CXXII 謎の女ルイーズ・アイクメン
警告1: この章は、直接的な描写は一切無いものの、間接的に性的な表現またはやや示唆的な表現を含みます。ご留意ください。苦手な方は、この章の中間部分を飛ばして最後の5行ほどだけ読んでいただければと思います。なおこの小説は「小説家になろう」のガイドラインを遵守しています。
警告2: チャールズ・ブランドン視点です。
敵の失敗を笑うのは二流の騎士がすることだと、叔父上が言っていた。しかし今ほど愉快な気分になったことはない。
「大丈夫かリディントン?」
ハル王子が心配そうに見つめる先には、すっかり出来上がったリディントンが痴態を晒していた。
「ふふふっ。すぐそこにおうじがいるう!ほんものう!ほんとでぃずにいえいがみたあい!」
声が必要以上に大きいが、もはや聞き取る気にもならない。後でからかうためにいくつか単語を拾っておこうか。
赤ら顔のリディントンは、いつも生意気そうにキリリとしている大きな目をフニャッとさせていて、女の胸の妄想をしている12歳の少年のようなだらしない顔をしていた。隙だらけで、今ならノリスでさえリディントンを倒せそうだ。
「デズニエイガー?なんのことだろうか?」
王子、酔っ払いを理解しようとするのは時間の無駄だ。
「おうじ、はだきれいい。もうせかいいさんにしたあい。おうじのつやつや、わたしのおかげでもあるのよう、えへっ。」
「おい!いい加減にしろリディントン!」
思わず立ち上がって向かいの席のリディントンに怒鳴りつけた。
脈絡もなく何を言い出すのだ、この男は。
午後よりも王子の肌艶がいいのは気づいていた。しかし大声でそんなことを言ったら周りが気にし始めるだろう。理由がバレたら王子の政治生命はここで終わりだ。特に陛下付のスティーブンやウィンスロー、王太子付きのセントジョンには絶対に知られるわけにはいかない。
全く、この男の甲高い声は高い天井にやたらと響くのだ。
「リディントンは酔っているのだ、大目に見てやれ、チャールズ。」
いつになく危機感のないハル王子は、必死の警告を聞かずにリディントンの方を向き直った。
「ああ、確かにリディントンのおかげでもあるな。気持ちがよかった上に体にもいいことがあるとは」
「おい!黙るんだ、ハル王子!」
周りにウィンスローや他の人間がいるときは言葉に気をつけていたが、そういう場合ではない。周りを恐る恐る見回すと、幸いノリスは食べ物に夢中だし、ゲイジはいつも通り黙々と食べているし、他の従者はこっちの話に入ってきそうにない。
さっきリディントンと一悶着あったからか、またくだらない喧嘩をしていると思われているのだろう。心外だが今は好都合だ。
「さっきからどうしたのだ、チャールズ。」
王子は不思議そうにこっちを見るが、それはこっちのセリフだ。
一体どうしてしまったのだ、ハル王子。もっと良識のある、頭の切れる男だったはずだ。思わず首を振る。
リディントンの手が王子の頬に伸びる。
「おうじすべすべ!かっこよさにみがきがかかってるう!」
ご満悦でハル王子の肌を触るリディントン。牢屋に送られても文句は言えないはずだが、王子は嫌がるそぶりを見せない。
「ああ、聖女様・・・」
目前の友人の痴態にようやく気が付いたのか、隣にいるセントジョンが心配そうな顔で神かなんかに祈り始めた。こういうときは聖女に祈るものなんだろうか。
「ははっ、酔ったリディントンは素直だな、好感が持てる。」
周りの心配をよそに、にこやかに喜ぶハル王子。
いや、いくら恥ずかしい世辞のオンパレードがあったとはいえ、この壊れた無礼な男が好みとはハル王子も大丈夫なのか。ひょっとして送り込まれたリディントンの遺伝子が脳まで届いてしまったのではないか。
「素直か、そういえばさっきは叙勲を固辞していたな。今なら欲しいか?」
ハル王子がリディントンに優しく微笑みかける。さっきってまさか・・・
「さっきい?」
「ああ、私から水をかき出してくれたときの・・・」
「おおおいいいいい!!!」
思わず叫ぶ。
待て、王子、本当に、それで、叙勲するつもりだったのか?そういうものなのか?どうせなら王子の右手も叙勲した方がいいんじゃないのか。
ああ、もし美人の女王がこの国を治めていたら、私も14歳でサー・チャールズ、17歳でロード・ブランドンになり、今の歳までにはとっくに公爵になっていただろうに。
「チャールズ?」
不審そうな目でハル王子が見てくるが、自分がおかしいと言う気は起きないのだろうか。もはや何を信じればいいのか。天を仰ぐ。
シャンデリラが眩しい。
おお、神よ!
