそもレディに向かって味気ない格好って言ってはだめよ!シンプルって言って。相変わらずレディの扱いがなってないのね!」


トマスは苦笑しているけど、私もちょっとフランシス君の味気ない紺の上下が気になっていたから、指摘されると少し居たたまれなくなる。


「わかった、わかった。どう見てもレディを名乗れる格好をしていないけどな。それで、どうしたんだ。散歩に来るような距離ではないと思うが。」


「そう、トマスにお願いがあるの。スタンリー卿と遠駆けに来ていたんだけど、マッサージをしてあげたら眠ってしまって起きてくれないのよ。諸事情で起きるまで付き添ってあげられないから、できたらスタンリー卿と馬を回収してほしいの。」


できないって言われても困るのだけど。トマスは考えこむように顎を押さえた。


「不思議な注文だな、例の秘術は催眠作用でもあるのか?しかし、ここは王室領地だから馬車一台で来ているんだ。殿下一行と離れてスタンリー卿が起きるのを待っていたら俺が宮殿に帰れなくなる。レミントンの馬を借りてもいいか?」


「私の馬はいないわ。二人乗りで来たの。」


トマスは少し呆れたように苦笑した。


「おいおい、駆け落ちか?それでもなおレディ扱いをしろと・・・」


トマスは私とスタンリー卿のゴタゴタを知っているけど、たまにこうやって冷やかしてくるから気に食わない。


「違うわ!騙されて前に乗せられちゃったんだからしょうがないでしょ!スタンリー卿が強引なのはトマスだって知っているでしょう?」


「若干強引ではあるが、非常識なお方ではないだろう。起きるまで待っていれば宮殿まで送ってくれるはずだ。何の用事があるか知らないが、起きてから馬を飛ばした方が結果的に早く着くんじゃないか。」


トマスの計算は平均所要時間という意味では正しいけど、遅延リスクを考慮にいれていない。


「だめよ、歩けば2時間で確実に宮殿につくけど、スタンリー卿が起き上がる時間は見通せないわ。それにじっと待っていると焦燥感が募って良くない気がするの。」


日中にそんなに水分を摂らなかったしまだ余裕があるけど、スタンリー卿がなかなか起きなかったときに私が毅然としていられるか不安がある。


「時間が決まっているのか。一体何の用事だ?」


諸般の事情って言ったら深く突っ込むなという意味を汲み取ってほしいのだけど、そこはトマスだからしょうがない。


「その・・・ちょっとお花を摘みに・・・」


「花か?俺には種類がわからないが、川沿いにいったところに綺麗な紫の花が咲いている。10分もあれば摘んでこれるはずだ。」


花の方を指差すトマス。


そうだった、この人はこうだった。結婚してちょっとは変わったかと思ったけど、やっぱりトマスはトマス。


「トマス、やっぱりレディの扱いがなってないわね。奥様が気の毒だわ。花を摘むっていうのは、その、一種のメタファーよ。」


トマスは納得したようにうなずいた。


「なんだ、そういうことか。別にそこまで気を遣うような仲じゃないだろう?俺がスタンリー卿を見ていてやるから、終わったら知らせてくれ。そっちに調度いい茂みが・・・」


「トマス!!!ほんとにレディの扱いがなってないのね!奥様が可愛そうだわ!」


これはちょっと奥様のためにも誰かが再教育しないといけない。ひどいわ。


「どうした?」


キョトンとしたトマスを見ると、自分の発言のまずさがわかっていないみたい。


「あなたのデリカシーのなさは破壊的よ。いいですか、男性ならともかく、私みたいなレディに屋外をすすめるなんてありえないわ。野蛮よ。」


トマスは困ったように前髪をかきあげた。


「気持ちはわからないでもないが、今はレミントンの恥じらいよりもスタンリー卿の安全の方が大事ではないのか?」


「とんでもないわ!私のレディとしてのアイデンティティがかかっているのよ!それに自分の安全のためにレディに恥をかかせるような男性なんて騎士失格よ。だいたい私がスタンリー卿を野盗から守るなんておかしいと思わない?」


