CLVI 召使スザンナ・チューリング
ルイスの部屋の扉を開けると、スザンナがだらしない格好で肘掛け椅子に座っていた。少し胸が開いていて体のラインが見える、ライラック色のネグリジェみたいな服。私とゴードンさんを見たスザンナはちょっと驚いた様子だった。
「ルイス様、だいぶ遅かったね!もうお昼ご飯の時間はとっくに終わっちゃったけど、どうすんの?その花束は素敵だね!」
流石にちょっとだらしない自覚があったのか服装を整えると、スザンナは私が持っていたブーケとバスケットを受け取りにきた。
「お昼ならたくさん頂いてきたから大丈夫。あと、これはあくまで私の意見だけど、スザンナの赤髪にその服はあんまり似合わない気がするわ。胸も見せすぎるとよくないと思うの。そう思わない、ゴードンさん?」
バスケットを開いて中身が空なのにがっかりしているスザンナだけど、身をかがめると割と際どいところまで見えてしまう。一応は男性の前なのに。
「私のような無骨な人間に、レディの感性の機微はわかりませんので。」
ゴードンさんはこういう模範解答が多いのよね。整った曲線を描いている口髭を見ると、割と見た目にこだわっていそうな気もするんだけど。
「あたいこの格好が楽だし、表に出るときとか王子様を襲うときはもっとちゃんと華やかに着飾るよ。ルイス様が着ているような首が閉まるドレスは、あたいが着ると胸が苦しいから。」
スザンナはいちいち胸に言及してくるから困り物よね。そもそも首と胸の苦しさに因果関係はないような気がするけど。コルセットをしているなら尚更関係ないんじゃないかしら。
「そう、胸が大きい人は大変ね!それより、これから丁寧に歯磨きをしないといけないのだけど、ミントの粉はあるかしら。」
「ミントなら、葉っぱはあるけど粉は切らしてるよ。それより、丁寧に歯磨きって、ついにルイス様も王子とニャンニャンするの?うひひひ・・・」
スザンナがセクハラをするおじさんみたいな目をして笑っている。そもそもニャンニャンする担当はスザンナじゃなかったのかしら。
「違うわよ!昔からの知り合いに会いに行くだけ。それじゃあミントをすらないといけないわね。鉢を持ってきて、私がやるから。その間にスザンナは乗馬できる男物の格好を用意して頂戴。」
悪戯っぽそうにしていたスザンナは急に困った顔になって口をすぼめた。
「そんな急に言われても、マダム・ポーリーヌの制服が届くのが明日だよ?喘ぐ人のブリーチは返しちゃったし、今日は用事があるみたいだから捕まらないかも。」
そうね、考えてみれば今のところ男物の服がないんだった。モーリス君は従兄弟と選挙の打ち合わせとか言っていたし、借りた服は2着とも・・・
「そういえばモーリス君の服、青緑のオーバーと灰色のズボンは返しちゃったけど、あの綺麗な深緑のローブが残っているはずよ。どうかしら?」
今日一日、想定と反して実家から持ってきた青いドレスを着ていたから、モーリス君お気に入りのローブがまだ未使用で残っていた。
「ローブは喘ぐ人のやつの他に、ルイス様が初日の認証式で着たやつもあるけど、どっちもお馬さんには丈が長すぎると思うよ。あたいはとりあえずウィッグだけ用意するね。ここにミントの葉と鉢、それに棒を出しておくね。」
スザンナは今日も見た目に反してテキパキしていた。肘掛け椅子に座って、受け取ったミントの葉っぱをすりながら、格好を考える。スザンナが頭にウィッグを設置し始めたからあんまり体を動かさないようにする。
「トマスに借りようにも部屋が分からないし、そもそもサイズが違いすぎるわ。既婚者は東棟にはいないのよね。ノリス君とは背格好が一緒だけど、ピンクのタイツとか貸されても困るし・・・」
