CXXI 国王付小姓スティーブン・ヒューズ
みんな席についてほっとしたところで、部屋に悲痛な声が響いた。
「王子様!ひどいです!」
コンプトン先輩がおろおろしている。先輩って顔は可愛いけど声も体格も高校生っぽいから、あんまりなよなよするのは似合っていないと思う。
「どうしたのだコンプトン。」
王子も困惑顔をしている。こういう時はただ「ひどいです!」っていうんじゃなくて、具体的な要望が欲しいところよね。
「ひどいです!王子様!」
何だか、確証はないけどなんとなく浮気を疑うお嫁さんみたいな感じになってきた。
ブランドンがあんなに中身が残念なのにモテるらしいのは、ひょっとしたら他のイケメンたちが乙女だからなのかもしれない。
「私の隣の席はリディントンで解決したはずだが・・・そうか、席をあてがっていなかったのか。モーリスがこういう場に現れるのが初めてなものでな、少しずれてしまったが、決してコンプトンのことを忘れていたわけではないぞ。」
いえ、明らかに忘れていましたよね。ひどいです!王子様!
この手口、今度私も兄さんあたりに使ってみようかしら。何かやましいことを思い出して親切をしてくれるかもしれない。
「王子様、俺は王子様の近くがいいです。」
「わかった、ウッドワード、コンプトンと席を代わってやってくれないか。」
フランシス君は無言でうなずくと、コンプトン先輩と席を譲った。さも当然っていう感じの先輩は少し感じが悪いけど、もともと私の席に座りたかったわけだからやっぱり不満なのかな。
フランシス君はそのまま席につかずに、酒瓶を持って王子の方にやってきた。慎重に王子の器に注いでいく。フランシス君を見つめる私の目線に気づいたのか、王子が笑いかけてきた。
「今日はフィッツウィリアムが欠席なので、ウッドワードに給仕をしてもらうことになったのだ。すでに毒味もしてもらった。」
フランシス君、パーティーにいた気がしたけど、いつの間に毒味してたのかしら。
「一人では大変だからな、父上の小姓であるスティーブン・ヒューズも手伝ってくれることになっている。ヒューズ!」
王子が手を叩くと、影から地味な茶色の服を着た細長い顔の青年が出てきた。20代前半かな。そつない身のこなしで、フランシス君と分担してみんなのお酒を注いでいく。手を洗うローズウォーターのボールが差し出されて、私もチョロチョロと指先を洗った。
国王陛下は見た目で採用をしていないみたい。男爵だけ例外かもしれないけど。
注がれたお酒をよく見ると、ワインじゃなくて透明なお酒だった。
「これは・・・」
「驚いたか、リディントン。ワインも一人半ガロンは用意してあるが、今回は珍しい東方の酒が手に入ったので、この機にぜひと思ってな。」
得意げに紹介する王子。ひょっとして前世でとうとう飲めなかった日本酒かしら。現世でも東に行くとオリエンタルな感じになるのかもしれない。こんなコップをいっぱいにして飲むようなお酒じゃなかった気もするけど。でも日頃から若い薄いワインを飲んでいるし、この体なら日本酒はいけると思う。
それにしても、現世でまさか日本酒を飲めるなんて、ちょっと感動する。
席についてみると、さっき全体像を見た小川のレイアウトが目の前で迫力を持って感じられて、王子が得意になるのもしょうがないのかなと思う。鳥の剥製も船も睡蓮も、ちょっとしたジオラマみたいに世界観を出していて、王子が狩の途中で出会った景色が目に浮かぶような気がする。
歓迎会って緊張して楽しめないものだと思っていたけど、これは嬉しい。
「ありがとうござます、とても嬉しいです、殿下。」
「殿下、珍しいお酒が入ったのでしたら、フィリップ殿下との会食ために取っておくべきではないでしょうか?」
モーリス君はモーリス君だった。
「口に合うかもわからないのだから、まず我々で試すのが妥当だろう。」
この件については珍しく王子に分がある気がする。よく考えたら誰か一人が味見すればいいのだけど、そうすると私が日本酒を飲めなくなっちゃうから困る。料理に合わないかもしれないしね。
モーリス君が引き下がったのを見て、王子は乾杯前の祈りを捧げ始めた。
「主、願わくはわれらを祝し、また主の御恵みによりてわれらの食せんとするこの賜物を祝し給え。われらの主によりて願い奉る。アーメン。」
「アーメン。」
王子はゆっくり目を開けて、杯を手にとった。いつも明るい表情をしているから、こういう真面目なシーンは雰囲気が新鮮で目が離せない。
少し私の花柄のカップに鼻を近づけると、ツンとすました匂いがした。
