CLIV 士官トマス・スタンリー卿
ブランドンが数歩近づいてくる気配がして、私はスタンリー卿の甲冑の継ぎ目に思わずしがみつく形になった。魔女騒動で迷惑をかけられた分少し悔しいけど、今はスタンリー卿に護ってもらうほかなさそう。
「(ブランドンを近づかせないで、お願い!)」
さっきよりもさらに声を小さくする。
「先ほども申し上げた通り、この少女自身が東棟の敷地に侵入したわけではありませんし、現に東棟自体には入っていません。また東棟の庭園は女性の立ち入りが禁止されていますが、門の手前のこの空間は一般的に庭園とは呼ばれません。規則に照らしても身柄を拘束されることは不当です。」
私を抱き抱えたままにしては、スタンリー卿は堂々と話している。そうよね、考えてみれば私たちは東棟の門の前でゴードンさんと話していただけで、禁止されていた区画には入っていない。入ろうとはしていたけど。
「・・・理屈っぽい男はモテないぞ。」
ブランドンの頭では反論が見つからなかったみたい。それにしてもなんでこんな口調なのかしら。貴族のスタンリー卿の方が身分は高いのに、身の程知らずだわ。
「(スタンリー卿、敵とは議論にならないわ。さっさと切り上げて!)」
妙に悠々としているスタンリー卿を急かしてみる。抱き上げられたままだから私からは見えないけど、さっきから無言の王子が気になる。機嫌を損ねないうちに退出しないと。
「この少女をリネカー医師に診てもらう必要がありますゆえ、これにて失礼をさせていただきたく思います。」
「待て、その足元にあるバスケットと花束を見てみてもいいか。」
話を聞かないブランドンの答えが聞こえた。この宮殿は相手の話を聞いてくれる人が不足している気がする。
マジパンの入っていたバスケットとフィッツジェラルドの花束のことだと思う。そう言えばスタンリー卿にハグを頼まれたときに、とっさに足元においちゃったのよね。バスケットの中身は空だけど、くくりつけてあるルイザとルーテシアの証書を見られたら、きっと怪しさが倍増する。
「(ダメよ、渡さないで!)」
「少女の許可なく中身を見ることはエチケットにかないませんので。」
スタンリー卿が少し苦しい弁明をする。王子が望んだらエチケットどころじゃないと思うけど、確かにそれくらいしか思いつかないわよね。
「そのバスケットの紋章は、枢機卿の便箋にあるものと同じ。もしや、南の国の王室のものではないのか?」
いつもより少し弱々しい王子の声がした。王太子妃様はお土産用のバスケットにいちいち紋章を入れていたのね。なんと言い訳したらいいかしら。
「怪しい女、やはり私が身辺調査を買って出るしかないだろう。」
ブランドンの『身辺調査』がどんなものになるか、想像がついてしまうだけに身の毛がよだつ。
「(大丈夫だよ、ルイーズ。)」
スタンリー卿が顔を王子一向から背けて、門の方を向いたのがわかった。思わずちらと顔を見上げる。赤い顎髭が目に入る。
「(この者は信頼できるんだな?)」
声は出していなかったけど、唇の形で何を言っているかわかった。そういえばまだゴードンさんがいたはず。
王子達から見えないようにゆっくり頷く。
「殿下を煩わせてしまうのは憚られますゆえ、この衛兵に南棟まで随行してもらい、医者の立ち合いのもと、必要とあらば事情聴取をしていただくことにしましょう。」
「だから私が検査をすると言っている。私がハル王子の女性問題の最高責任者だ。」
ブランドンが意地になって喚いている。女性問題っていう職域が存在したのね、女性なんていないのに。
「チャールズ・ブランドン、この少女はお前の管轄下にある敷地に入っていない。王子に故意に近づいた事実もない。故に失神したこの子の身元を預かる理由はない。王宮の敷地全般を統括するバウチャー子爵配下の近衛兵が審査するのが道理だ。」
スタンリー卿が急に厳しい口調になった。軍で下士官を相手にするときはこんな感じなのかしら。それを言ったら部外者のスタンリー卿が随行するのも変なのだけど、ブランドンが相手ならこれでもいいはず。
「む・・・」
「このゴードン・ロアノーク、責任を持って職務をまっとうさせていただきます。またバスケットと花束の検査も私が行いましょう。スタンリー卿、どうぞこちらへ。」
ゴードンさんもようやく助け舟を出してくれた。
「ぐぬぬ・・・」
私は何もしていないけど、ブランドンが悔しそうな声を出すとなんだか嬉しい。
「よくわからないけど、任せていいんじゃないでしょうか、王子様。」
コンプトン先輩は口調からして完全に興味を失っていたみたい。ここでゴードンさんについていけば助かるはず。
「もう行って良い、スタンリー。」
「ありがとうございます、殿下。」
王子から弱々しい合意が取れたみたい。横でゴードンさんがバスケットと花束を拾い上げる気配がする。スタンリー卿が私の位置をまた少しずらして歩き出した。そろそろ腕が疲れてきてもおかしくはないと思うけど、よく鍛えてあるからか不安感は全くない。無事脱出ね。
「あの女、なんだかリヴァートンに似ていなかったか?」
「リヴァートン?リディントンのことか?まさか、私は男と女を見間違えることはない。こちらから顔や胸は見えないが、女の腰をしている。」
斜め後ろで嫌な会話が繰り広げられていたけど、割と大股なスタンリー卿は私を隠しながら悠々と場を退場した。
とりあえずさっきまで呪ってたファージンゲールに感謝しなくちゃ。