「えええ?じょくん?ちょっとはずかしい・・・」
ちょっとどころじゃないが、酔ったリディントンでさえ、今のハル王子より若干まともな感性をしている。
「リディントン、では勲章以外に何か欲しいものはないのか。」
王子は社交のための予算を受け取っているが、女性のいる社交パーティーに一切参加しないために余っていて、こういう美少年へのギフトに使ってしまうのだ。使わなければ国王陛下の予算に戻ってしまうから、私としてはどちらでもいいのだが。
勲章は理由を明示せねばならないが、まあ高価な布かワインなら着任祝いと思われてバレないだろう。
みんなが疑問を抱き始める前にリディントンを消さねばなるまい。
「ううん、いまのくらしでじゅうぶん、ほしいものないの。でもありがとう!」
ハル王子にニッコリ笑いかけるリディントン。目が大きくて口が小さいせいか、御馳走を前にしたノリスのようなニタッとしたいやらしさなく、酔っている割にはみょうに品のいい笑いかただ。
なっ、ちょっと可愛いじゃないか。
いつものちょっとキビキビした感じや、つんとすました態度がないせいか、健気なセリフと相まってかなりの美少女に見える。
「ははっ、可愛らしいな。」
そうだハル王子、リディントンが可愛い美少年であることに疑問の余地はない。それは認めよう。女が枯渇している王子の生活の中で、リディントンの可愛さにグラッときて襲ってしまった、というのなら論理的には理解はできる。長年ハル王子を中傷から守ってきた身としては許せはしないが。
だが問題なのは、少なくとも王子が悦ぶ声を聞いた限りでは、王子が好んで襲われる側だったことである。これが解せない。何を思って王子はリディントンに体を捧げようと思ったのだ。その業界には詳しくないが、普通なら体格の良い方がオス役ではないのか。
そういえば、王子の裸は何千回と見ているが、腰から下はいつ見ても隙のない引き締まった肉付きをしているのだ。小柄で華奢なリディントンはどんな秘術を使ったのか。王子自身はさっき、ほぐすとか何とか言っていたが・・・
「リディントン、謙虚なのは良いことだが、たまにはわがままも言うと良い。人前で口に出すのが恥ずかしければ、欲しいものを書いて見ても良いのだぞ。」
王子が懐から羽ペンと羊皮紙の切れ端を差し出した。確か交渉や社交の場で情報をやり取りするためのものだが、なぜ今使うのだ。王子も酔っているのだろうが。
「ほしいもの、ほしいもの・・・」
何やらデザートを決めかねる少年のように悩んだリディントンは、思い立ったようにさらさらと何かを書き始めた。背筋を伸ばして、食器越しに盗み見る。綺麗な筆跡だ。
“I K E M E N”
「アイクメン? P I K E M E N (槍兵)の間違いではないのか?リディントンも酔っているしな。」
ハル王子が戸惑った声を上げる。私が知らない単語だから、異国の香辛料か何かかと思ったが、どうやら王子にもわからないようだ。
「よってないわよう。すぺるみすなんかじゃないのう!I・K・E・M・E・N!」
コンとコップを置いて、歌でも歌うように主張するリディントン。
「その、アイクメンは、簡単に手に入るものなのか?」
王子はその未知のアイクメンをプレゼントする気でいるらしい。
「ううん、おかねじゃかえないの、ぷらいすれす。でもいいの、とおくからみているだけでも・・・」
なんだか、酔ったリディントンがしゅんとなった気がした。
「金では買えない、遠くから見ている、海か、教会か、それとも・・・」
「ちがうの!にんげんなの!」
王子は真剣に考えているが、酔っ払いは当たり散らすように大声をあげている。
「金で買えない、ということは雇えないということで良いか。まさか恋人か?」
「ううん、そうなったらいいけど、そういうんじゃないの・・・」
片思いの相手、と言ったところだろうか。王子も目を丸くしている。
「リディントン、上の名前は?」
「あはっ、うえのなまえはるいーずだよう!」
ルイーズ?女だと?