「アイデンティティ・・・確かにおかしいが、それを言ったらレディー扱いを要求するレミントンが男の格好をしている時点で色々と倒錯して・・・」


さっきから混乱している感じのトマスだけど、この調子で押し切ればスタンリー卿を回収してくれるはず。


「とにかく、私は宮殿に行かないといけないの!トマスの選択肢は3つ。スタンリー卿を見捨てるか、無理やり起こすか、馬車まで回収するかよ。」


「ちょっと待った、責任転嫁していないか。それに殿下がもどってきたタイミングで馬車がいなければ不興を買いかねない。」


トマスは馬上槍試合では無敵らしいけど、こういう変なところで臆病なのね。新人でよそ者だからしょうがないのかもしれないけど。


「大丈夫よ、王子は部下のミスに甘いわ。それにさっき見えた感じだと、王子とブランドンはまだしばらくかかると思うわ。」


「待てレミントン、まさか、見たのか?」


トマスが目を大きくしている。余計なことを言っちゃったかもしれない。


「見たんじゃないわ、見えちゃったの!不可抗力よ!それに、一瞬だったし、上半身に焦点を合わせていたからセーフなはずよ!東棟の広間にダビデ像だってあるじゃない!」


「何からセーフなんだ。レディとしては全くセーフじゃない。散々俺のことをバカにしておいて・・・」


いたずらっぽい笑いを浮かべるトマス。反転攻勢に出てくるみたい。


「この話をサー・ニコラスやライオネルが聞いたら、レミントン家の団らんにさぞ気まずい沈黙がたちこめるだろうな。『レディー』が覗き見趣味とは・・・」


「そんなの卑怯よ!それでも騎士なの!?このことを歪曲して実家に伝えたりなんかしたら、そんなことしたら・・・」


トマスは多分告げ口みたいなことはしないけど、この話をニーヴェット家の集まりで笑い話にするところは十分想像がつく。そうしたら月内にはノリッジ中に広まる。


「さあ、どうだろうな、誰かさんが言うには、俺のデリカシーの無さは破壊的らしいからな。レミントンの謝罪が聞けないと、うっかり口が滑っちゃうかもな。」


トマスは形勢逆転を確信したのか。いつもより饒舌になっていた。この人は意外と品行方正だから、私の手持ちのカードはあんまりない。


「そんなことしたら・・・トマスの警備不行き届きで私の泉への侵入を許したこと、おおっぴらにするわよ。」


とっさに思いついた。


「どういうことだ?女だとばらしたらレミントン自身の方が罪が重い。」


「バラさないわ。トマスが警備をサボっていたせいで、私ルイス・リディントンが『仮に女だったら』王子が女に近づかれてしまうところだった、ということよ。」


多分『女払い』を真面目にやっている人はあんまりいないんだろうけど、王子は完璧主義者らしいからきっと気にするはず。


「それは言いがかりだろう。」


「いいえ。目はあっていないけど、王子は私の存在に気づいていたみたいだったの。ブランドンに止められていたけど、私に声をかけようとしていたわ。後で聞かれたら、このニアミス、なんて説明したらいいかしらね。私は通りがかっただけだと説明したとして、もし私が女だったら、暗殺者だったら、なんて、王子は想像するかしらね。」


トマスは相変わらず苦笑しているけど、顔色が気のせいか少し青くなったきがする。


「スタンリー卿と馬を回収してくれたら、トマスの応援として警備に来たということにしてあげてもいいわ。どうする?」


すこし逡巡した後、トマスは観念するように手を上げた。


「わかった、スタンリー卿を馬車までつれて帰ることにする。この件はお互いに水に流そう。」


「ありがとう!トマスのさっぱりしたところ、私けっこう好きよ。それで、街道から二時の方角に5分くらい歩いたところに、ちょっと開けた野原みたいな場所があって、クリーム色とグレーのダブレットを着たスタンリー卿が寝ているの。割と薄着だから、あのままだと日が暮れたら寒いと思うわ。近くに白い馬が繋がれているけど、後ろに立つと蹴るから気をつけて。重い装備は何もないわ、スタンリー卿は重いけど。」


情報としてはこれくらいで十分かしらね。


「わかった、じゃあ見てくる・・・」


しゅんとしたトマスが私の指差した方向に数歩歩いて、立ち止まった。


「どうしたの?」


「今日は勝てると思った・・・」


どうやら悔しかったみたい。


「私を言い負かそうなんて二世紀半は早いわ!」


そのまま走り去るトマスを見送って少し気分が良くなった私は、宮殿までの一本道を軽快に歩き始めた。


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