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CXLIX 王室金庫番ウィリアム・コープ

マジパンを食べる私たちのところに、ハーバート男爵がアップルサイダーを持って混ざってきて、ちょっとしたおやつの時間になった。


歓談する私たちのそばで、書記の方がついさっき決まったルイザ・リヴィングストンの経歴を新調された職員録に書き込んでいる。この人は事情を知らないらしいけど、このためだけにさっきの茶番があったと思うとなんだか複雑な気分ね。


「これはついつい手が出てしまうね。」


ウォーズィー司祭はマジパンが気に入ったようで、長話をやめて黙々と口に運んでいる。


「リヴィングストン、報酬の明細の話をしたいので、少し二人になれるか。」


あんまり表情を変えないハーバート男爵が、グラスを片手に大広間の奥を指さした。ルイスに給料が発生しているみたいだからルイザは無給だと思っていたけど、こっちでもお給金がもらえるのかしら。


「ええ、いいですよ。」


「ハーバート男爵、基本給以外の部分については王室の会計を監査するサー・リチャード・ギルドフォードの承認が必要なはずですが。」


あんまり目立たない風貌をしたハーバート男爵の部下の方が私たちを遮った。よく見ると口が少し斜めに上がっていて、眉毛も何だかVの字になっているし、全般的にアンバランスな印象の顔をしている。一見若そうだけど年齢がわからない。


「コープ、リヴィングストンの給与は宮廷と教会との折半で、かつ諸経費は教会が持つことでウォーラム大司教と宮内卿シュールズベリー伯爵が合意している。よって詳細についてサー・リチャード・ギルドフォードの承認は必ずしも必要がない。私から説明してしまおうと思う。」


「わかりました。」


コープと呼ばれた部下の人はそのまま引き下がって、マジパンに手を伸ばした。表情は読みづらいけど気に入ってくれたみたい。この人は文脈からいって会計担当なのかな。


ただの小間使いに『諸経費』が発生するのも変だけど、私の出費は細かく監査されずに済むみたいでちょっと安心する。


「ではウォーズィー、それにフィッシャー司教、内密な話があるので、少しの間リヴィングストンを借りるよ。」


「ええ、お待ちしていますよ。」


フィッシャー司教様はさっき私の方を不思議そうに見ていたから少し心配していたけど、今はマジパンを食べて幸せそうにしているから、あんまり私を不審に思っている様子はなさそう。マジパンの力ってすごい。


ハーバート男爵は私を大広間の奥の控え室みたいなところに案内して、ドアを閉めると、少し厳しい目つきで私を見た。


「架空の家族を設定するのも簡単だっただろう。なぜ実在のウッドハウス家を巻き込む必要がある。」


もう記録しちゃったのに今更蒸し返されても困るのだけど。


「お言葉ですがハーバート男爵、架空の一族を設定して押し通す方がよっぽど難しいです。現にエリザベス・グレイ嬢にヨーマスはどんなところか聞かれて大変だったの。」


ヨーマス出身者にはまだ会ってないけど、『ご実家はどの通りにありますか』なんて聞かれたりしないかヒヤヒヤする。


「だが魔女の件は終わったから良いにしても、君の性別詐称がばれたらウッドハウス家も連座しかねない。」


その心配だったのね。


「ルイザ・リヴィングストンは性別を偽っていないし、万が一ルイス・リディントンとの入れ替わりがバレたら、ルイスが『たまたまそっくりだった』ルイザのふりをしていたということにして、その後でルイスがいなくなればいいんです。それに法律によれば、ルイザ本人の不手際のせいで養育したウッドハウス家に害が及ぶことはないはずよ。」


この国の法律は色々問題があるけど、本人の犯罪で一族郎党が罰されることはほとんどない。そういうところはフェアだと思う。例えば私が魔女で火炙りにあったとしても、お父様が弁護士を続けて行くのに法律上の問題はないはず。評判はまた別の話だけど。


