CLV 王太后配偶者ダービー伯爵
私の顔はスタンリー卿の甲冑に押し付けられていたから、どこをどう移動したのかわからないけど、音からして南棟に入って階段を登ったんだろうな、というところでようやく解放された。こじんまりとした控え室みたいな部屋で、控えめだけど品のいい椅子と花瓶が並んでいる。
「ぷはあ!苦しかった!顔痛い!もう、もうちょっと優しい持ち上げ方はないの?その、お姫様だっことか。」
笑顔で私を見下ろすスタンリー卿に文句を言う。お姫様抱っこなんてされたことないけど、ちょっとした憧れがあって前にスタンリー卿に指南したことがある。マッサージをしてあげる前後のことだったから、その後の求婚騒動で結局してもらえなかったけど。
「そんな運び方をしたらすれ違う人間にルイーズの顔が覚えられてしまうし、第一ペチコートの中が見えてしまうだろう?」
そうなのよね、お姫様抱っことスカートが広がるお姫様の格好は相容れないみたい。膝をしっかり曲げればなんとかなりそうな気もするけど。
「たしかにそうね、前よりもデリカシーがわかるようになったみたいね、スタンリー卿。とりあえず逃げ切れたみたいでよかったわ。助けてくれてありがとう。」
しばらく浮かされてたからなんだか足元が覚束ないけど、さっきは危機一髪だったからお礼はちゃんと言おうと思う。
「惚れ直したか、ルイーズ?」
悪戯っぽい目をしたスタンリー卿が目配せをする。この人の茶色の目は素敵だと思う。なんだか三枚目風なのはやっぱりおでこのせいかしら。
「そもそも惚れてないってば!」
私たちがいつものやりとりをしていると、ゴードンさんが部屋の隅でキョトンとしているのが目に入った。会話に置いていかれて困っているみたい。
「ゴードンさん、巻き込んでしまってごめんなさい。」
私に優しく笑顔を返すゴードンさん。そもそもゴードンさんは門番だったのに席を外してよかったのかしら。ブランドンが交代していたら良いのだけど。
「別に構いませんが、お二人は恋仲でいらっしゃるので?」
ゴードンさんは口髭のせいか、わざと茶化しているのか本気にしているのか一件見分けがつかないのよね。
「その通りだ。」
「だから違うってば!」
なぜか自信満々のスタンリー卿を遮る。レミントン家でもこの面倒のやりとり何度かあった気がするけど、またああなる前に誤解を解きたい。
「ゴードンさん、スタンリー卿は結婚されているの。早まって私に手を出さないように、見張っていてもらえると嬉しいわ。」
一応騎士道精神はあるみたいだから、無理に襲われる心配はしていないけど。
「ルイーズ、だからその話は教会に届ければ片付くと言っているだろう。それに、例え名目上私が結婚していようと、例え君から香ばしいニンニクの香りが漂ってこようと、例え君が毛糸のズロースを履いていてペチコートの中を見られるのを気にしなかろうと、私の愛は・・・」
譲歩節が長すぎる!
「デリカシー!!!あと毛糸は冬だけだから!って何言わせるのよ、バカっ!」
スタンリー卿は兄さんやお父様とも交流があるからたまに余計なことを知っている。今の季節はシルクだけど。
「ルイーズ、文章が終わるまで聞いてくれ、まだ本文が終わっていない段階で遮られたから甘い言葉を言えていないだろう。」
武人はそういうのを恥ずかしがるものではないのかしら。
「もう!大体そこまで譲歩しなくていいの!そもそも、助けてくれたのは嬉しいけど、元を辿れば全部スタンリー卿のせいなんだからっ!バカバカっ!」
昔の癖でスタンリー卿の胸をポコポコ叩く。鉄の甲冑が痛い。
「もう、痛いじゃない!抱きしめられている間ずっと痛かったんだから!状況が状況だから我慢していたけど!」
「私のために痛みを我慢してくれていたとは、なんと献身的なんだ、ルイーズ!大事にすると約束しよう!」
鈍いわけではないのだけど、スタンリー卿はこうして時々わざといじってくるのよね。
「そんなんじゃない!よくわかっているでしょ!」
「わかった、次回からはルイーズが抱きつきやすい格好をしてこよう。」
確かに、甲冑じゃなくて普段着だったらハグしやすそう。
待って、なんで私がハグする想定になっているの?
