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CXLI バリャドリッド大学博士論文審査員ロドリゴ・ゴンザレス・デ・プエブラ博士

サフランでパワーアップしたパエリアが部屋まで運ばれてきた。


「あなや!見目麗し!」


薄く黄金色に輝くパエリアを見てみんながはしゃいでいる。どのドレスも明るい色でカラフルだし、この部屋は採光がいいのもあって、王子の宴会よりも華やかな光景。ちなみに前世のパエリアはもっと濃い黄色だった気がするけど、あれはターメリックか何か使っていたのかしら。


「味よし!」


味見したドナ・エルヴィラも喜んでくれている。この人は見た目も食べ方も上品。味付けのバリエーションが乏しい現世だと、香辛料を入れるかどうかで大分料理の感想が違ってくるのよね。


「ルーテシアや、あっぱれなり!」


王太子妃様も褒めてくれた。童顔だからか、嬉しそうに食べるところがなんだか可愛い。恐る恐る口にしたプエブラ博士も驚いた顔をしている。


「ルーテシアや、蛸も食べたまへ。」


侍女の方も上機嫌にパエリアを頬張りながらタコの皿を勧めてくる。食べたいのは山々なんだけど・・・


「この後式典に出席するのですが、ガーリックはちょっと・・・」


そう、このタコ料理は揚げニンニクとオリーブオイルにまみれていて、ちょっと勇気がいる。まだ中止になっていなかったら、このあと認証式があるし、男爵や司教様に口臭をからかわれたらいたたまれないわ。


「憚ることなかれ。あざらかなれば。」


王太子妃様までニコニコして勧めてくる。遠慮しているのではないのだけど。


「ええと、あら、遠くでバグパイプの音がしますね。」


頑張って話を逸らす。部屋でもさっきから楽団が音楽を奏でているけど、南西の庭の方から金管っぽい独特の音が聞こえてきていた。


「キンカーディンめ、これぞ負け犬の遠吠えかな。たださへも狗の件、思ひ疑はれしを、これでしみすのみ。ははは。」


あんまりテーブルマナーのよくないプエブラ博士がガハハと笑う。質素な服装といい、この人は貴族出身ではなさそうね。


バグパイプを吹いただけで間者の疑いが悪化するっていうと、何か信号を出しているとでも思われるのかしら。


ちょっと興味を持ってよくバグパイプの音色を聴いたら、なんだか前世で聴いたことのある曲だった。


「これは『蛍の光』じゃないかしら。」


「あれはいかに!ルーテシアや、北の国の音楽にも調へ知るか?」


侍女の方が驚いたかおで叫ぶ。王太子妃様達も興味津々という感じで私を見ている。


「ええ、歌詞もうろ覚えですけど覚えています。ええと、知り合いの商人が歌っていたので。」


商人が歌うってシチュエーション想像し難いけど、バグパイプのできない私が北の国の音楽を習うのも不自然だからそういうことにしておく。


「歌詞ををしへたまへ。」


王太子妃様が畳みかけてくるけど、前世の卒業式の歌なんて歌詞がうろ覚えなのよね。歌うのも恥ずかしいから朗読調で続ける。


「螢の光、窓の雪、

書読む月日、重ねつつ、

いつしか年も、すぎの戸を、

開けてぞ今朝は、別れ行く。」


私が言い終えると、なぜか場がシーンとなった。


かたし。暗号か。『すぎの戸』とな、忍び入る道標にやあらむ。」


プエブラ博士が歌詞を暗号として解釈し始める。


「『窓の雪』とは、冬に計らふつもりか。」


今度はドナ・エルヴィラ。文化的交流みたいな感じで和むかと思ったら、暗号解読タイムになってしまって少し気まずい。


「旅立ちの歌だから、誰かとの別れの曲だったのかもしれないわ。とりあえず、パエリアが冷める前に食べてしまいましょう!もう少し取り分けて。」


近くにいたメイドに頼んでパエリアを分けてもらう。サフランの香りと、ちょっとだけ焦がしたご飯の香ばしさが素敵。


「トマトを入れてもいいわね。トマトなんてこっちで見たことないけど。」


「トマトとな?」


私の独り言をドナ・エルヴィラにキャッチされてしまった。けれど厄介な博士がさっきの歌詞を書き留めに席を立ったから、ここは切り抜けられそう。


「ええ、非常に珍しい、真っ赤な実があるのです。風味が豊かなのですが、滅多に手に入りません。そっか、ええと、赤き草片あり、めづらし、旨し。」


ドナ・エルヴィラだけこの国の口語ができないのよね。思わず片言になっちゃったけど。


「赤き実かは、プエブラ博士のはぐくむ悪魔の実に似たるもや。料理にはつかはじを。プエブラ博士、悪魔の実をルーテシアに見せてみむ。」


なぜか困ったような思案顔のドナ・エルヴィラが、部屋の角で何か書き留めていた博士に声をかける。


悪魔の実?また恐ろしいものを育てているのね、博士は。


「よろし、しばし待たれよ。」


博士は従者の部屋に一旦引き下がって、すぐに悪魔の実の苗が入った大きな瓶のようなものを持ってきた。


「悪魔の実って、結局トマトのこと!?」


前世で見た普通のトマトより一回り小さいけど、スーパーで売っているサイズのトマトがなっている。瓶が豪華だから、食用じゃなくて観賞用みたい。


「あはや!悪魔の実を知るか?」


博士が驚いて瓶を落としそうになって、場が騒然となった。悪魔の実は極秘事項なのかしら。


でもここ数日で流石に私も学んだ。ここでトマトを食べて見せたら、きっとここでも魔女扱いされる。


「この悪魔の実はヒッポクラテスの医学書にあった伝説の赤い実に似ているのですが、これとよく似たものを運よく仕入れた商人が試しに食べているのを見かけたことがあります。美味しいと言っていましたが、私は食べたことがありません。」


