CLXI 法廷弁護士エイドリアン・フォーテスキュー
緊迫した空気の中で、私は自分の頭が働かないのに焦りを感じていた。
ハーバート男爵が持ってきたアップルサイダー、度数が高かったのかしら。まさかフィッツジェラルドの花束に、痺れ薬か何かが入っていたとか。ひょっとして、現世のトマトは本当に食べてはいけない悪魔の実だったのかも。
気が散ってしょうがないけど、とりあえずさっきスタンリー卿が言ったことを理解しようとしてみる。
魔女裁判も無罪判決も全部、男爵が仕組んでいたってこと?
恐る恐る男爵の方を見上げると、相変わらず彫刻みたいな彫りの深い顔に、いつものように悠然とした笑みを浮かべていた。さっきの真剣な表情はどこかへ行ってしまったみたい。
「スタンリー、何か勘違いをしていないかな。裁判をダービー伯爵のお膝元からノリッジに無理やり持って行ったのは私ではないよ。裁判所にいた群集も異常だとは気づいたが、そこまでするとは私たちも驚かされた。黒幕が誰なのかは私にもわからないものの、その勢力はルイーズを有罪にしてから交渉する予定だったようなんだ。」
私をルイスじゃなくてルイーズと呼ぶ男爵が妙に他人行儀に聞こえてくる。この言い方だと、誰かが悪意を持って私の裁判をノリッジに持っていったことは、最初の時点で分かっていたのかしら。
私は何も聞いていないけど。
「誰なのかわからなくともそこまで知っているとは、無関係ではないな。」
スタンリー卿は弁護士モードに入っているみたいだった。でも男爵にボロを出させたいなら、最初から容疑を並べ立てるのは手札をばらしすぎだと思う。
二人が自分のことを言い争っているのに、なぜか客観的な立ち位置に立ってしまう私自身が不思議になってきた。男爵が私のほうに目を向ける。
「ルイス、知らせてあげられなくてごめんね。色々な人間がルイスの持つ力を欲していて、様々なやり方で手に入れようしているからね、全体像を掴むのは簡単ではないよ。」
私の持つ力って、マッサージのことよね。男性を女好きにするっていう間違った思い込みはともかくとして、そんなに汎用性があるとも思えないけど。なんでマッサージが政争の具になっているのかしら。
そしてなんで私はそのことを知らされてないのかしら?
私が口を開く前に男爵は続けた。
「例えばルイスを追い詰めた法廷弁護士のエイドリアン・フォーテスキューは、本気で有罪にするつもりでいたようだね。だが、西部の治安判事の彼をノリッジにわざわざ送り込んだ誰かは、それが誰なのか私には分からないけれども、おそらくは有罪で意気消沈するルイスを利用しようと思っていたのだろうと思うよ。私が急いでノリッジに向かった段階ではそこまで分かっていなかったし、今も推測の域をでないけどね。」
なるほどね。ノリッジの法曹関係者は大体お父様や私と知り合いだから、判事や弁護士が外部の人だったことには、特に違和感はなかったけれど。
「意図は分からないが、まずくだらないルイス呼びはやめたらどうだ、ウィンスロー。辣腕のフォーテスキューがノリッジに送られたのには確かに虚を突かれたが、私にも誰の指図かは分からなかった。しかし、そこまで知っていて、それをなぜルイーズの味方に知らせない?」
スタンリー卿は後ろから見ている私にもわかるくらいに男爵を睨んだ。
なんでだろう。声量も態度もスタンリー卿の方が堂々としているし、言っている内容も正論なのに、どこか苦しい弁明をする黒服の男爵が主役のように見える。役者が違うような、そんな感覚。
「ルイーズ、スタンリー、知っての通り私の計画は国王陛下の了承を得ている。ウォーラム大司教をはじめ、この国で最も頼りになる味方がルイーズのバックについている。」
私のことを呼ぶとき「聖・・・」とか言いかけてしまうモーリス君と違って、男爵は私を淡々とルイーズ呼びすることに淀みがなかった。なんだか寂しい。
「ルイーズの幸せを願わない者を、味方とは言わない。」
熱弁という感じだったスタンリー卿の口調が、だんだん刃物のように鋭くなっているのに気がつく。二人が対峙して、一見鷹揚に構えている男爵まで目が火花を散らしているように見えてしまう。
今、なんで私は観客なのかしら。
「なるほど、しかしルイーズへの想いだけでルイーズを火あぶりから救えなかったはずだね。現にルイーズを魔女の肩書から救ったのは我々であって、スタンリー、君ではないよね。力のある者に狙われている以上、一番安全な場所は最も力のある者の傘下のはずだよ。」
そうね、肝心な情報を教えてもらえなかったとはいえ、あの流れでは有罪になるところだったし、罪状確定前で介入してもらったのはありがたかったのかもしれない。国王陛下がどれくらい守ってくれるかは心許ないけど。
でも全部織り込み済みで、男爵が絶妙のタイミングで入ってきたとしたら?もう何を信じればいいのかしら。
「それには礼を言おう。だが、ルイーズを理不尽な処刑から救うことと、ルイーズを女嫌いの王子にけしかけて、また理不尽な処刑のリスクに晒すことは無関係だ。」
スタンリー卿はごく真っ当なことを言った。確かに、王都で働き口が欲しくて男爵の誘いに乗ったけど、そこまでする価値があったのか分からなくなってきた。あの時はノリッジから逃げたい一心だったけど、それが男爵の目論見通りだったとしたら?
「ヘンリー王子本人には処断の権限はないよ。最悪でも国王陛下の恩赦が入るから、架空のルイス・リディントンが宮廷から追放されるだけだね。そう怖がらないでくれ、ルイーズ。」
男爵にルイーズと呼ばれると違和感しかない。怖がっているように見えるのかしら。不思議と落ち着いていると言うか、空っぽな気分だけど。
「考えてもみよう、スタンリーや私がどう動こうと、スタンリーの奥方レディ・アン・ヘースティングスがはじめた裁判は、その内容から多くの人間の注目を浴び、様々な謀略が絡んだ末、防ぎようがない悪評とともに、どの道ルイーズが誰かに拐われることになっていたのだよ。数々の脅迫や謀略まがいの選択肢の中で、私たちが一番ましであったことは間違いない。ルイス、ちゃんと私を見てくれ。私がルイスのために働いてきことを、ルイスが一番よく知っているよね?」
とってつけたようなルイス呼びね。部屋の準備や王子への引き合わせも含めて、男爵が熱心に働いていたことは否定しないけど。
無言のまま男爵の綺麗な顔を見つめる。こげ茶の髪の合間から、同じ色の瑪瑙みたいな瞳が、真っ直ぐに私を見つめている。今のワイルドな髪型と真摯な目つきが相まって、いつまでも見ていられそうな美しさ。
そっか、私は信じたくないんだ。
聞きたくない情報は、頭がプロセスしないのね。最初は分かっていたのに、いつの間にか忘れていたんだわ。本人だって一度も否定していないのに。でも信じることを拒否していたのかもしれない。
男爵が、初めから私の味方じゃなかったということを。
シリアスな展開はこれにて一旦お預けになります。