「ちょっと!頼まれたからお祝いにハグしただけですからね?もう!解釈の都合が良すぎなのよ!!」
「少しは弁護士らしくなったと思うか?」
確かに前より弁舌がスムーズになったかも。
「うん、そうかも!ってそんなこと言っている場合じゃないでしょ!!」
まずいわ、スタンリー卿のペースから抜け出せない。
「ゴードンさんもちょっとなんとか言って。」
穏やかなゴードンさんを巻き込んで沈静化させる戦略でいく。
「いえ、私には若い恋人の痴話喧嘩を遮る若さはありませんので。」
「だから違うってば!もう、なんでみんな勘違いするのかしら!」
よく口論している時に『お似合いですね』とか言われていたのよね。まだスタンリー卿の縁談が整う前のことだったけど。
「さっきから黒髭の衛兵にやけに心を許しているな、ルイーズ。口髭は嫌いではなかったのか。」
スタンリー卿は嫉妬というよりも好奇心がある感じでゴードンさんを見定めにかかった。ちょっとたじろいでいるゴードンさんを庇ってみる。
「ゴードンさんは渋い感じだし、口髭が似合うわ。あった方が顔の印象が穏やかな感じになるんじゃないかしら。あと、スタンリー卿の顎髭は王子の無精髭と一緒で、至近距離で見たらなんだか清潔感がなかったの。やっぱり剃った方がいいんじゃない?」
「ちょっと待て、ルイーズ、王子の無精髭を至近距離で見たのか?出会い頭にぶつかりでもしたのか?」
表情を即座に変えるスタンリー卿が真面目な顔をした。この距離で正面のアングルだったら、赤い顎髭はそんなに不自然ではないかもしれない。
そして角でぶつかるなんて、そんな少女漫画みたいな展開あるわけないでしょう!
「話せば長くなるわ。遠駆けの最中に話しましょう。私は歯を磨いてくるから。」
「今更じゃないかルイーズ?」
「大事なの!どのみち着替えなきゃ行けないでしょう?レディのプライドに関わるの!ちゃんと察してよね!」
レミントン家に出入りし始めた頃のスタンリー卿はレディの事情に疎くて、ずっと前にはトイレが長いことに文句を言われたことがある。当時12歳の私はスタンリー卿の足に回し蹴りを入れて、なんだかんだでそこから仲良くなったのよね。
「どうせならその格好のまま、ルイーズお気に入りの『お姫様抱っこ』で馬を駆っても良い。」
そのまま馬に乗ったらピーター・ジョーンズみたいに這いつくばらなくてもスカートの中が見えそう。
「もう!そんな恥をさらしてお嫁に行けなくなったらどうするの!?」
一応騎士のスタンリー卿は、昔は遠慮して私が頼んでも抱っこしてくれなかったのに、マッサージしてあげてからこういうあからさまなサービスが目立つようになった。色々と複雑な気分。
「私にとっては最高の展開だ。うちに来ればいい。」
「そんな小賢しいこと考える人は嫌い!もう、スタンリー卿のバカっ!」
ちょっと反論するのに疲れてきちゃった。とりあえず着替えてこよう。
「ゴードンさん、私をルイスの部屋まで連れて行って。それと、ここはどこなのかしら。」
「王太后様の居室に繋がる控え室になります。東棟まで私がご案内しましょう。スタンリー卿はこちらにてお待ちください。」
王太后様のお部屋、ってことは再婚相手ダービー伯爵の孫にあたるスタンリー卿も一応使えるのかしら。
「待てルイーズ、ルイスとは何者だ?男の部屋に入るのか?」
スタンリー卿は本当に何も聞いていないのね。男爵とはどういう仲なのかしら。
「ええ、ルイスはとっても可愛い男の子よ。乗馬服を貸してもらうの。スタンリー卿と違って女の子の事情に精通していて清潔感があるの。」
調子に乗っているこの軍人に少しは仕返しをしてあげようと思う。
「まさか、顔がいいのか?男物の服を着せるなど、騙されているんじゃないか、ルイーズ?」
スタンリー卿は私が顔のいい人に騙されるんじゃないかっていう強迫観念みたいなものを持っている。失礼しちゃうわ。
「ルイスはハンサムで誠実よね、ゴードンさん。」
「え、ええ、そうですね、客観的に言って極めてハンサムかと。ルイス様が誠実かどうかについては、少なくとも一所懸命には違いないかと。」
ゴードンさんが話に乗ってくれた。後半がちょっと引っかかるけど。
「待て、そもそも可愛い顔をして女を知っている男など信用できないだろう。ルイーズには私のような清らかな童貞がふさわしい。」
スタンリー卿の堂々とした立ち居振る舞いはたまに変な場面で発揮されるのよね。
「結婚しているのに変な誇りを持たないでくれる?さあいきましょう、ゴードンさん。」
「近衛兵、くれぐれもルイスとやらがルイーズに変なことをしないよう、目を光らせていてほしい。」
スタンリー卿が真剣な眼差しでゴードンさんの肩に手を置いた。そう言えばこの人は肩を叩くのが癖なのよね。
「心得ました。それではルイス様のもとへ参りましょう、ルイーズ様。」
笑いを必死に堪える感じのゴードンさんに導かれて、私は回廊に出てルイス・リディントンの部屋へと向かった。