困ったら謎の商人か医者を出す、というポリシーで行こうと思う。


「うべなうべな。こころみにて、囚人に取りみさせむ。」


厳しい顔の博士が何を言ったのかよくわからなかったけど、また恐ろしいことを考えているみたい。


トマトはよく熟れているし、テーブルにでているモッツァレラチーズと一緒に食べても美味しいはず。毒キノコはあるけど毒トマトは聞いたことないし。


「囚人を使ったりしないで、博士、私と半分ずつ食べましょう。観賞するにも、このトマトの実はもうじきだめになってしまうわ。」


「こは!?」


テーブルの周りがざわざわし始める。みんな悪魔の実を恐れているみたい。


でも、プエブラ博士も食べられれば私が魔女にならずに済むと思う。博士は訝しげにしているけど。


「プエブラ博士、とりつづしろひたまへ!」


「姫様!?」


見るからにドキドキしている王太子妃様が、博士に何を命令したのかわからなかったけど、どうやら食べろというご指令みたい。メイドがトマトにナイフを入れて、パックリ割る。


「見目悪し!あはや!悪魔の実なり!」


ドナ・エルヴィラは少し気分が悪そうにしている。イチジクとかの方が中身の見た目が悪いと思うけど。


「悪魔の実を食べるなど、ルーテシア、気は確かかや?」


侍女の方が手を握り締めて心配する中、私と博士の前に一口大に切られたトマトが並べられた。


「モッツァレラを。」


私がチーズを頼むと、メイドが大袈裟に厳粛な身振りでモッツァレラチーズを切り分けた。緊張した面持ちで、生贄の儀式みたい。


みんながごくんと息を飲み込む。視線が私と博士に集まっている。


「さあ、博士、一二の三で一緒に食べますよ。せーの!」


私と同時に、すっかり青くなっていた博士も観念したようにトマトを口に入れた。


「あああ!」


隣で叫び声を上げて、なぜかドナ・エルヴィラが気を失った。


人間が悪魔の実を食べたのがショックだったのかしら。周りを見ると、気を失っているか立ちくらみしている召使いが二、三人いる。


「神よ!ルーテシアとプエブラ博士を救いたまへ」


侍女の方が目を瞑ってなんだか祈りを捧げている。博士を実験台にした王太子妃様も思わず目を覆っている。






たかがトマトじゃない。






しかも思ったより味が薄くて拍子抜けしちゃった。


「旨し!」


隣でプエブラ博士が目を丸くしている。そこまで美味しいとは思わないけど、期待値が低かったからかしら。


気を失ったドナ・エルヴィラを運ぶ人たちで部屋はてんやわんやだったけど、王太子妃様と侍女の方は手を合わせて興奮している。


「まことにや?新大陸の悪魔の実を克服せしか!?」


克服って、別に食べなきゃいけないものでもないでしょうに。とりあえずトマトは新大陸から届いたみたい。


「プエブラ博士、万歳!ルーテシア・ラフォンテーヌ嬢、万歳!」


なんだか周りで万歳三唱が始まった。


博士がこちらを向いて私の手をとった。片眼鏡の奥に感動した目が見える。あと、手が油でねっとりしている。


「ルーテシア・ラフォンテーヌ、其方の学識の深さに幅、目を驚かすばかりなり。この発見、論文にしたためよ。さすればこのロドリゴ・ゴンザレス・デ・プエブラ、バリャドリッド大学審査員の名におひて、博士号を授与せむ。」


博士号ってそんなに適当にあげていいの?現世だと女性で博士なんて聞いたこともないけど。そもそも私はトマトを食べただけだけど。


あと、できれば本名のルイーズ・レミントン名義で欲しいのだけど、交渉できるかしら。


あたふたしていると、さっきの長毛種の子猫がまた膝に乗ってきた。


「この猫は枢機卿とプエブラ博士のほかに懐かず。まさに賢者の猫なり。」


侍女の方が興奮している。ドナ・エルヴィラがいた席に移動してきた侍女の方が試しに自分の膝に猫を乗せると、侍女の方の大きな胸を窮屈そうに押し返して、私のところに帰ってきた。伸び伸びとリラックスしている。


なんだか本物のルーテシアへの好感度が少し下がったわ。


膝の上で猫をやりとりしていると、斜め向かいの席の王太子妃様が立ち上がった。みんなが静まる。


「ルーテシアや、其方の進取の気風、我を思ひ励ますなり。また、たいを探らること、今まで怖ぢ惑ひしも、ルーテシアの手つきのこころよきは、次の便りあらば人慣れてみむと思ひ立つなり。礼として、其方にルシヨンの賢者の称号を与ふ。」


「王太子妃様。ご立派で・・・」


侍女の方も博士も涙ぐんでいる。


ちょっと待って、ルシヨンって王太子妃様が勝手に出身地に設定しただけで、どこにあるかも知らないのだけど。


とりあえず今の一文は、王太子妃様はとりあえず人に触れるのが怖かった、という解釈でいいのかしら。


「ルシヨンの賢者!ルシヨンの賢者!」


なんかみんながリピートし始めたけど、あんまりいい気分じゃない。


「召しませ。この皿は姫様の心に付きしものなり。」


侍女の方が例のガーリック盛りだくさんのタコの皿を差し出してきた。みんな忘れたと思っていたのに。


『ルシヨンの賢者』の証書にサインしながら、微笑ましく私を見守る王太子妃様のプレッシャーに押される形で、結局私はタコを食べるはめになった。


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