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CXXIII 国王付筆頭侍従サー・アンドリュー・ウィンザー

長身を折り曲げるようにして馬車から降りた公爵は、従者から渡された帽子を優雅に被り直して、ゆっくりとこちらに歩いてきた。


「ようこそおいでくださいました、義兄上。」


私が臣下の礼を取って跪くと、頭の上から優しい笑い声が聞こえてきた。


「私たちはもはや家族だろう、そう畏まらないでくれロバート。いや、フィッツウォルター男爵と呼ぶべきか。」


「その節はありがとうございました。義兄上自らラドクリフ家の復権にご尽力いただいて。家の者共々お礼を申し上げたく思っております。」


父が投獄に失敗して殺されて以降、爵位が戻るなど夢のまた夢だった。多方面で手を尽くしてくれた公爵への恩義は計り知れない。


「なに、爵位があるべきところに戻っただけだ。私が手伝いをできたのはむしろ光栄だったよ。どうしても礼をしたいなら、手柄を立ててサセックス伯爵位を手に戻してからで良い。それに私に気を使うよりもベスを可愛がってくれ。フィッツウォルター男爵位の復活を働きかけた私が新男爵から礼を受け取ると、ダドリーあたりが汚職を疑い始めるからな。」


ダドリー議長の名前を出しながら、公爵は苦笑した。


「心得ました、妻にも伝えておきます。義兄上のところも反汚職運動で大変だとお察しします。」


「ああ、別に汚職はしていなくても、法律が厳しくなったせいで会計や登記にいちいち手間がかかってね。私の領地と何の縁もない王都の弁護士や会計士が、大きな顔をして私の城を闊歩しているよ。」


おかしそうに肩を竦めているが、領地が全国に散らばっている公爵は配下の者の監督をするだけでも大変だろう。うちのように問題のあった貴族の領地を一時的に預かってくれてもいるから、手続きがらみでは苦労をしているはずだ。


「私も領地を回復する手続きで、弁護士を雇おうとしているのですが、なにぶん経験がないので大変です。話は長くなりますが、初夏とはいえ外も寒いですから、宮殿の中においでになっては。王太子の従者には来客を応接する部屋もありますので。」


「そうだな、申し出に甘えるとしよう。弁護士は何人か紹介できると思うが、弁護士といえば、ルイーズ・レミントンの話を聞いているか?」


宮殿に歩きながら、公爵は思いついたように声をあげた。


「いえ、全く存じあげません。」


レミントンとは聞かない名前だ。


「そうか、ノリッジでは話題になったらしいが、やはり王都や宮殿ではほとんど知る人がないな。星室庁裁判も気づけば終わっていたのだし。」


「星室庁裁判!?なぜ私の耳に入らなかったのでしょう?」


淡々としている公爵を前にして、私は流石に動揺を隠せなかった。宮殿の入り口にある広間は人がいなかったが、私の声を聞いた人はいたかも知れない。


「いや、知らなくとも無理はない。ウォーラムと国王陛下の一存で裁判が決まり、私やサリー伯爵が反対する間も無く無罪判決が出されたからな。」


ウォーラム大司教は本来強引なやり方を好まない人と聞いているが、国王陛下の意向が強かったのだろうか。


「一回の公判で終わったのですか?」


「星室庁裁判は細かく制度化されていないからな。元々は旧白軍派の貴族をいたぶって法外な罰金を課することに使われていたが、こうしてさりげなく無罪判決を出したいときにも使えるわけだ。やれやれ、拙速だという点では、私とダドリーの意見が一致する珍しい機会だったよ。」


歩きながら公爵は感慨深そうに頷いていた。


「つまり、国王陛下が望まれる結論ありきの裁判だったということですか。」


「まあ、そうだろう。サー・アンドリューに調べてもらったが、国王陛下の強い意向が背後にあるらしい。それを知った後、サリーやダドリーも粘らなかった。」


サー・アンドリュー・ウィンザーは公爵の元副官で、国王陛下の筆頭侍従をしている。うちや公爵のような旧白軍派は国王陛下に近づく機会が限られるが、彼の情報なら間違いないだろう。


「しかし、東棟がやけに騒がしいな。」


公爵は少し気がそれたようだった。なにやら上品なクラヴィコードの曲と野蛮な騒ぎ声が同居したおかしな音が、ヘンリー王子の居住区から聞こえてくる。


鍵盤楽器ができるような生まれのいい従者はいなかったはずだが、王子自身が弾いているか、珍しくモーリスがパーティーに参加しているのだろうか。いずれにせよ教養のない人間は音楽さえ静かに聴けないのだから困る。野次がなければ微笑ましい曲で、弾き手の音楽への愛が伝わってくるのだが。


「どうやらヘンリー王子とその曲芸師集団が狩から戻ってきましてね。いつものどんちゃん騒ぎが復活したようです。しかし、枢密院にも諮らないとは、国王陛下もそんな前例のないことを・・・」


あの男色王子に話の腰を折られるなどとんでもない。応接室に案内しながら、私は会話を元に戻した。


「前例がないもなにも、魔女裁判自体が半世紀ぶりだからな。」


「魔女?魔女がいたのですか?」


立ち止まって驚く私の反応を楽しむかのように、公爵は微笑んだ。


「裁判では本物でないということになった。今や本場だった南の国でも魔女裁判は下火だからな。被告人を中傷から守るために王都で非公開の裁判にする、という建前も不自然ではない。だが私は本物だと思っている。」


「どのような魔女なのですか。」


公爵はいわゆる伝説や神話を信じるような方ではないと思っていたが、この流れでは何か確証に近いものがあるのだろう。


「その魔女は直に肌を触れ合わせることによって、男を魅了するらしい。要は伝説のサキュバスのようなものだと思うが、この魔女は寝た相手を言いなりにするという点で厄介だ。ダービー伯爵の孫が引っかかって、その奥方が教会に訴えて裁判が始まったのだが、一見便利なその能力が陛下の目に止まったのだろう。」


言いなりにされるのか。なるほど恐ろしい魔法だが、使いようによっては確かに便利だろう。


「ダービー伯爵家というとトマス・スタンリーですか。女性に興味がないことで有名でしたね。」


トマス・スタンリー、勇敢な戦士ではあったが、レディーファーストを理解しない無粋な田舎男だったのを覚えている。


「ああ、誰でも堕ちるという意味では、これ以上ない宣伝だったと言える。奥方のプライドを思うと気の毒でならないがな。ロバートも魔女の手管に惑わされてベスを悲しませぬようにな。」


「義兄上、冗談でもそんなことをおっしゃらないでください。私は妻を、妹君を愛しています。他の女になびくことはありません。」


公爵家出身の美人で気ぐらいが高いかと思っていたが、意外にも気さくなベスとはうまくいっている。一緒に旅に出た後2ヶ月くらいしてから第一子を身篭ったような気配も感じ初めているが、期待しすぎないように楽しみにしているところだ。


「その心配はしていないよ。ベスからも甘い手紙が頻繁に届いて困っている位だ。ただ旧白軍派でも特に優秀なロバートは、国王が魔女を使って『懐柔』したいリストに載っているかもしれぬ。魔女を警戒する必要はあるだろう。」


魔女と床を共にするなど想像もできないが、スタンリーを落とすとなると誘惑にも長けているのだろう。魔避けにベスの髪を一房もらってこようか。


遠くで鳴り止んだクラヴィコードを聞いて、名前も顔も知らない演奏者に拍手を添えながら、私は見知らぬ魔女ヘの対応を考えていた。


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