CLXVI ウィンスロー男爵レジナルド・ガイトナー
日の角度が変わって、私とスタンリー卿が座っているあたりにちょうど日が当たるようになった。少し眩しいけど、日差しを浴びるのがほんわかと暖かくて、ピクニック気分になれて嬉しい。
話題は全然ピクニックじゃないのだけど。
「それで、過激派って言うと、男爵はヘンリー王子の過激なファンか何かなの?」
ひょっとして、男爵はアーサー王太子の命を狙っていたりするのかしら。
「いや、そういうわけではない。そうだな、奴の生い立ちから話し始めるのがいいだろう。」
スタンリー卿はちょっと苦笑した。さっきは男爵を睨みつけていたけど、男爵を恨んでいたりはしないみたい。
「奴、レジナルド・ガイトナーは男爵家でも女系の傍流の出だ。本来は爵位を継げるような立場ではなかったし、生い立ちは貧しかったようだ。母親は教養のある人物だったようで、そこそこの教育は受けていたようだけどな。」
「そうなんだ、そういえば貴族らしくないと感じたことは何度かあったわね。」
なんだか庶民的な雰囲気があったし、ふくろう亭では貴族が食べそうにないキドニーパイを注文していた。
「はは、良くも悪くも貴族らしさのない奴ではあるな。さて、もともと一族内で不和が目立ったウィンスロー男爵家だったが、内戦では白軍と赤軍に分かれて血みどろの争いをしてな。ほとんどの健康な男子は戦死するか、一族に殺されるかした。病弱で内戦に参加していなかった男系の男児が一人だけ生き残って爵位を継いだ。」
「そう・・・」
内戦が悲惨だったという話はよく聞くけれど、それにしても一文の説明で亡くなる人数がすごくて、気分が塞ぐ。
「さて、その男児は慌てて結婚が組まれたが、結局子供ができないまま数年後に亡くなったのだ。ルイーズも知っている通り、女系相続となると優先順位が複雑になる。内戦は終わったというのに当然のようにまた血みどろの争いになってな、主だった親戚が爵位争いで命を落とした結果、贅沢な暮らしと無縁だったウィンスローに鉢が回ってきた。」
「そう・・・どこかで聞いたような話ね。」
内戦で二手に分かれた王族が次々と亡くなって、病弱な王太子に子供ができずに、王女の子供が継ぎそうになっているのはこの国の王室の物語になる。国王陛下はご健在だけれど。
「ウィンスローはあまりに自分の家と王室を重ねすぎている面があるがな。そのせいで、男爵家にはいなかった男系の健康な生き残り、ヘンリー王子殿下に過大な期待をしている部分があるのだろう。だからと言ってルイーズをけしかけるのは許せないが。」
「そう・・・」
男爵の、ヘンリー王子に子供を作らせる必死さはわかる気がしてきた。当の王子は甥に継がせるつもりだったみたいだけど。
「ねえ、スタンリー卿、北の国のジェームズ王子がこの国を継いだら、また内戦になるのかしら。」
スタンリー卿は真面目に考え込んだ。こうしてまっすぐな目をしているときの横顔は割といいと思う。
「ウィンスローはそう思っているだろうな。今は小康状態だが、北の国はこの国の仇敵だ。もっとも、王位継承権のあるサリー伯爵の一派は蜂起するかもしれないが、どのくらいの規模になるかはわからない。内戦が完全に収束して20年は経つわけだが、内戦疲れはまだおさまっていないからな。それにもしヘンリー王子が即位後に人心を掌握して、きちんと後継指名を行えば、叛逆したくともする隙がない場合もあるだろう。」
確かに、不満だからといってすぐ武器をとるわけでもないよね。
この文脈でアーサー王太子が出てこないのは気の毒というか悲しくなるけれど。
「ありがとう、いつも通りわかりやすい説明だったわ。ところでスタンリー卿は男爵とどこで知り合ったの?あと、ちょっと喉が乾いたのだけど・・・」
喋っていたら水が欲しくなった。乗馬もいい運動だったしね。
「馬の腹帯のポケットに皮の水筒が入っている。レモネードだ。ウィンスローの主だった親戚が死んでいたからな、相続したての頃には領地経営のノウハウもなければ、必要な人員もいなかった。最初はうちで保護して、領地経営を学ばせていたのだが、しばらくした後、奴は王都から離れた領地をうちに売って、宮仕えすることにしたのだ。身軽になりたかったのかもしれない。」
