CXX 名門貴族モーリス・セントジョン
一瞬言葉を失った私とブランドンは、思わずお互い顔を見合わせてしまった。敵同士なのに。プイッと顔を背けると、堰を切らしたようにブランドンが喚き始める。
「ハル王子!リディントンの隣はごめんだ!私はそもそもリディントンがハル王子に悪い影響を与えていることを深く懸念しているんだ。むしろ私がリディントンとハル王子の間に入って、王子の貞操を守って見せよう!」
相変わらず支離滅裂なブランドン。私を遠ざけたいのだろうけど、「悪い影響を与える」なんて曖昧な表現じゃ説得力に欠けると思う。貞操って何の比喩かしら?
「どうしたチャールズ、物騒だな。なるほどリアルテニスや先ほどの勝負におけるリディントンの戦略はあまり騎士らしくはなかったかもしれないが、ルールは守っていたのでフェアでないとも言えぬし、私は私のやり方を守って勝負するつもりだから心配ない。貞操とはそういう例えか?」
王子は、私の卑怯さが伝播するんじゃないかとブランドンは懸念している、と解釈したみたい。だいぶ親切な受け取り方だけど、そもそも何でみんな私のことを騎士らしくないと認定するのかしら。そりゃあ正面勝負はしなかったけど、前世の柔道で階級があったみたいに、大柄の人と力勝負をするのがそもそもアンフェアだと思うけど。
「違う!そうじゃない王子!詳しくは言えないが、リディントンの隣で酔っ払っていると、気がついたら男として大事なものを奪われかねない!」
一体何を言い始めるのかしらブランドンは。大事なもの?
今まで黙っていた男爵が一歩前にでた。
「ブランドン、ルイスに二度も致命的な恥を晒されて、男として生きていけないほどの目にあって、とても悔しいのはわかるけどね。だからと言ってルイスに難癖をつけて追放させるのは、君に残った最後の一握りの男らしさを失うことになるよ?」
男爵ってブランドン嫌いなのかしら。何だかすごく挑発している感じだけど。それにしても、男として大事なものってそういう意味だったのね。そう言われれば納得する。
「そうだチャールズ、潔さは騎士に必要な美徳の一つ、ここは甘んじてリディントンの隣に座り、交流を深めると良い。」
「しかし・・・」
王子からも負け・恥認定を受けたブランドンは、すっかり勢いを失ったみたいだった。
「良いかチャールズ、内戦の間、サリー伯爵は私の母方、白軍の参謀長として、ド・ウィアー卿は私の父方、赤軍の総司令官として、二人は何度も剣を交えた。しかし内戦が終わった後、二人はそれぞれ大蔵卿、式部卿として、内戦で乱れたこの国を立て直すことに、力を合わせて尽力してくれている。負けは潔く認め引きずらず、勝てども驕らずに敵を称える、それが二人のような真の騎士のあり方だ。良いか、リディントンもチャールズも、優秀な私の部下だ。二人の間の過去の因縁や、力関係をめぐる争いのせいで、1足す1が2以下になっては私が困るのだ。さあ、隣で杯を交わし、仲直りすると良い。」
「ハル王子・・・」
王子がいつもの小噺で畳み掛ける。ブランドンの頭ではこれ以上の反論は見つからないみたい。頭のサイズだけは大きいのに中身は空っぽなのね。
私のターンがきた。
「殿下、残念ながら私とブランドンの因縁に関係なく、私は宮廷の食卓のマナーにも不慣れですし、指導を引き受けてくれたモーリス君の隣に座らせていただきたいのです。」
モーリス君が指導を受け入れた事実はないけど、きっと頼めば教えてくれるはず。
王子は困ったような苦笑いをした。
「モーリスは中の従者だが、リディントンの隣に座るのは外の従者であるべきだし、本来ならモーリスは兄上の侍従であるから、慣例に乗っ取れば私から見て遠くに座るのだが・・・」
意外と先例にこだわるのね。
「殿下、今回は新しい従者の就任を記念する珍しい機会です。必ずしも慣例は確立されていないのではないでしょうか。モーリス君は身分も高いですし。それに、勝手な表現をお許しいただければ『主賓』の一人である私は、可能であればモーリス君の隣を強く希望いたします。そうでないと不安で仕方ありません!」
殿下の目を見ながらモーリス君の腕をそっと掴んで引き寄せる。亜脱臼が再発しないように気をつけないと。
「せ、聖女様っ!?」
モーリス君が小声で引きつったような声を出した。
王子がいよいよ困った顔をした。とは言っても眉間にシワがよらないタイプみたいで、そこまで困ったようにも見えないけど。
「リディントンの願いは聞いてやりたいが、せっかくチャールズと仲良くなる機会であるのに・・・」
この王子は敵同士を隣に座らせれば仲が良くなると思っているのかしら。勇者みたいな体格と顔をしているのに平和ボケしているのかもしれない。
