表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
172/386

CLXXI ラドクリフ家執事オズワルド・ホーデン

サリー伯爵の屋敷は聞き及んでいたよりもリッチモンドの宮殿から近く、短い会見を終えて帰路についたとき、まだ夕方にもなっていなかった。もっとも、古い馬車の中には少し冷たい隙間風が入り込んできて、日が長くなったとはいえまだ厳しい朝晩の冷え込みを思い出させる。


「領地の返還手続きが済み次第、馬車を新調しないとな。この古い馬車には世話になったが、サリー伯爵家の馬車と並ぶとやはり見劣りが激しかった。派手なものはいらないが、ラドクリフ家の名に恥じないようにしたい。」


時々キシキシと音を立てながら走る馬車は、父上の処刑後に売らなかった数少ない家財道具だった。家運が傾いた時期に苦難をともにした一台だが、路面が悪いと車輪の具合が心配になる。雨漏れもするほどだから、そろそろ退役する頃合いだろう。


「ええ、ぜひそうしましょう。坊ちゃまご自身が馬車の車輪を交換するときなど、私は大変悔しゅう存じました。坊ちゃま、改めて、私の目の黒いうちにラドクリフ家の再興が叶うとは、感無量でございます。」


ホーデンが一言ずつ噛みしめるように話す。確かに長い道のりだった。


「泣くな、ホーデン。私が伯爵位を取り戻すまで長生きしてもらわないとな。私こそ、本来は家宰を司るはずのお前に、今まで下働きのようなことをさせて済まなかった。他の使用人はほとんど暇をだした以上、ラドクリフ家の伝統を解するのはお前だけだ。これからも頼みにしているからな。厳しい時期に他家へ赴かずに苦楽をともにしてくれたこと、感謝してやまない。」


「この身に過ぎたるお優しいお言葉、身に余る光栄に存じます。」


すすり泣くホーデンにつられて私も壮大な台詞を言ってしまったからか、やや気恥ずかしい沈黙があった。馬車に入り込む隙間風が音を立てる。


「おそらくは屋敷もこの調子で、大規模な修繕が必要だろう。しかし、サリー伯爵の本邸は意外にも質素だったな。立地は素晴らしいかもしれないが、今をときめく第一大蔵卿にしては屋敷の装飾や調度が簡素なものだった。」


小綺麗ではあったが、目に留まるような調度品がまったくなかった。ダドリーの家が質素ならまだわかるが、サリー伯爵が吝嗇家という噂はきいたことがない。


「なるほど、まるで仮住まいのようでしたが、私には、旧ノーフォーク公爵領にあった昔の城に復帰する覚悟のように見受けられました。このところ平和が続いておりますが、なにかあればサリー伯爵が戦功をあげるのは間違いありません。そうなると公爵位復帰は自然な流れとなりましょう。」


「しかし、バッキンガム公爵家が管理してくれていた我が旧領と違い、旧ノーフォーク公爵領は内戦後に騎士達の間で分割されただろう。」


内戦時に白軍派の拠点だったノーフォークからは戦後、公爵を筆頭に貴族階級が一掃されたと聞いている。


ホーデンはおもむろに指を折り始めた。


「カルソープ家、クレア家、ロヴェル家、ニーヴェット家 ウィンダム家、アップルヤード家・・・公爵領の分割で領地を増やした騎士階級の家だけでもこの6つになりましょうか。取り戻そうとするといちいち裁判になるでしょう。ノリッジに近い部分はヘイドン家、パストン家、レミントン家、バーグ家といった街の有力者やギルドマスターたちにも分配されておりました。」


ホーデンは内戦で没落した他の家の行方に詳しい。ラドクリフのように曲がりなりにも生き残った家はまだ幸運だと、あらためて実感する。


「なるほど。しかし街の人間が農地を得てどうするのだろうか。内戦で功があったのか。」


「論功行賞というよりは、白軍派の勢力を削ぐ目的だったのでしょう。旧キンバリー伯爵家など、内戦時にノーフォーク公爵に従った地主階級も多かった以上、土地を引き受けられる家が限られておりました。ウィロビー家やタルボット家のような遠くの赤軍派貴族よりも、領地近くの市民に管理させた方が元公爵派の反乱の芽を摘みやすいとみたのかと。実際にはハーブ農園と称して雑草を茂らせるなど、市民による土地の無駄遣いが激しいようですが。」


私が苦労をして取り返したものを、労なく手にして無駄遣いしている家があると、たとえラドクリフ一族と関係がなくとも怒りを覚える。


「大地は悠久の存在だ。何世代にも渡って世話をしていくべきものだ。それを家名に誇りのない連中の気まぐれに任せるのは許せない。」


「ええ、大変もったいないことです。ところで坊ちゃまは男爵領に復帰以降、王太子殿下の元を辞し、領地に戻られるのでしょうか。今日は間者の一件を報告するのが任務だったとはいえ、サリー伯爵からは軍務のお誘いもあったのでしょう。」


