CLVIII 見張り番ジョン・ゲイジ
歯磨き、よし。
化粧直し、よし。
香水、よし。
ウィッグ、よし。
服装、まあよし。
「じゃあ行きましょう、ゴードンさん!」
「はい、ルイーズ様。」
「頑張ってねルイス様。」
私たちはスザンナを部屋に残して南棟の王太后様の区画に向かった。身嗜みを整えるのに結構時間がかかったけど、スタンリー卿は私を待つのには慣れているから気にしないと思う。
東棟から南棟へは塔みたいな建物を経由して、外に出なくても行き来できる。
「やっぱりファージンゲールがないほうが歩きやすいわ。ヒールもないし。」
二ッカーボッカーのサスペンダーがたまにずり落ちないか心配になるけど、この軍服みたいな服装は動きやすかった。
「勤務数日で既にブリーチの方が落ち着かれるとは、ルイーズ様も玄人でいらっしゃいますね。」
ゴードンさんは少し驚いたように口髭をいじった。確かに現世では女性がズボンを履くことがないから、見ている人とってはニッカーボッカーが快適な私はちょっと不思議かもしれないけど。
「こういう服は着たことなんてなかったんだけど、やっぱり機能優先の服装だから・・・待って、ゴードンさん、後ろに隠れさせて!!」
廊下の向こうに白い人が見えた。立ち止まっていて動かない。今日は休みだと思うけど、何をしているのかしら。
「ゲイジがこの階にいるのは妙ですね、本来は東棟に女性が入らないように我々の仲間が見張っている位置ですが、間者騒動での配置換えで、今日だけ玉突き人事にあったかもしれません。」
そういえばこのフロアで『外の従者』に会ったことはないのよね。東棟3階は『中の従者』とその他ヘンリー王子のスタッフの居住空間なんだと思う。
「いずれにしても、今はリディントンの格好をしていますから、ゲイジに見られても問題ありませんよ。女性の格好をしているときは我々も同伴するものの、できるだけ気をつけた方がよろしいかと思いますが。」
「ありがとう。そうね。考えてみればさっきまでの私は軽率だったわ。」
思い出してみると、さっきは女の格好をしたまま王子に見つかるっていう最悪の展開だったんだけど、結果的にはなんとかなったかも。顔が痛かったけどスタンリー卿には感謝ね。
ルイスの格好をしているときくらいは堂々としなきゃ。
そのまま白い人が立ち止まっている前を通り過ぎる流れになった。今日も全身白い。こういうときって挨拶をするタイミングがわからないわ。
薄い水色の目が私を見つめた気がした。黒目がないんじゃないかっていうくらい薄い色の。
「こんにちは、白・・・ゲイジさん。ご機嫌いかがですか。」
「・・・似合う。」
「はい?」
白い人は唇を最小限しか動かさなかったから確証はないけど、褒められた気がした。この人はそもそも唇が遠くから確認できないくらい薄いのよね。
「ええと、ありがとうございます。この服はフランシス君のものですが、女中がアレンジしてくれたんです。ちょっとは勇敢そうに見えますか?」
「・・・ああ、いい匂いがする。」
「え?」
白い人は能面みたいに表情を変えないから、どういうニュアンスかいまひとつ分からない。さっきから会話が成立してない気がするけど、考えてみれば白い人とは一度としてきちんと会話できたことがなかった気がする。
「・・・これはシトラスの香水ですね。男性がつけていても嫌味がなくていいと思います。白・・・ゲイジさんにはスズランとか、もう少しき繊細な香りがお似合いだと思いますが。」
「・・・昨日、大丈夫だった?」
「・・・」
人がせっかく似合う香水を勧めているのに話を聞かない人ね。昨日も今日もこの人からはなんの匂いもしてこなくて、薄いイメージに拍車がかかっている。よくみると今日の白い服は襟の返しが薄紫になっていて、昨日ほど全身真っ白じゃないけど。
昨日ってなんのことだったかしら?
「昨日・・・そういえば、宴会でお隣の席でしたね。ほとんど会話ができずに、マナー違反でした。間違ってジンを飲んでしまってからあまり記憶がないのですけど、もし迷惑をかけていたらごめんなさい。朝は二日酔いで大変でしたが、今はすっかり回復しています。」
「・・・可愛かった。」
「・・・」
白い人は頬をあからめる・・・ことはなくて白いままだった。瞬きをする様子もなくて、薄い水色の瞳孔もプラチナブロンドの眉毛も固定されたまま動かない。蝋人形みたい。
可愛い?どういうこと?
思わずとっさにゴードンさんを見てしまう。渋い顔をしている。ちょっと探りを入れてみるほかなさそうね。
「ええと、男としては酔ってかわいくなるのは嬉しくありませんね。昨日の私は男らしくありませんでしたか?私はこんなに華奢ですが、これでも女性にモテたいと思っているので、改善して行こうと思います。」
「・・・別に。」
確認をするべきは女だとバレていないか、逆に白い人がヘンリー王子と同じような嗜好を持っていないかの2点。どちらも素直に白状するようなことはないだろうけど。
でも肝心なところで返答がない。『別に』が何にかかっているか文脈からも不明だし、白い人が文脈なんて気にしない可能性もある。
服を貸してくれたフランシス君には申し訳ないけど、ちょっと冷や汗をかいている気がする。
「ルイス様は少年の面影を残しておられますからな。さて、従者同士の交流を深めるのもよろしいですが、これ以上来客をまたせるわけにはいけませんね、ルイス様。遠駆けの最中に日がくれかねません。」
ゴードンさんが介入した。私としては白い人の『可愛い』の意味をもっと調べたいけど、一旦引くべきなのかしら。
「・・・一緒に行く。」
なぜ。やっぱり私のことを好きなのかしら。それとも私を疑っていて、行為を装って探りを入れているのかしら。後者の場合、演技にしては無表情すぎる気がするけど。単純に表情筋が硬いのかもしれない。
モーリス君によれば白い人は仕事ができるはずだったけど、こんな簡単に見張りを放棄していいのかしら。
「残念ですが、ルイス様の知人のスタンリー卿が訪れていらっしゃいますから、できればお二人が部外者を介さずに闊達に交流できる環境を確保すべきかと。」
「・・・そうか。」
白い人はゴードンさんの示唆に応じて引き下がった。特に残念そうな感じではなかったけど、少しプラチナブロンドの眉毛が上下に動いた気がする。
「それでは、ご機嫌よう。」
「・・・うん。」
とりあえず『可愛い』の真相が分からないまま後ろ髪を引かれる思いだったけど、私とゴードンさんは相変わらず石像みたいに直立したままの白い人のところを去った。ついに話は噛み合わなかったし、粘っても白い人に主語と述語のある文章を話させることができずに骨折り損に終わったかもしれない。
でも、可愛いって言われる分には悪い気はしなかったけど。




