CXLVIII 審査官ハーバート男爵
割と派手な朱色の服の上に、少し季節外れなテン革のベストを羽織ったハーバート男爵は、私たちに簡単に挨拶すると優雅に壇上に登った。豪華な服に比べると相変わらず淡白な顔つき。地味な茶髪をされていて、顔が少し縦長で唇がやや厚めな他はあんまり特徴がないのよね。
「待たせてすまなかった。観衆もいない上に金曜日だ、簡略に進めよう。」
従者が手にしていた証書を受け取って説教台に広げると、ハーバート男爵はウォーズィー司祭に目配せをした。
「ウォーズィー、今回は内輪の認証だし、儀式の間にフィッシャー司教やこちらの二人に人事の話をしてあげてはどうだ。」
「そうですな、二人はそれぞれ記録の保管と報酬の管理を担当されていると聞きました、少し教会の人事で話したいことがありますから、こちらへ。」
ウォーズィー司祭が、ハーバート男爵の部下二人と司教様をホールの私から少し離れた場所に連れていく。多分私とハーバート男爵が二人で話せるようにとの配慮だろうけど、記録担当の人はこんな簡単に職務放棄していいのかしら。
司祭様はいつもの調子でノンストップで話しかけているみたいだった。
「しかし宮殿の教会の人事ほど任命がややこしいものはありません。聞く人によって、教会が任命するとか、国王陛下が任命するとか、はたまた互選で決まるとか。実のところを言えばことはさらに複雑なのです・・・」
また内容のないスピーチを始めるウォーズィー司祭。三人を私たちから遠ざけながら、私にちらと目線を向けた。私とハーバート男爵が話しやすいようにしているみたい。
ルイスとして認証をもらったときは名前が呼ばれるのを待ってウィンスロー男爵と一緒に受け取りに行ったけど、ここは自分から取りに行っていいのかな。
ハーバート男爵に近づいて、正式な礼をとる。
「お初にお目にかかります。ルイザ・リヴィングストンです。この度は教会付小間使いの職を拝命したこと、身に余る光栄に思います。この身を捧げる覚悟で職務に励んで参ります。」
茶番だけど、遠くから見れば礼儀にかなっているように見えると思う。
「よろしく頼む、ルイザ・リヴィングストン。ところで、間者騒動で保管されていた記録が持ち出されてしまったので、何点か確認したい点があるが、まず出身地はビショップス・リンで間違っていないか。」
「ええ・・・」
ビショップス・リンは行ったことがないし、ノリッジからけっこう遠い。ルイスの出身地のヨーマスも行ったことはないけど、ノリッジと方角も一緒で母方のお爺様の家と近いからまだよかったのに。
ふと証書を見ると、ルイスの時は埋められていた出身地の部分が空白になっていた。さらに言えば前回はハーバート男爵が手に持った証書を読み終えるまで礼をしていたけど、今回は証書が私に見えるように台の上に広げられている。
今回の騒動で保管してあったはずのルイザの記録がなくなった、というわけね。つまり私のデザインするルイザが実現可能になるはず。
横を見るとフィッシャー司教がなんとなくこちらを向いている気がする。不自然にならないように「訂正」しないと。
「いえ、恐れながら、私の記録が他の新任者の記録と混ざってしまったようです。間者騒動は散々でしたね。私はビショップス・リンではなくて、オームズビーの出身です。幼いうちに両親が疫病で亡くなり、父親の知り合いだったサー・ロバート・クレアに育てられました。」
お爺様の養女として育った設定にしてみる。叔父さんたち関係者と話を合わせるのは難しくないし、私の育った環境と似ているから不自然じゃないと思う。この設定ならノリッジの家族にも会いやすくなるはず。
ハーバート男爵は若干前屈みになって、少し声を落とした。
「なるほど、しかしサー・ロバート・クレアは州知事も勤めた大地主だろう。地方の社交界でも活発で上流階級に知り合いも少なくない。隠れて養女を育てていて、かつ今更発覚するのは不自然ではないかな。第一、魔女疑惑のあったルイーズ・レミントンと近すぎるから、急に同じような年齢の養女が出現すると狙っている者達から疑惑の対象になる。」
なるほど、私自身と関係がありすぎる設定は良くないのね。ちょっと残念だけど。
またホールの奥にいる三人の様子を見ると、まだウォーズィー司祭のスピーチを聞かされているみたいだった。今はこっちに注意を払っているようには見えない。