「そう、それなら男爵のことを結構よく知っているのね。それとありがとう、レモネードいただくわね。」
水筒をとりに立ち上がって、軽くニッカーボッカーについた芝をはらうと、馬の向こう側のポケットにとりに行く。
相変わらず軍用みたいな、装飾のない丸い水筒だった。馬の後ろを通って戻る。
「そういえば奴は私の結婚式にも来ていたが、ルイーズも会ったことがあるんじゃないのか?」
スタンリー卿が座ったまま私を振り返って声をあげた。あの結婚式はいろいろあってお互いに黒歴史で、滅多に私たちの話題にあがらなかったのだけど。
「会ったかしら・・・大勢人がいたし・・・」
立ち止まって考える。いろいろあったけど、あんなイケメン見逃すはずはないのに・・・
「動けルイーズ!その場所で止まるな!」
急に鋭い声が聞こえた。
「えっ、何!?」
「危ないっ!」
叫び声。
スタンリー卿が私の方に飛んでくる。
視界がグルンと回転する。どすんという鈍い衝撃。
気づいたら私は芝生に仰向けに倒れていて、スタンリー卿が覆いかぶさっていた。
「どうしたの?大丈夫、スタンリー卿?」
「ぐっ・・・」
私の上で痛みに耐える顔をしているスタンリー卿。もともと眉間にシワが寄っているから、辛そうな顔の悲壮感がすごい。
「ルイーズ・・・プリンスは蹴る馬だ。」
振り絞るように声を出すスタンリー卿。
「あっ・・・」
時々、人が後ろに立つと蹴るタイプの馬がいる。馬に滅多に乗らないし、プリンスはずっと大人しかったから油断していた。
スタンリー卿は私を庇って代わりに蹴られたみたい。
「大丈夫?スタンリー卿、蹴られたところを見せて!」
「左の太腿だ。大したことはない。私たちが結婚するまでは見せるわけには・・・」
スタンリー卿は死にかけていても「大したことはない」と言いそうだから信用できない。
「そういうのいいから!まったくもう、余計なところで紳士なんだから!私のせいだし、今は怪我をみるのが優先でしょう?」
問答無用でスタンリー卿のブーツの紐を緩める。スタンリー卿が手で押さえていたところは、ちょうどタイツを下げてブリーチをあげれば出てくる左足の少し膝上の部分だったから、嫁入り云々の問題にはならないと思う。
割とスムーズに患部を見られた。典型的な打撲。
「これはあざになるわね。場所が関節に近いし、骨に異常がないといいのだけれど。」
「大丈夫だと言っているだろう。ほら、膝はきちんと曲がる。問題ない。」
スタンリー卿は少し痛そうにはしているけど、足は問題なく曲がるみたいだった。
「あんまり動かさないで!後で腫れが悪化するわ!骨折でないみたいだから、それは安心だけど、そっとしておいて。あと、馬から離れて、仰向けに転がってくれる?心臓より高い位置に患部を持ってきましょう。」
スタンリー卿は言われた通りに寝そべった。私はプリンスの鞍からサドルを取り外すと、芝生に設置してスタンリー卿の左足をのせる。
「腫れがひどくならないように、縛っておくわね。」
ちょうど私の服の装飾のために布を巻いていたから、それを解いてスタンリー卿の左足に巻きつける。あんまり強いと血行に悪いから加減が難しいけど。
「あとは冷やすものがあればいいのだけど、このレモネードは温いし・・・」
こんな人里離れたところに従者も馬車も置いてきてしまったから、氷水なんて当然ない。誰か人がいたら助けを呼べるんだけど。
よく耳をすますと、人の声は聞こえないけど、馬の息に混じって水の音がする。
「スタンリー卿、この近くに小川があるでしょう?」
「確か泉があったな。小川も流れているかもしれない。」
泉の水はレモネードよりも冷たいはず。
「音を辿っていけばわかると思うわ。私はまだ布があるから、これを泉で濡らしてくるわ。」
「危なくないか?」
「大丈夫よ!この森は王領地でしょう?じっとして待っていてね。」
さっと身支度を整える。と言っても整えるようなものはあまりないのだけど。
「ありがとう、愛している。」
スタンリー卿がいつもの「愛している」よりも真面目な口調で語ってきた。
「今はそんな場合じゃないでしょう、まったくもう!とりあえず左足を動かさないでね!」
悪い気はしないけど、流石に真面目に愛を語られると照れる。
私は水の音がする方に勢いよく駆け出していった。