「さて、では新たな仲間が加わったこと、私を含め無事にリッチモンドに帰還したことを祝して乾杯するとしよう。」
王子が立ち上がって皆に笑いかけると、男爵がゆっくり右手を挙げた。
「殿下、恐れながら、この場を借りてもう一つお祝いすべきことがあります。」
「どうした、ウィンスロー。」
少し驚いたような王子が、相変わらず薄笑いの男爵に問いかける。
「殿下の姉上、マーガレット王女の御子息が、1歳の誕生日を迎えお披露目されたそうです。ジェームズ王子です。」
ホールがざわめく。「男か・・・」という声がした。
王子の顔が気のせいか少し曇った気がする。おもむろに口を開いた。
「姉上はお元気なのか。」
王子の質問は意外だったのか、男爵は少し驚いたようだった。
「はい、母子ともにご健康とうかがっています。」
その言葉を聞いた王子の顔が和らぐ。周りの温度がふわっと暖かくなるような感覚を覚えた。
絵画の聖母像みたいな「慈悲にあふれた」微笑み。
笑顔が眩しいって、まさにこういうときに使うのね。なんだか見ている側が幸せになってくるような、そんな力が放射状に飛びだしていくような笑顔。
思わず息を飲んだ。
「そうか。姉上は体が頑丈でなかったから、出産が負担になりすぎないか心配していたのだ。子供の情報が入ってから手紙が来ていなかったので、日々姉上の身を案じていたのだが、元気でいるのは本当に喜ばしい。」
王族でも庶民でも、やっぱり思うことは同じなのね。肌がきれいになってもともと眩しかった王子だけど、この笑顔は破壊力があると思う。
王子はお姉さまがお嫁に行ってから女性を一切近づけないんだっけ。少ない手がかりで邪推するのはよくないけど、ひょっとしたらお姉さんが特別な存在だった、という線はあるかもしれない。
「ハル王子、頑張らないと北の国がうちを併合してしまうな。」
ブランドンが少し引きつった声で、冗談を言おうとしたみたいだった。
「そうだな、ジェームズ王は優秀な人物だと聞く。私や兄上になにかあったときはジェームズ王子がこの国も継ぐのだから、きちんとした教育をして欲しいものだ。」
パリンという音がした。
男爵がコップを落とした音だった。スティーブンさんが片付けに近づいていく。
「王子・・・いえ殿下、殿下のような立場のお方がそんな真顔で冗談を言われますと、意図を考えてしまう者が現れますよ。」
男爵は頑張って薄笑いを作ろうとしているみたいだった。
「いや、私は至って真剣だ。」
王子も笑っていない。
「ハル王子、北の国の支配なんてこの国の人間が受け入れるわけがないだろう。200年も殺り合ってきたんだぞ。」
ブランドンも興奮したのか思わず立ち上がったみたいだった。
「相続で同じ王が治めることになれば、戦争をする理由がなくなって良いだろう。内戦の間この国の半分の人間はもう半分と諍いあってきたが、今はみなが一人の王に忠誠を誓っている。不可能な話ではない。」
ええと、つまり男爵の子作りプランはお呼びでない、ということかしら。私、失業しちゃうかも。
王子は真剣に考えているみたいだけど、この感じだと兄夫婦に子供ができないのは規定事項なのね。
まだショックが冷めやらない饗宴の間を、王子が手を広げて制した。
「だが、もし、ひょっとしたら、などと言い続けてはキリがない。とりあえずは、姉上とその子の健康も含めて、祝いの酒を皆で飲むとしようぞ。乾杯!」
「乾杯!」
強引な乾杯だったけど、みんなゴクゴクとお酒を飲み始めた。
私も釣られたようにガブっと飲む。
「むぐっ・・・」
辛い!
強い!
つらい!
「水・・・!水!」
近くにあった白鳥のフォルムをした水のボトルを鷲掴んで、空いているカップに注ぎ込む。浴びるように飲む。
「待てリディントン、それはジンだ!」
誰かの声が響く。
喉で水じゃないってわかったけど、もう遅かった。
ジンって庶民のお酒じゃなかったっけ。なんでここにあるのかしら。
まあいいわよね、なんだかふわふわしてきけど、わたしおさけによわくないし・・・
「このお酒強いんだ。僕飲めないんだ。王子様、なんていう名前のお酒なの?」
「ウッドワードが毒味をしてくれたのだが、確かにこの量は多かったな。これはウォッカというらしい。リディントン、大丈夫か。」
そうなんだ、うぉっかだったんだ。
にほんしゅじゃなかったんだ。
でもいいんだ。ふわふわする。
すこしきもちいいきがする。きっとしあわせ。いっぱいのんだし。
ねんがんのにほんしゅものめたし、いけめんにしんぱいされて・・・