内戦後もしばらくは王族の間で謀反が絶えなかったらしいから、一族みんなを巻き込んでいたら多分有名貴族は全滅していると思う。


「なるほど。私としても君をノリッジの誰も知らない家の出身者にすれば、教養や作法について不自然な点が出始めるのは分かった。しかるに、ルイーズ・レミントンの知り合いの家にルイザ・リヴィングストンを設定すると、ルイーズを知る人がルイザに出会うことになってしまう。」


「それは架空の家族を設定したところで避けようがないわ。私を知っている庶民院議員だけで四人います。貴族の知り合いはあまりいないけど、この宮廷は思ったほど貴族ばかりでもないようだし、ノリッジの社交界の知り合いに会うことは避けられないと思うの。すでに私のことを知っているトマス・ニーヴェットに会っているわ。」


ハーバート男爵は困惑したように少し眉をあげて、ややのっぺりした顔が若干立体的になった。


「ニーヴェットはサリー伯爵の婿ではないか。他にも知り合いがいるのか・・・レミントン家は新興と聞いていたが・・・」


「お母様の家はかなり古い地主だし、お父様は弁護士だからノーフォークの主な家はほとんど知っているわ。これは男爵にも言ったんですけど、えっと、男爵ってウィンスロー男爵のことですけど、私の知り合いが宮廷にいることぐらい、お父様の取引先を調べれば分かったはずですよ。なんで身元調査ができていないのかしら。」


男爵同士似たものがあったりするのかしら。ハーバート男爵は淡々と仕事をこなしそうな見た目をしているのだけど。


「こちらも時間がなかったので、おざなりになっていた部分は否定できない。では、知り合いについてどうするつもりか聞いても良いか。」


「トマスは私の頼みに応じて、必要な時はルイスとして接してくれています。それを考えたら、むしろきちんとした設定があった方が私の味方をしてくれる人たちも私を守りやすいはずです。ルイザの設置を関係者で共有しようと思うの。」


トマスが私のことを風呂好きでテニスが得意と宣伝したせいで、水嫌い・体が弱いという男爵が考えたルイスの設定はすっかり説得力がなくなった。ルイザはもっと本来の私に近い設定がいいと思う。


「共有すると言うのは簡単だが・・・」


「それにハーバート男爵、ルイザの設定をついさっき即興で考えないといけなかったのは、私が到着するまでの準備不足のせいでしょう?いきなり難題を出しておいて難癖をつけすぎです。」


そう、仮にも王子様を巻き込む一大プロジェクトなのに、色々と準備が杜撰なのよ!


「さっきの失態については、準備というよりも私とウィンスローの伝達ミスのようだ。リヴィングストンが馴染みやすく、かつもっとしっかりした設定ができているものと思っていた、謝ろう。我々も性急だったが、事態が刻々と動いていたのでな。とにかく時間がなかった。済まない。」


ハーバート男爵は淡々と謝っているけど、一応16歳の庶民に謝れる誠実さをお持ちみたい。まあ黒い方の男爵は子供の名前は考えていたけど私の名前を用意していなかったし、時間があったとしても詳しいことはあんまり考えていなかったんだと思う。


「誠実に答えていただきありがとうございます。それと、別人を気取ってもあんまりいいことがないかもしれませんよ。ジェラルド・フィッツジェラルドが『いつも遠くから見守っている、このことを忘れるな』って、花束を使って警告のメッセージを送ってきたの。サリー伯爵にはルイザがルイーズなのはもうバレてしまっていると思います。」


ハーバート男爵は厳しい顔つきで顔を横に振った。


「いや、そんなはずはない。ルイザが架空の人物だと知っているのは少数の関係者だけな上、そもそもさっきまでルイザという人間は存在しなかったのだ。メッセージはおそらくは新任の侍女や女中全員に宛てられているに違いない。くれぐれも花束を捨てたり、動揺と見られるそぶりを見せないように。


