CXLVI 司祭トマス・ウォーズィー
お土産に持たされた、たくさんのマジパンの入ったバスケットを持って、私は王太子妃様の棟から外に出た。相変わらず暑すぎなくていい天気。
建物の角からまず見覚えのある顎が見えて、続いてあまり臙脂色のローブが似合わない、体格のいい男性が現れた。司祭様が私を出迎えにきてくれたみたい。
「裁判官達や王子だけではなく、王太子妃様にも気に入られるとは、さすがだね、ルイザ。」
顔も剛健そうだし、ひょっとしたらヒューさんよりも近衛兵に向いていそうなウォーズィー司祭様が私に笑いかけた。さすがと言われても、なんて返したらいいかわからない。
「猫を拾ったから感謝されただけですよ、司祭様。迎えにきていただいてありがとうございます。」
「猫から手懐けるとは手際がいい。それに、裁判のときよりも可愛らしい格好も良いよ。」
この方はモーリス君と違って宗教職なのに宗教色を感じないのよね。すごくやり手の政治家という感じがする。ちなみに裁判のときの服の方がお気に入りだったから、今の格好を褒められてもあんまり嬉しくない。
「それはどうも。すみません、歯磨きをしてきてもいいかしら。王太子妃様が振る舞ってくれた料理が、その、ガーリックがかなり効いていたから。」
私が口を押さえて恥じらう様子を見て、何やらニヤニヤする司祭様。見た目は違うのに所作が男爵と似ているというか、全く神聖さが感じられない。
「大丈夫だ、認証式にくるのは私を除けば歳のいった宗教関係者ばかりだから、未来の夫に会うこともないし、少しくらい息が臭くても誰も気にしないだろうよ。」
「恋愛とかでもなくてエチケットとしてどうかと思うの。それに職場での第一印象は大事なんだから。」
なんだか男爵とテンポと話し方が似ているせいか、あんまり敬語を使おうと思えない。司祭様の言葉づかいはしっかりしているけど、なんだか庶民的な雰囲気も感じる。
「まあ、誰も君の匂いを嗅がないようにしてやるから、間者の騒ぎで観客がいないうちに儀式を済ませてしまおうか。そのバスケットも抱えたままで構わない。それにしても、間者騒ぎにもかかわらず落ち着いているね。」
「ええ、ゴードンさんたちを信頼しているから。」
私は間者が南の国の放った偽物だって知っているけど、王太子妃様達に類が及びそうだし、ここでは言わない方がいいと思う。ゴードンさん達の手間は増えてしまうけど、誰かに危険が晒されるわけではないし。
プエブラ博士には後で逮捕されてほしいけど、どうせなら私が博士号をもらってからでもいいわよね。
「その豪胆さ、女にしておくのがもったいないよ。男だったら私の助手にして取り立てたところなんだがね。」
思わず反論したくなるのを堪えて、私は上品に微笑んだ。まったく、言い方ってものがあるでしょう。
「お褒めの言葉、ありがとうございます。では認証式に向かいましょうか。」
「ははは、威勢がいいね、ルイザ。それでは参ろうか。」
上機嫌そうな司祭様は、私を先導して南棟に附設してある大広間まで歩いた。
建物の前で、白と紫のお洒落な花束をもった僧侶の方が立っていた。白い僧服を着て、茶色いストラを首にかけている。
「君がミス・ルイザ・リヴィングストンだね。私はロチェスターの司教をしている、ジョン・フィッシャーという者で、王太后様への講釈や王太子様の授業のため宮殿の教会に出入りしているよ。私とウォーズィーの他に、国王陛下の告解を拝聴するウィリアム・アットウォーターがこの教会を仕切るものの、アットウォーター自身は今日は来られないそうだ。」
フィッシャーと名乗った司教様は、少し弱いくらい柔らかい声をしていた。40歳くらいかな。私が挨拶するために遮る間も無く話を続ける。
「私たちの他に大法官のウォーラム大司教と王子尚書のフォックス司教も時折出入りするが、見かけるのは稀だと思うよ。それにしても、なるほど、確かに教会の地味な仕事にはもったいない可愛らしさであるけれども、ここは厳かな場だから、是非とも真剣に務めを果たしてほしい。」
フェルトの帽子でよくわからないけど、お父様よりも髪の毛は寂しいみたいで、少し痩けた頬と困ったような形をした眉毛が特徴的な方だった。
「ルイザ・リヴィングストンです。不束者ですが、どうぞよろしくお願いいたします。」
ルイザの設定を知らされていないから、これ以上名乗れない。レディらしく礼をとる。
「なるほど。本来はこの教会の世話や事務は少年がやるものと決まっていたのだが、君の溢れ出る賢さと洗練された礼節は、確かに特例に値するかもしれない。」
名乗っただけなのに感心されたみたいだった。特別賢そうなことはしていないけど。
それにしても、私が特例って初耳ですけど。男爵は私を目立たせたくないのか目立たせないのか、どっちなのよ。
「恐れ入ります。それと、素敵な花束をどうもありがとうございます。」
動揺を表情に出さないようにしながら、私のプロフィールに話が向かわないようにする。
「この花束は私の知り合いから渡されたものでね、詳しくは聞けなかったけれども、ミス・リヴィングストンの認証祝いだと思うよ。誰からかわかるかね。」
誰かしら。センスのいい花束だと思うけど。
青紫のアイリスに、白と紫のパンジー、それに薄い青のブルーベルが、名前のわからない白い花をバックにして並べられている。ほとんどが今の季節の花だし、統一感とバリエーションもあって素敵だと思う。