いや、従者の片思いの相手が女であることは不自然ではないが、あのリディントンだ、男だとばかり思っていたが。
ひょっとして両刀使いと言うやつか?
「殿下、ルイスは気分が優れないようですので、私が部屋まで送りましょう。」
いつの間にかウィンスローがリディントンの背後に控えていたようだった。前で抱えるようにして、部屋から退出していく。
「わかった、そう少しリディントンを見ていても楽しかっただろうが、危なっかしいところもあったからな。ありがとうウィンスロー。それにしても、ルイーズ・アイクメンか、リッチモンドまで来られるだろうか・・・」
何かよからぬことを考えていそうなハル王子。捜索し始めないかと冷や冷やする。あいつの片思いの相手を見つけ出してきてどうする気なのだ、王子。
「わあ、おひめさまだっこ、ちょっとうれしい!」
リディントンはもはや夢の中なのか、お姫様にだっこされる妄想をしているようだった。あいつのような少年なら不自然ではないが、ちょっと年齢的には幼稚な想像ではないだろうか。後でからかうとしよう。
「だんしゃくかおちかい、ん、あれ、だんしゃく、ひょっとして、すたんりーきょうのけっこんしき、わたしとあったでしょお・・・」
訳のわからないことを言いながら、ウィンスローに抱えられて遠ざかっていくリディントンを皆が目で追っていたが、ウィンスローを信頼しきっている感じは印象深かった。
信頼?
確かにウィンスローは部下の信頼が厚いと聞くが、いつも不気味な薄笑いを湛え、何を考えているかわからない不審なやつだ。
さっきも唐突にジェームズ王子の話を出して、わざとでないとはいえ聖人君子なハル王子に王位継承順位の認知までさせて・・・
ん?
ウィンスローは王子の返答に動転した様子だったが、あれが演技だったとしたら?
もし、もしもの話だが、ウィンスローはハル王子がジェームズ王子を認めるのを、最初から望んでいたとしたら?
強い東方の酒を飲んだ後でも、不思議と頭は回っていた。
仮にウィンスローが北のジェームズ王と通じているとしよう。その場合、ハル王子に後継がないのが最善。ハル王子とあの方との難しい関係がこれ以上進展しないことも大事になってくる。
まして王子に同性愛の疑惑が出たとしたら、ハル王子が存命でもジェームズ王子を支持する輩がで始めるだろう。また王子の弱点を握ることも、将来の禅譲を見据えて良い投資と言えるかもしれない。
ノリスやコンプトンに慣れた中、セントジョンに加えてリディントンが配属されたとき、正直「また美形か」と思っただけで、あまり不自然には思わなかった。採用理由も「眉目秀麗」とかそんな感じだった。女かどうかだけは気にかかったが。
だが、出会って数時間で王子をモノにし、あの王子に悦びの声を上げさせるほどのテクニックを有し、王子をヘロヘロにさせた後のパーティーで平然と俺に卑怯な攻撃を仕掛けるほどのスタミナを持つ、魔性の男リディントン。あれが王子の弱みを握る使命を帯びて、ウィンスローの手引きのもとハル王子の従者になったとしたら?
全て辻褄が合う。
そもそも、ウィンスローとリディントンが、この国の滅亡を狙い北の国が送り込んだ刺客だとしたら。
「伯爵に、伯爵に知らせなければ・・・」
ワナワナと震え始めた自分の腕を必死で制して、薄いワインを思い切り飲み込んだ。