CXXXIII 大使ロドリゴ・ゴンザレス・デ・プエブラ博士
衛兵がうろついていた広間を後にすると、次の部屋には異国の修道士風の格好をした人たちがたむろしていた。多分だけど従者の控え室だと思う。何も家具がなかった衛兵の部屋に比べると、椅子やテーブルが部屋の隅に置かれている。窓が小さくて壁が暗い色の木目だから、昼から少し薄暗く見える。
奥の扉から、薄いグレーの丈の長い服を着た、少し髪の毛の寂しいおじさんが歩いてきた。片眼鏡をしているけど、背もあまり高くないせいかあまり威厳がない。さっきの騎士の方と違って、いかにも此の国の人でない感じがする。
「姫様、其の者は?」
おじさんは少し間の抜けた声をしている。
「此の者、教会の小間使ひと聞く。子猫をば見つきたまふるに、北の狗に怖ぢ恐らるるところ、愛ほしげなりて、此処に取り率る。」
姫様の説明だと私が北の間者を怖がっていたのを姫様達が哀れんだ感じになっているけど、ここは黙って任せておいた方が良さそう。堂々としていたつもりだったから、自分ではちょっと悔しいけど。
「心得り。」
私が偶然あった身分も怪しい人だっていうのに、おじさんも深追いしなかった。南の国の人たちはあんまり人を怪しまないのかもしれない。
「お嬢さん、怖かったね、もう心配することはないよ。」
おじさんは頭を撫でてくる。あんまりこういう恩着せがましい態度は好きじゃないんだけど、お邪魔している身なので黙って撫でられておこうと思う。
「ありがとう・・・ございます。」
「プエブラ博士、北の狗の実、存じたまふか?」
侍女の方が少し忙しなさそうにおじさんに聞く。おじさん博士だったんだ。片眼鏡はインテリアピールかしら。
「案ずるに及ばず、北の狗のふりをせしは、われわれが端ものならば。」
「あなや!」
姫様達が驚いているけど、今おじさん、北の国の間者の正体が「われわれ」の端者、つまり手下だって言ったよね?
二重スパイ?
私も混乱しているけど、姫様と侍女の方が騒いだのを手で制して、博士が喋り出した。
「此のあひだ、宴席にてヘンリー王子、千万男系が絶へることあらば、ジェームズ王子の世取りとするを示す。ジェームズ王の東の国と睦びなるは、ジェームズ王子が譜第、我が国が孤立をば招きかねぬ。しひては、此の国の公達、北の国への戒め、思ひ出づべし。」
博士は固い話を淡々と続けるけど、単語を拾っていくと、この前私がウォッカを飲みすぎて倒れる前にヘンリー王子が言っていた、ジェームズ王子の継承権が尾を引いているみたい。東の国と組んでいる北の国を牽制するために、わざと「北の国の間者」に扮した人を放ったということかしら。
色々ブラックなネガティブキャンペーンだけど、私が聞いていていいのかしら。
「然るに、かやうに荒くまきこと、いとあやしきさまを。あないみじや。」
姫様は一味ではないみたいで嘆いているけど、態度からはあんまり驚いているようにも見えない。
「プエブラ博士、此の者、いにしゑのことば、わきまへ知るなり。」
私を指差して、侍女の方がおずおずと間に入る。
「こは!!!」
博士はなんだかわからない叫び声をあげた。目が大きく開いている。
「姫様、おぼし立てたまはれ!」
姫様にウインクみたいなアイコンタクトを取ると博士は叫んで、私の方に近づいてくる。目が据わっていて怖い。
「此の者、物騒なれば、消つべし。」
片眼鏡の奥の目が私を睨んでいる。少し薄暗い部屋をバックに、私は気圧されるばかりだった。
え、私殺されるの?勝手に話した博士が責任をとるべきじゃないの?
「博士に打ち任す。」
姫様が顔を背けながら呟いて、博士に対応を一任した。つまり急に私を見捨てた。
嘘でしょう!?ここまで連れてきておいて?
南の国の王女として、政治になったら冷血になるのかしら。それとも、私はさっきから簡単に入って来れたけど、まさか全部トラップだったの?
対応を一任された博士が手を前に差し出して、ホラーゲームにでも出てきそうな様子で私に近づいてくる。私もずるずると後ろに下がるけど、味方もいないし、絶体絶命。
「ルーテシア・・・」
かすれ声で博士が私の仮の名前を呼ぶ。さっきの隣の部屋での会話、聞いてないはずだけど、なぜ分かるのかしら。
ひょっとしてこの人、本物の魔法使いなの?
指が前に出されているけど、これから本物の指魔法をかけられるの?
「この子猫に免じて許して!」
子猫に魔法を打ち返す力とか宿ってないかしら。
助けて男爵!
博士の指が私の方に伸びてくる。
子猫で顔を隠しながら、私は思わず目を瞑った。