ブルーベルは前世で見聞きしたたことがないけど、この国ではよく見かける花で、ひょっとしたらこっちの世界にしかない花かもしれない。ヒヤシンスみたいだけど、鈴みたいな形が可愛いと思う。
「ありがとうございます。カードか何かがあれば分かるのですけど。」
男爵かしら。お父様やレミントン家の関係者は祝うよりも前に無事を確認する手紙を送ってくるだろうし、そもそも私がいくつも偽名を掛け持ちするなんて知らされていないかもしれない。私がルイザになると知っている人は、あとはモーリス君とゴードンさんにヒューさん、それにスザンナくらいだと思うけど、あんまり花を送ってくるようなキザなことはしないと思う。もしそうなら嬉しいけど。
「カードはないようだね。花言葉から推察してみたらどうかな。」
ウォーズィー司祭様は面白そうに花をいじっている。男爵の好きそうな謎解きゲームになるのかしら。それこそ男爵が容疑者筆頭だけど。
「そうね、ええと、アイリスは愛のメッセージとか、伝令って意味があったわね。パンジーは『私のことを考えてほしい』だわ。男爵はお礼でもほしいのかしら。ブルーベルは・・・」
「ブルーベルの花言葉は『いつもどんな時も』だよ、ミス・リヴィングストン。」
フィッシャー司教様が面白そうに続ける。パズルみたいね。
「そう、となると『いつもどんなときも私を考えてほしいと伝えたい』って感じかしら。男爵にしてはやけに情熱的ね。モーリス君かな。」
地味な白い花に注意を向けると、二種類使われているみたいだった。そのうち一つは葉っぱの形に見覚えがある。
「これはクローバーの花だったのね!四葉のクローバーを探したことはあるけど、花は気にしたことなかったかも。そういえばクローバーの花言葉も『私を思ってほしい』だったわ。でも『復讐』って縁起の悪い意味もあったわね。」
なんだか執着心の強そうな送り手ね。モーリス君が何か拗らせちゃったのかしら。ちょっと不安になる。
「このもう一つの白い花はなんですか。」
見覚えのない白い花が混ざっていた。小さな菊みたいな優しい色合いで、あまり目立たない、
「さあ、私も見たことがないな。」
司祭様が肩を竦める。
「その花はエリゲロンというそうだよ。花言葉は『遠くから見守る』」
フィッシャー司教様が答えた。
遠くから?男爵もモーリス君も毎日のようにそばにいるけど。
遠くから見守る・・・私のことを考えてほしい・・・復讐・・・いつもどんなときも・・・メッセージ・・・?
まさか・・・
「司教様、ひょっとして、まだ会ったことはないのだけど、送り手はサリー伯爵ではないかしら。」
伯爵の名前を聞いて、司祭様の顔つきが険しくなった。司教様はぽかんとしている。
「サリー伯爵をご存知なのかな、ミス・リヴィングストン。確かに身分に囚われずに優秀な人材を抜擢する方ではあるけど、今回は違うね。」
「では誰なんですか?教えて司教様!」
ノリッジと比べて、この宮殿はなぜか情報を出すのに勿体ぶる人が多いのよね。交渉する商人でもないのに。
「差し出し手はジェラルド・フィッツジェラルドだよ。どこで知り合いになったかわからないが、その可愛らしい姿で夢中にさせたのかな。」
フィッシャー司教様がニコニコと微笑む。
ジェラルド・フィッツジェラルド・・・確かエリーの思い人で、アンソニーの恋人で、私を逮捕しようとした黒装束の男。
遠くから見守る・・・復讐・・・メッセージ
「まずいことになったわ。」
「顔色が悪いね、どうしたのかい。ミス・リヴィングストン。」
司教様が心配そうにしているけど、ここは心配されるとまずいと思う。
「いえ、大丈夫です。『いつでも見守っているから、私のことを思ってほしいと伝えたい』だなんて、こんな情熱的な告白を聞いてびっくりしてしまっただけです。フィッツジェラルド様とは一度しかお話したこともないのに、私にはもったいないですわ。」
司教様の前では笑顔を取り繕う。この人は事情を知らなさそうなのよね。
ウォーズィー司祭様は男爵の親友だったはず。フィッツジェラルドが私を捕縛しようとした件は知っているのかしら。S O Sのメッセージを目で送る。
いつでも遠くから見守っている・・・アンソニーの復讐・・・私のことを考えろ・・・メッセージ・・・
「これじゃ監視しているっていう警告じゃない・・・」
「どうしたのかね、ミス・リヴィングストン?」
もともと困ったようなお顔をしたフィッシャー司教様が、さらに困ったような表情をした。
「いえ、どうぞお気になさらず。以前お会いしたときフィッツジェラルド様は私にはぶっきらぼうだったものですから、びっくりしただけです。ご本人には私から直接お話ししたいので、よろしければ、私がどう反応したか、本人にはぼかして伝えていただけますか。決して狼狽えていたとおっしゃることのないようにお願いします。」
あまり敵にヒントを与えたくない。ルイザの身元がバレている以上、当分はルイスとして過ごすほかないかも。
でも、監視しているなら私に知られない方が好都合だったはず。私が余計なことをしでかさないように警告してきたのかもしれない。何を恐れているのかしら。
早く男爵に知らせないと。それにしても、初日からルイザが偽物って発覚しているなんて、男爵にはプライバシーの管理は任せられないわね。
「承ったよ、ミス・リヴィングストン、それではハーバート男爵が陛下に召集される前に、認証式に臨もうか。」
呑気そうに笑顔を見せる司教様をよそに、私は冷や汗をかいてしまっていて、考え事をしている司祭様をチラチラ見ながら、大広間の門を通り抜けた。