ホーデンが私の様子を伺うようにたずねてきた。


難しい問題だ。今アーサー様のお側を離れるわけにはいかないが、信頼できる代官もいない中、せっかく取り戻した領地を放置するのも罪深い。


「アーサー様はすっかりそのおつもりでいらっしゃるようで、海軍のド・ウィアー卿の副官になる話をお勧めいただいた。サリー伯爵からはシュールズベリー伯爵の副官として大弓隊を率いる話もお誘いをうけている。しかし事態はそう単純ではない。」


「弓隊でございますか。財政的な制約で坊ちゃまが十分に騎兵としての訓練が積めなかったこと、このホーデン、心残りでございます。懇意にされているバッキンガム公爵の副官になれたでしょうに。」


ホーデンはラドクリフ家の過去の栄光を知っているばかりに、稀に私に分不相応な待遇を望むことがある。本人は喜んで下働きをするのに不思議なものだ。私としてはシュールズベリー伯爵のお話で十分恐縮するところだが。


「そもそも陛下は、義兄上と私の元白軍派で騎馬隊を独占させることを好まないだろう。サリー伯爵が引退するか、副官のデイカー男爵が転勤となった場合には、歩兵隊の指揮官になりたいと思っているが。」


貴族は皆華やかな騎馬隊を好むが、私には地道な剣の鍛錬が性に合っていた。傾いたラドクリフ家の財政にもあっていたことは間違いないが。


「せめて頑強なヘンリー王子の従者になっておられたら、馬に乗る機会にも恵まれましたでしょうに。」


ホーデンは宮殿の噂には疎いようで、ヘンリー王子の夜の話は知らないようだ。私としても無責任にうわさ話を広げるのは好まない。


「いや、ああいう誇りのかけらもない連中に混ざりたいとは思わない。代えがたい仲間を得たという意味では、アーサー様のお側は最高の職場だった。」


旧赤軍派の貴族だったモーリスやアンソニーだが、周囲の大人達と違い私を色眼鏡で見なかった。グリフィスも私には無関心だったが、曇りのない目をして公平に接してくれた。唯一、繁栄する大貴族の出身ながら自己憐憫に苛まれているあの島男だけはどうも苦手だったが。


「だった、という過去形に意味はないのだが・・・」


しかしモーリスは、既婚の私の代役を買って出てヘンリー王子の巣窟に出向いて以降、心配になる場面を何度か見かけている。アンソニーに至っては島男に誑かされ、人事不省になってしまった。グリフィスは相変わらずだが。


結婚、昇進、授爵・・・一見順調に行っている私の人生だが、傍ではアーサー様も仲間も苦しんでいる。このまま一人去っていいものか。


ふと、ホーデンが以前に似たような立場にあったことを思い出した。


「なあホーデン、義兄上はホーデンに領地管理人として残る選択肢を出していただろう。なぜリッチモンドの宮殿まで、身一つの私についてきてくれたのか。」


幼い頃ホーデンを引き止めた記憶がある。その後ホーデンにかけた苦労を思うと、罪悪感にかられることがあった。


「単純な理由にございます。私は坊ちゃまを信じておりましたゆえ。坊ちゃまの成長やご活躍が、私のことのように嬉しかったのでございます。もっとも、このお歳までに公爵令嬢とご結婚され、フィッツウォルター男爵位を取り返し、軍団を率いる立場になるとは、このホーデン、さすがに予見できませんでしたが。」


近頃涙もろいホーデンがまた涙を拭う。思わず涙をもらいそうになり、上を向く。


「そうか。ホーデンがいてくれて、私は、つくづく幸せ者だったのだな。」


私はアーサー様を信じきれているだろうか。


アーサー様は私が仕えていることを、少しでも幸運だとお思いになっておられるだろうか。


「・・・それはっ・・・・いぎっ・・・ああっ、好きらあっ・・・おぐっ・・・」


「なにごとだ!?」


馬車の外から不可解な喘ぎ声が聞こえた。


「野盗でしょうか。息を止めにかかっているのやもしれません。」


ホーデンが不安な顔を見せる。


「馬車を止めよ!」


「坊ちゃま、こういう事態では馬車をそのままで駆け抜けるのが一番安全です。」


そうかもしれない。だがそのような場合ではない。


「王領地の安全より自分の身を優先するとは、貴族の風上にも置けないだろう。ラドクリフの名にかけて、野盗は私が討伐する。」


馬車が減速した。扉を開く。


「坊ちゃま、敵は一人とは限りません。ようやく男爵領が手に戻る段になって・・・エリザベス様のためにも、どうか。」


「私に万一のことがあったら、ベスを守ってやってくれ。男爵領は彼女の名義になるだろう。もしベスに子供が宿っていたら、どうかよろしく頼む、ホーデン。」


「お待ちを、坊ちゃま!!」


すがるように叫ぶホーデンを一瞥すると、私は剣を抜き、声のした方角に駆け出していった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