「ルイス様、ぶつぶつ呪文を唱えながら薬を作ってる魔女さんみたいだね。やっぱり本物は違うね。」
スザンナが茶々を入れてくるけど、手を止めないのはプロの根性を感じる。
「ルイーズ様、お化粧の間私は席を外しますが、ウッドワードが隣室にいるはずですよ。」
ゴードンさんが部屋の外の様子を伺いながらアドバイスをくれた。確かにエチケット上はお化粧を見られてはいけないのだけど、ウィッグをつけているのもお化粧にカウントされるのね。それにしてもウッドワードって誰だったかしら・・・
「そうだわ、フランシス君!あの子はタイツ派じゃなかったはず!背も私よりちょっと高いくらいだからなんとかなるわ。痩せ気味だった気がするし、昨日作ったベルトがあればズボンも履けるはずよ!」
思い立ったら即行動、ということでスザンナがウィッグをつけ終わったのを確認してから、非常時のための秘密の扉をノックする。
「フランシス君、いる?」
ドアの向こうでバタバタと音がして、15秒くらいしてからグレーのローブを着たフランシス君が顔を出した。相変わらず早い。
「フランシス君、非常事態なの。男用のズボンを貸してちょうだい。あと丈の長すぎない上着も。」
「ズボン・・・ですか?」
そういえば現世だとズボンとかトラウザーって呼んでいる人あんまりいないわね。
「ブリーチかキュロットのことよ。できるだけ丈の長いやつを持ってきて。乗馬のできる、地が厚いやつがいいわ。洗えるリネンのやつがベターね。」
「わかりました。」
急なお願いだったけど嫌な顔をせずに受け入れてくれたのは嬉しい。
「ありがとう!私もフランシス君の役に立てることがあったら教えてね!」
相変わらず最小限の返答しかないフランシス君を背にして、上着の下に着るシャツを選んでいるスザンナのところへ戻る。
「ルイス様、やっぱり女物のシュミーズは丈が長いかも。」
「たくしこんでしまえば、なんとかなるわ。昨日も女物のシャツの上にモーリス君の服を着たから。あと、すぐにではなくてもいいけど、フランクにお風呂の用意をしてもらって。」
スタンリー卿はアウトドア派だから、綺麗な格好では帰ってこられない気がする。フランシス君には申し訳ないけど。
「今連絡したら早くても明日の朝になるよ?」
「それでもいいわ。きれいな状態でマダム・ポーリーヌの服を着たいから。」
スザンナは頷くととてとてと駆けて行った。ちょうど部屋から誰もいなくなったので、ドアに鍵をかけてから、ガウンとオーバースカート、ついでブラウスとペチコートを順に脱いで、スザンナの用意したシュミーズを着る。半日間お世話になったファージンゲールとも一旦おさらばね。
トントンと秘密の扉を叩く音がする。フランシス君ね。
「待って!まだダメ!まだダメなの!」
考えてみればこれからズボンを履くにしても、一旦ちゃんとした格好をしないとズボンを受け取れない。着替え始めるのが早すぎたわ。
ペチコートを履き直して、ブラウスを着て、ガウンをマントみたいに羽織る。膝上まであるタイツはそのままだし、ひどい格好はしていないはず。
いそいそと秘密の扉に走って、ドアを開ける。
「こちらです。」
私に一式を手渡すフランシス君。
「ありがとう!助かったわ!」
「いえ、それでは。」
相変わらず最小限のやりとりでドアが閉じて、私の手元には地味なネイビーの上下が残された。素材はリネンね。ズボンの方はサスペンダーで肩に留めるニッカーボッカーみたい。
機能的かもしれないけど、上下同じ生地の同じ色だし、首元の締まった上着はネイビーに黒いボタンでとにかく地味。なんだか前世の男子高校生の学ランを思い出すけど、金ボタンみたいなアクセントがないから地味さが際立つわ。
うーん、ズボンはありがたいんだけど。とりあえず履いてから考えようかしら。