「殿下、火を消すには火が弱まったときが一番です。私とブランドンは先ほど殴り合いをしたばかりですから、仲直りにも少し冷却期間が必要なのです。私が落ち着くためにもどうかモーリス君を隣に。」
正確に言えば膝カックンだったけど、殴り合いの方がホットに聞こえる。
王子は肩を竦めた。大柄で肩が張っているから、竦めただけでゆさっという音が聞こえてきそう。
「色々難癖をつけてしまったが、リディントン、正直にいうとモーリスが近くにいるとパーティーでも政治の話になってしまうのが億劫なのだ。お前の願いを聞き入れられなくて残念に思うが、ここはこの食卓に免じて私のわがままを通させてもらえないだろうか。」
「そんな・・・」
モーリス君の腕を引き寄せながら、私は落ち込んだ。
せっかくのお祝いの席でモーリス君がコストの話を持ち出しそうなのは想像できるし、視察を名目に狩に興じていた王子としては耳が痛いだろうけど。
「せ、聖女様、その、当たっています・・・」
小声で私にささやくモーリス君。
「どうしたの?」
見てみると、モーリス君が青白い顔を最大限ピンクにしている。
「その・・・胸が・・・」
「あっ!ごめんなさい!」
スザンナを痴女扱いしておきながら、私も同じようなことをしてしまったのに気づいた。顔が急に熱くなる。
王子に「モーリス君がいいアピール」をしたかっただけのだけど、ちょっと不自然すぎたかもしれないし、純情なモーリス君は大変だったかもしれない。
私ったら、レディなのに男性の腕に胸を当てるなんて・・・
そう言えば、胸がないって言い続けられていたから、ダンスの時もあんまり気にしたことなかったのよね。変な言い方だけど「認知」されたのって、ひょっとしてこれが初めてかも。
モーリス君、色々な意味でジェントルマンすぎる。
「モーリス君って思ってた以上に素敵かも。」
「えっ!えっ?聖女様!?」
ドギマギするモーリス君を見つめ直す。慌てても嘆いていてもマッサージされていても美少年だし、本当に顔が綺麗だから大人になってもイケメン度は落ちないと思う。緑の目もさらさらしたベージュの髪も見ていて飽きない。ちょっと行き過ぎだけど紳士だし、私のわがままも聞いてくれるし、何だか申し訳なくなってくるくらいいい子なのよね。
今日のブルーグレーの服は今ひとつだけど、教会関係者にありがちな地味を極めたような感じはしないし、私に貸してくれた服もセンスはいいと思う。もし仮に万が一私と結婚したらモーリス君は聖職者になれないけど、財政でも外交でも文官になれば出世するだろうし、女性云々をうるさく言わずに私がやりたいことも自由にやらせてくれそう。きっと過保護だろうけど。
でも王子の再従兄弟ってことはかなり名家だし、私みたいな魔女疑惑のある弁護士の娘なんて受け入れてもらえないわよね。ときどき妙に頑固なモーリス君が無理に押し通そうとしてロミオとジュリエットみたいになっても嫌だし、仮に渋々承認されても嫁姑問題で気苦労が多そう。日曜日とか家族で1日祈っていそうな気もする。
「モーリス君、旅って好き?」
「旅ですか!?いつか聖地巡礼の旅には出たいと思っていますが・・・」
巡礼ね、私は関心がないけど、モーリス君が聖遺物を集めている間に私は木綿と香辛料を買い付けてもいいし、モーリス君の実家から離れたところを旅するんだったら・・・
「リディントン、モーリス、ひそひそ話をやめるんだ。」
さっきより少しばかり不機嫌そうな王子の声が響く。
「申し訳ありません、殿下、ブランドンに蔑まれないように、モーリス君にマナーの教えを乞うていたのです。もう不安で、不安で仕方なくて。」
私が悲しそうに頭を振ると、王子は悩んだように頭を掻こうとして、手を止めた。確かに衛生的には正しい判断だと思う。
「わかった、今回は私が引こう。今回限り特別だぞ、リディントン。それでは私から見て右側にリディントン、ゲイジ、ウッドワード、ウィンスロー、左側にノリス、チャールズ、モーリス、ニーヴェットだ。」
前世でいう「誕生日シート」に座った王子が号令をかける。私の隣は白い人になったみたい。まともに喋っているのを聞いたことがないけど、ちゃんとマナー通り喋るのかしら。
「とりあえずブランドンは避けられたわ。ありがとうモーリス君。」
「・・・お役に立てて嬉しいです。あおりを受けて僕は隣がブランドンですが・・・」
「お悔やみ申し上げるわ。巻き込んじゃってごめんなさい。」
何だかまだギクシャクしているモーリス君にお礼をいうと、白い人に会釈をして席に向かう。
「やっと食べられるんだ。」
ノリス君の安心したため息を合図に、みんな席についた。