私以外にも花束が行っている、という推察かしら。私はあくまで『ルイーズ・レミントン候補』なわけね。


「わかりました。気をつけます。」


「しかし、ウッドハウス家を巻き込むのは気が引ける・・・なんなら断絶した旧貴族の隠し子にしてもよかった。」


ルイザの設定を空白にしておいた張本人なのに、ハーバート男爵は注文が多い。もう職員録の更新は終わっている頃なのに。


「ねえハーバート男爵、私には従者・侍女引退後の人生があるんです。私がルイーズじゃなくなって、ルイーズが修道院に入っても、ルイーズを知っているみんなとの繋がりは大事にしたいし、親戚がゼロだったら結婚だってできないでしょう。年金をもらってひっそり目立たないように暮らす、なんて私には無理です。」


ハーバート男爵はため息をついて天を仰いだ。


「・・・ウィンスローから聞いていたが、ここまで御しづらいとは・・・よかろう。君に任せる。」


男爵同士でどんな会話をしていたのかしら。肝心な私の設定は詰めていなかったみたいだけど、なんだか失礼な話ばかりしていたみたいね。


とりあえずルイザの設定は私の意向通りで確定したみたい。


諦めたような顔をしたハーバート男爵が扉を開くと、大広間にいた四人はマジパンを食べ尽くしてしまったみたいで、片付けにかかっていた。


「この後、内輪で話し合いがあるからね、ルイザはもう行っていいよ。」


ウォーズィー司祭が全く似合わないウインクをしながらドアの方を指差した。


「わかりました。それでは皆さん、ご機嫌よう。」


ハーバート男爵とフィッシャー司教様、それに書記と会計の方々に礼をしたあと、花束と空のバスケット、それに丸めた二つの証書を持ってホールから出る。


外は少し雲が出てきていた。ジェラルド・フィッツジェラルドが見張っていても怪しまれないように、花束を抱きしめて歩く。前にあったときは黒装束だったし顔がわからないから、本人と会っても気づかないかもしれないけど、魔女を警戒してそんなに近づいてこないと思う。


そのときだった。


「ルイーズ!」


ちょっと懐かしい声が響く。




フィッツジェラルドじゃないけど、ちょっとまずい人に見つかっちゃったみたい。




振り返らないで、そのまま東棟方面に走って逃げる。ファージンゲールはスカートを固定させるから意外と走りやすかった。でもちょっとヒールのある靴にしちゃったから、やっぱり走るのが辛い。


「待ってくれルイーズ!」


待ちませんよ!


でも私の懸命の逃走にも関わらず、相手は私に追いついて、私の両脇に腕を通すとブワっと抱き上げた。


「ははっ、無事だったんだな、私の可愛いルイーズ!」


「ちょっと!降ろしてよ!レディに何をするの!」


足をバタバタさせたけど離してはくれないみたい。体を浮かせられたまま、後ろから抱き締められる。かたい腕。胴に甲冑をつけたままみたいで、抱かれ心地がよくない。


「会いたかった、ルイーズ。」


「分かったから、一旦降ろして!あと歯磨きさせて!」


この場面をフィッツジェラルドに見られたら終わりじゃない。まったく何考えているのよ。


「大丈夫だ。私は鼻が良い方ではないから、ニンニクの匂いなど気づかない。」


「気付いてるじゃない、バカっ!」


ダメよ、この人のペースに巻き込まれたら、また酷い目にあうわ。


「それはそうとルイーズ、少し軽くなっていないか。ちゃんと食べているのか?」


「だからとりあえず降ろしてって言っているでしょう!あとお願いだから歯磨きさせて!!スタンリー卿のバカっ!」


バタバタする私をギュッと抱きしめたまま、私の願いも虚しく、しばらくの間スタンリー卿はご機嫌そうに私を振り回した。


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