「じゃあ、こういうのはどうですか。ルイザ・リヴィングストンの両親は盗賊に襲われてなくなり、ノリッジ郊外のセトフォードの修道院で孤児として育てられました。才能を見込んだノリッジの商人ロバート・バーグに見習いとして引き取られて、商売に必要な学問を学んだのです。」
バーグ家は隅から隅まで知っている。ただでさえ商売のトラブルで忙しいところに迷惑をかけてしまうのは申し訳ないけど。
「我々は修道院の記録には手を出せないし、商人の見習いではリヴィングストンの教養の深さを説明しづらい。またバーグ家は庶民院議員を出していただろう。もう少し目立たない設定はないか。あと、声を抑えて欲しい。」
ああ言えばこう言う。私に判断基準を示さないままその場で案を出せと言われても困るでのだけど。
お父様のお客さんで、私と仲がよくて、上流階級や社交界にあまり縁がなくて、養女が教養をつけられそうな人というと・・・
「私ルイザ・リヴィングストンは海難事故の生き残った身元不明の少女で、海運業者のトマス・ウィンダムに救出されたあとフェルブリッグで育てられたました。養父の商売を手伝って大陸に渡ったり、様々な旅客と交流したりする過程で古典語をはじめとした学問を・・・」
「トマス・ウィンダムは船でサフォーク公爵の東の国への亡命を助けた疑惑で謹慎を命じられたことがある。王位を狙ったサフォーク公爵の関係者を宮廷に呼ぶことはできない。」
「そんな・・・」
三つともいい案だったと思うけど。それだけ制約が多いなら、何で事前に決めておいてくれなかったのかしら。そしてハーバート男爵は誰でも知っているのね。
目立たない家、目立たない親・・・。
思いついた!
「そうだ、ロジャーの実家がいいわ!私ルイザ・リヴィングトンは、内戦で爵位を返上させられた元キンバリー伯爵家の庶流に生まれました。嫡流のバートラム・ウッドハウスの家で、嫡男ロジャー・ウッドハウスの遊び相手として育てられたの。旧貴族の家らしく古典語を含めてきちんとした教育を受けたものの、内戦後目立った社交活動をしていないウッドハウス家でひっそりと育ったから、多くの人が私の存在を知りません。さらに庶流だからあまり表に出されなかったのです。顧問弁護士はサー・ニコラス・レミントンだけど、ノーフォーク州の大きな家はみんなそうだから問題ないはずよ。キンバリーならノリッジから10マイルだし、バートラムおじさんは静かだけど話が通じる人だわ。ロジャーは幼なじみなの。あと・・・」
「分かった。もういい、それで行こう。頼むから声を抑えてほしい。」
ハーバート男爵が、声量を抑えたまま勢いのある声で私を制した。若干諦めた感じに見える。
振り向くと私の声に気を取られたのか、フィッシャー司教様がこちらを気にしている。いまだにスピーチを続けているウォーズィー司祭が少し恨めしげに私を見たけど、ルイザの設定はきちんと完成したし、実りのある認証式だったんじゃないかしら。
ハーバート男爵が清書に備えて必要事項を書き入れるのを確認した後、私はレディらしくお辞儀をして証書を受け取った。
「しかし、ウッドハウス家との調整は取れるんだな。」
ハーバート男爵が念を押すように小声で問いかける。あんまりいい表情はしていない。設定があんまり気に入らなかったのかしら。
「ええ、手紙を届けてもらえるなら、あとは任せてください。あと、ウッドハウス家はこの頃財政が苦しいの。私のプロジェクトに当てられた予算の一部を回してもらえると嬉しいです。その件も含めて、できればキンバリーを訪問してもいいですか。」
「両方とも検討する。決定し次第、ウィンスローを通して知らせる。」
この調子で私がウッドハウス家を訪問して、そのタイミングでバートラムおじさんに両親を呼んでもらえれば、ひっそりと家族みんなで再会できるかもしれない。
素晴らしいわ。
「・・・さて、つまるところ結論としては、宮殿の教会の人事ほど任命がややこしいものはありません、これに尽きます。」
私が証書を受け取るのを見て、ウォーズィー司祭はスピーチに終止符を打ったようだった。意味のない長話から解放された三人がぽかんとしている。仕方ないとはいえ、ほんの少し気の毒ね。
「皆さん、せっかくのお祝いの席です、よろしければマジパンなどいかがですか。」
受け取ったばかりの『宮殿教会付小間使い:キンバリーのルイザ・リヴィングストン』の証書を丸めて、持ち運びやすいようにバスケットに据え付けてあった『ルシヨンの賢者:ルーテシア・ラフォンテーヌ』の証書の隣に紐で括ると、私は司祭様一行にマジパンを配りに行った。




